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ポスト・フクシマ的問題系

時雨沢恵一氏の『男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。』2巻によると、電撃文庫(毎月10日発売)の原稿締め切り日は公式には発売の4月前の月末、つまり発売日から3ヶ月と10日前、とのことです。
もちろん、最初に宣言した締め切りを破るのはどこでも日常茶飯事、この締め切りを過ぎてから書き始める作家もいるとか何とか。

ただ、これならば日程に余裕はあります。
同書によると、電撃文庫の発売予定は半年くらい先まで内定しているとのことですが、外部に向けて発売予定が告知されるのは通常発売から2ヶ月ほど前。
最初に締め切りまでに書き上がっていれば、発売予定を告知する頃にはほとんど校正まで済んでいますし、1ヶ月遅れても初稿くらいはできているでしょう。
裏を返せば、発売予定告知時点でなおも原稿ができていない、となればさすがに予定延期の可能性が高いのではないでしょうか。
そのお陰か、電撃文庫で一度公的に告知された発売予定の延期というのは稀です。

逆に、ライトノベルで発売延期が非常に多いのはMF文庫Jです。
毎月何かしら延期されていると言っても過言ではない気がします。
一度に発売できる作品数にも限りがあるでしょうから(あまり多いと書店の置き場も足りず、読者の目にも止まらなくなりますし)、いくつかの作品が翌月に延期されれば翌月の予定も玉突き式に延期されますし。
さらに、同じ作品が3度も4度も延期を繰り返すことすらあります。
発売予定を告知した時点で一体どこまで工程が進んでいるのか、見切り発車で予定を出していないか、聞いてみたいものです。

加えて言えば、発売予定の月に入ってから延期が告知されるというのも、――ままあることですが――考えてみればかなり妙な話なのです。
毎月25日発売のMF文庫Jであっても、発売予定の月に入れば製品完成まで実質3週間ないくらいでしょう。
そろそろ最終校正を終えて、印刷所に最終稿を入稿する時期のはずです。
「作家の原稿ができていない」のが理由なら、もっと早く間に合わないことは確定していそうなものです。
では作家以外のところに理由があるのか、それとも単にもっと早くに事実上確定していることで告知が遅いだけなのか……
ライトノベルの場合、イラストレーター側の事情という可能性も考えられますが、イラストレーターが他のところでは問題なく仕事をしていたりすると謎は深まります。

MF文庫Jのライトノベル新人賞で第9回の大賞作品であった『MONSTER DAYS』も、昨年11月に1巻が出た後、2巻は何度か発売が予告されるもそのたびに延期され(もう3度くらい)、そろそろ1年経ってしまいます(今年11月までの発売予定には名前がないので)。
デビュー作のみで消える作家というのは結構よくいます。原因は知る由もないことも多いのですが、本人が書かない・書けないというのが多いのではないか、と思われます。
しかしこの場合、予定が出るということは本人も出版社も「書く意志」「出す意志」はあるということなので、それらと同列に扱ったものなのかどうか……

そう、そろそろ作家が「消える」心配をせねばならないところまで来ています。
全く可能性がないならば諦めるしかありませんが、さてこの場合、まだ可能性を信じて待っています――とアピールすべきなのかどうか、真剣に考えているところです(まあ、こんなブログで何をアピールしようと特に意味はありませんし、投書しても虚しいとは思いますが)。

 ~~~

話は変わって――
『魔女は月出づるところに眠る』の中巻には、「この世界には魔女がいて狼がいて悪魔がいて天使もいる。でも、神様だけはいない」というフレーズがありました。
ただし、これはキリスト教的な意味での「神」です。本来、キリスト教以前の智を受け継ぐ「魔女」たちの世界は、キリスト教の神とは無縁です。
そして「神様だけはいない」ことは、最後にむしろポジティブな意味を持ちます。
「知恵のリンゴ」は神の戒めに背いてもぎ取られた原罪の産物ではなく、善き賜り物なのだというポジティブな意味を――

そして私は、『仮面ライダー鎧武』にもこれと似た事態を見て取りました(「神なき禁断の果実の神話」)。
人間を誘い「知恵の実」を渡す「蛇」が、その実を育む森そのものであるということは、果実を育て管理する者にして人間にその果実を食することを禁じる「神」はいないのです。

そしてこれはやはり、「ポスト・フクシマ」の状況を抜きにして考えることはできない場面だと思われます。
福島の原発事故を経て、原子力発電という危険な技術に関する議論が高まり、技術批判は喫緊の問題となりました。
しかしここで、「そもそも技術文明は人を幸福にしない」といった全否定論は――必ずそういう人がいるのですが――、まさに技術批判が差し迫った現実的な問題であるからこそ、あまりにも無力なものとして響くのです。

原発を稼働停止させるべきだ、というところまでなら、まだ「現実的な」主張として理解できます。
しかし、いくら技術文明を批判するとしても、よもや石器時代まで戻れとは言いますまい。一体どこまでならば「あり」なのかは、そのつど具体的な場面に即して考えるしかない事柄ですが、全否定論にはまさしくそうした具体性が欠けているばかり、具体的な水準で論じること自体を不可能にしてしまいます。

そして、「これは神の領域だ、人間が手を出すべきではない」といった類の天下り式の線引きも同様です。
どこまでが「神の領域」なのかは決して自明ではなく、時代とともにそうした言説の扱う対象も変化していたりします。
天下りの禁止では、「何が良く、何はいけないのか」という現実の問題には答えられないのです。

『魔女月』の「魔女」がまさしく危険な力を扱う智者であり技術者であることは、今まで念入りに論じてきました。
『鎧武』の場合、知恵の実が与えるものは技術というよりも、生命を操るまさに神にも等しい力です。しかし、これは世界を飲み込むヘルヘイムという強大な「天災」を御する力です。しかし、天災に対抗できるほどの「知恵」であればこそ、天災以上の脅威にもなり得る、その使い方が問われているのです。

もちろん、キリスト教側から言うならば、アダムとイヴが禁に背いて食したのは「善悪を知る木の実」です。
要するに問題なのは倫理の始まりであって、それを技術智に結びつけるのはおそらく正当ではないでしょう。
ただ、これが本来のキリスト教に対する有効な批判であるかどうかを、この際問題にしたいのではありません。

技術智の批判が問題になる時、「それは神によって禁じられているから駄目なのだ」という天下り的な形でばっさり切り捨てるのでは済まない状況に来ている――言いたいのは、そのことです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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