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僕の半身たる彼女――『あじさいの季節に僕らは感応する』

今回取り上げるライトノベルはこちら。

あじさいの季節に僕らは感応する (ファミ通文庫)あじさいの季節に僕らは感応する (ファミ通文庫)
(2014/07/30)
志茂文彦

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本作の主人公、水上瞬(みなかみ しゅん)は小学4年生の時に両親を亡くしてから7年間、「まゆこ」という女の子の感覚を共有するという謎のテレパシー現象を経験し続けています。
このテレパシーの発生は不定期で、時間的には短い間だけ、「まゆこ」の感覚や感情を瞬も共有しますが、瞬の方からは何も「まゆこ」に伝えることはできません。

この現象は何なのか、「まゆこ」はどこかに実在するのか、一人胸の内に秘めて悩み続けてきた瞬ですが、修学旅行で訪れた京都で、ついに現実に「まゆこ」の姿を目にします。
瞬が彼女に一目惚れしたと思っている友人の後押しもあり、彼女が鎌倉の名門女子校の生徒だと突き止めて、接触を図る瞬。

姿を見かけただけで何の面識もない女の子の身元を突き止め、近付こうとするという行為がストーカーじみているのは確かです。瞬の友人たちはもちろん、まゆこ(里見繭子)の在籍する源氏山女子学院高校の側にもノリ良くアシストしてくれる先輩がいるので助かっていますが。
しかも相手は男性恐怖症の古典的なお嬢様然とした少女。下手に近付けば気味悪く思われもします。

まして、テレパシーのことを伝えれば、それを信じてもらえたとして、相手の生活を覗き見ていたことになるのですから、嫌悪感を抱かれても仕方なさそうです。

ただ、そんなストーカー的になってしまう部分も含めて迫真性を持って描いているからこそ、本作は二人が接近する過程を丁寧に描いた青春小説となっています。
最近のライトノベル的というよりも少し昔のジュブナイルの雰囲気もありますね。

イラストの絵柄もアニメ絵ではなく古典的な感じ。
さらに、1ページまるごとイラストという使い方だけでなく、ページの一部にワク線で囲ったイラストを入れることもあるスタイルも、ちょっと昔の少年小説を思い起こさせるつくりです。

あじさいの季節に僕らは感応する

後半では繭子の方もある特異な現象に悩まされていたことが発覚し、それに関わる危機を乗り越えるべく奔走する――まあ定番と言えば定番の流れです。

それにしても――自分の感覚や感情を、恥も何もかもも知られているというのは、どういう気持ちがするものでしょうか。
「お前のことを知っている」と相手にいうのも気持ち悪く思われそうですし、後半には瞬のことが繭子に伝わる場面もあるのでなおさらです。彼女に対して抱くやましい想いまで知られてしまったら――
けれども、それだけ自分の全てを知った上で受け入れてくれる人がいたら、素晴らしいことだろう――という肯定的な部分を、本作は描きます。
もちろん、全て知って知られた上で嫌われてはどうしようもありませんが、それで受け入れてくれるのならば、確かに……

自分の内心まで共有しているのなら、それは文字通りの自分の半身、あるいは一心同体とでも言うべき存在であって、そのような存在を求める心理は自己愛に似ています。
しかし、そのような自己の鏡像を求めるナルシシズム的心理は誰にもあるのではないか――と考えるならば、この話は核心を衝いてもいます。

終盤には二人が「僕/わたし」として一人になり、二人の一人称が混じり合うといういかにも混乱を招きそうな表現がありますが、それが二人の同化具合を見事に伝えていて、素晴らしい臨場感があります。

ただ、それが恋愛感情なのかどうかに関しては、少し慎重になりたいと私は思います。
本作の筋書きに即して言うなら、――繭子の「彼氏」とされた人物に関する顛末を見ても――瞬と繭子が恋愛において接近する話だと、読んでもいいのでしょう。
瞬の同級生で彼をアシストしつつ、気軽に一緒にお茶をしたりする仲にもなり、「あたし、水上くんの方が好みかも」等と言ってくれる原田美和(はらだ みわ)は実に気さくで可愛い子ですが、筋書き上ではあくまでアシスト役であって主人公と結ばれる方には行きますまい。
しかし……

テレパシーで結ばれた人間をサンゴのような群体生物に喩え、それが一つの生物の「目となり耳となる」かのようと表現している箇所は示唆的です。
私とあなたが一つの生物であるかの如くに同化する――これは考えてみると不気味な話ですが、だからといって全面的に拒絶するのは確かに気が早いでしょう。常識的には不気味であり、倫理的に避難されかねないことを積極的に描くというのも、一つの可能性です。
さらに言えば、現実においても、共同体とは一つの生物のようなものであり、個々の構成員はその器官のようなものである、それは人間の共同体についてすら当てはまるという考え方は、それなりの筋が通ります。
ただ、人間同士の関係においては、そのような同化を許さないどこまでも異他的な「他者」との関係という面も、あるのではないでしょうか。ことが恋愛ならばことさら――

逆に言うと、全ての感覚・感情を共有し、一心同体の如くになる彼と彼女の関係という主題は、「恋愛において結ばれる」という形に収束するのが適切なのか、どうか。
そうでなくても、本作のテイストにはさほど影響がないような気もします。

(そもそも「美少女との恋愛」を求める読者の心理は、そうした自己の鏡像を求めるナルシシズム的心理ではないか、というメタ的な話をすることもできますが、それが本作の本義ではありますまい。そうしたメタ的な作品を書くのであれば、もう少しキャラクター造形や設定が「いかにもライトノベルらしい」ことが求められるでしょう)

しかし考えてみると、「物語の軸となる存在」としての「ヒロイン」と「主人公の恋愛相手」を区別することは、原理的には可能そうでいて、ライトノベルの文法に従うとなかなかそれを容易ならしめぬものがあるのかも知れません(『僕は友達が少ない』の近巻は、はっきりとその区別を打ち出した感がありましたが)。

つい色々と書いてしまいましたが、丁寧で美しい青春小説として、お奨めできる作品です。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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