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メタファーの形で問われるもの

昨日は研究室の納涼会ということでまた飲み会でした(記事は予約投稿にしました)。
普段会う機会の少ない人とも会えることがありますし。

 ~~~

あまり以前に取り上げた作品の話を再燃させるのも間が悪くてどうかと思う……という面はあるのですが、色々と考えたこともあるので改めて語ってみたいと思います。
『ゼロから始める魔法の書』の話です。
今月の『電撃文庫MAGAZINE』で新巻の予告のその先行掲載があったのも一つの機会です。

この作品において、「魔術」から「魔法」への転換、すなわち魔術の強大な力を手軽に使えるようになるという革新は、まさしく産業革命や原子力の実用化にも比せられる技術革新を描いていました。
つまり、技術革新のメタファー(隠喩)と言うべきでしょうか。
「白雪姫」という名前が(実際には雪ではない人間をそう呼んでいるのだから)メタファーであるというくらいの広い意味で「メタファー」を受け取れば、そうに違いありますまい。

しかし――と私は疑問を抱きます。
このような広義の「メタファー」は、様々な文学的表現に広く当てはまりうるものですが、この場合、それは何を表現せんとしているのでしょうか。

たとえば、『All You Need Is Kill』も、ゲームのメタファー――より正確に言えば、キリヤやリタの経験するタイムループはゲームプレイヤーのメタファーと言うことができます。
では、『All You ~』の物語は部屋に籠もってゲームをやっている人間を描いた話と互換性があるかと言えば、そんなことは決してありません。
その要因は色々とあるでしょう。リセットされるとは言え、『All You ~』世界での死は血と痛みを伴ったリアルな死であるとか、周りにループの記憶を共有しない「NPC」の立場でありながら、同時に同じ次元に生きる他者でもあるとか。
しかし、痛みを体験できるヴァーチャルリアリティのゲームを題材にして、ゲームのNPCに対しあたかも現実の人間を相手にするように感情移入したり惚れたりした人物を主人公に据えても、それはやはり『All You ~』とは別の味わいの作品になるでしょう。
『All You ~』におけるゲームと現実の混淆された世界観は、「現実であるかのようなゲーム」とは明らかに異なる、代替不可能なものです。

決して文字通りの表現の単なる代替物ではなく、独自の視野を開く、それがメタファーの意義です。

では『ゼロから始める魔法の書』は魔法ファンタジーという形を取ることで、たとえば原爆を作った技術者を描いた歴史ドキュメンタリーとは違う、どんな味わいをテーマ的に出しているのか。
メタファーという点に目を付けて考えた時、私が気になったのはそこであり、答えは判明ではありませんでした。

もちろん、オリジナルの世界を舞台にしていることによって、当の「技術者」を美女の魔女にすることもできますし、ストーリーも歴史的事実等に縛られはしなくなります。
しかし、では「この世界観、この設定でなければならない」ことができているかというと、それは別問題です。
「ファンタジー」は、「事実に関する厳密な考証を必要としない」という手抜きの口実であってはなりません。

『ゼロから始める魔法の書』の場合、一つの目を引く設定として、主人公が「獣堕ち」と呼ばれる獣人であるということがあるでしょう。
獣堕ちの誕生理由に魔術が関わっていることは説明されていますし、「普通の人間に(なれるなら)なって、平穏な暮らしをしたい」という主人公の想いはストーリーにも、ゼロとの関係にも少なからず関わってきます。
それは確かに見せ場ではありましたが、ゼロという革新的な技術者の想いというテーマと結びつけた時、やはりもう一押し欲しかったという感は残ります。

こうした感想は、『電撃文庫MAGAZINE』掲載の新章を読んでも再確認できました。
今回はいっそう分かりやすく、「魔法」が革新的な「技術」であることが述べられています。
そして、自らの生み出した「魔法」が世に広められることによって起こる問題について、自ら責任を取って解決せねばらないと考えるゼロについて、主人公は語ります。

 まったく――馬鹿馬鹿しい事この上ない。
 技術を生み出した人間が、それを悪用する人間の責任まで持たなきゃならないとは俺は思わない。鍛冶屋が作ったナイフで盗賊が人を殺したら鍛冶屋のせいか? それとも製鉄技術を生み出した人間のせいか? そうじゃねぇだろう。
 だというのにゼロは、「それとこれとは話が違う」と言って譲らない。普段は飄々としているくせに、魔法が絡むと急に硬く張り詰めるようですらあった。
 (虎走かける「ゼロから始める魔法の書 2 -アクディオスの聖女- 一章 クレイオン共和国」『電撃文庫MAGAZINE Vol.39』、KADOKAWA、2014、p.132)


しかし、ゼロの考えではなぜ「それとこれとは話が違う」のか。
主人公の言うことも理屈としてはもっともですが、「技術者の責任」について、両者の考えはいかなるところで食い違っているのか。
実のところ問うてほしいのは、そこではないでしょうか。

しかしどうも1巻を丸一冊読んでも、今回の2巻第一章を読んでも、そこが物足りないのです。

本作が主人公の一人称語りであることは、この点に深入りできない理由にはなりますまい。一人称でも主人公以外の考えや、他者とのズレという機微に触れた作品はたくさんあります。

もちろん、これは現実的な問題であるがゆえに、安易に明快な解答は出せません。
同じ例を挙げ続けるなら、「原爆を作ってしまった技術者はどうするべきなのか」、ここには一義的な答えも便利な解決策もあろうはずがありません。

しかし、一義的な答えや便利な解決があるかどうかと、文学として描くならば登場人物がどう向き合うのかを描くことは、別の問題です。

本作の1巻ラストにおいて、流布してしまった魔法を管理するべく制度が固められ、黒幕も罰を受けるのではなくこの制度に協力することになります。
これは、世に出てしまったものを無かったことにすることはできず、前科があれどその分野に優れた人材は使わねばならないという、きわめて現実的な対応です。
しかしこれはまさしく「作られてしまった原爆をどうするのか」という具体的な対処法のレベルです。そのレベルでは間違ってはいません。
それと、「そもそも責任とはいかなるものであり、どう態度を取って向き合うのか」は話が別です。

無論私も、「文学とは心の問題を描くものだ」という一面的な主張をしたいわけではありません。内心の葛藤に踏み込むばかりが芸ではないでしょう。
ただ、現実的に無難な解決を持ってくるだけならば、それを小説の形で描く意義がどれだけあったのか、ということです。
「原爆を作った技術者は、核戦争の防止と原子力の平和利用に尽力しました」という話があったとして、その話自体は確かに悪い話ではありませんが、それで「技術者の責任」を問うという意味で満足できるのか、ということです。

つまり、作者は極めて健全な現実感覚を備えているのですが、その分理念的な問いが甘いように思われます。だから外見はそれなりの形になっていても、足りない感があるのでしょう。


さて、さらに2巻の話では、技術革新に関わる新たな社会問題が登場します。
聖都アクディオスには無償で奇跡を起こして病気を癒すという「聖女」がおり、そのせいで失業の危機に晒された医者が退去して国外移住を図っているのですが、他方で聖女の奇跡にかかることもできず、医者がいなくなって困っている人たちもいる、というのです。
ここでも、主人公の語りはかなり直接的にこれを技術の問題として要約します。

 聖女のせいで、医者が減る。――まあ、予想できる話だ。より優れた技術が生まれれば、古い技術は廃れて消える。
 魔術から、魔法へ。土器から、鉄へ――。
 そういう風に、社会は常に楽な方へと流れるものだ。
 患者が教会の曖昧な治療から、医者の確かな医学に流れたように。聖女の確実な奇跡があるのなら、患者は医者から奇跡に流れる。
 だが世の中、急速に変化して行く世の中に対処できる人間ばかりじゃない。そんなに突然医者の数が減っては困る者も多いだろう。
 しかし医者としても聖女に患者を取られて食っていけなきゃ場所を変えて稼ぐしかない。そのせいで困る人間がいると言われたって、切り捨てなければ医者の方が食い詰める。
 (同誌、p.145)


話は明瞭です。
しかしこの件も、社会的な制度を整えて対処することはできるかも知れませんが、それはそのつどの対処療法でしかないでしょう。社会的にどう対応するかというレベルなら、そうとしかなりません。
が、そもそも「さしあたって社会制度を整えました」というオチで済む話なのかというと、私にはそうは思えません。

さて、どうなることでしょうか――


ついでながら、今言っても今更感はありますけれど、発表時期が『魔女は月出づるところに眠る』と被ったのもマイナスでした。
技術智という問題の掘り下げ方において、――ついでにラテン後の用法も――並べるとどうしようもなく見劣りしてしまいます。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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