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国を揺るがし、神と人との関係を揺るがし、その先は――『偽神戦記』

今回取り上げる小説はこちらです。
2巻まで出て(というか、私が読むのを先送りにしている内に2巻まで出てしまった)、まだ続いているシリーズです。

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作者の経歴は(プロフィールに「早稲田大学中退」とあるのを除いては)不明ですが、どうやらこれが小説単行本ではデビュー作のようです。
本作のジャンルはファンタジー戦記ということになるのでしょう。

舞台は、五つの神(※)による創世神話の存在する大陸「五弁花の大陸(フルーメンブラット)」です。
この大陸には、五つの神のそれぞれを信仰する五つの国が存在、また人々も「指人族(フィンギィ)」の他、獣人タイプの「尾人族(テイリィ)」、小さな角のある「角人族(ホーニィ)」、妖精系の「羽人族(ウィンギィ)」、「歌人族(シンギィ)」、五つの種族に分かれており、種族と国にある程度の対応もあるようですが、いずれの国にも主流以外の種族もいます。この辺はいかにも多種族社会という感じです。

※ 神の数え方は本来ならば「五柱」となるのかも知れませんが、作中の表記に従います。

主人公のクライヴ=ロゾヴィックは男神国ギガの辺境にあるロイツ村の神官の息子です。
類稀なる発明の才能を持ち、田舎村の社会に収まらなかった彼ですが、帝都の学院に行く金もなく、16歳になるまで村に留まっていました。
彼の幼馴染のシリクは羽人族の血を引く少女で、羽人族は長命で成長も遅いため、クライヴと同い年ながら10歳くらいの幼い外見。ただし大変アクティブな少女です。

二人はある日、魔法の首輪を嵌められた少女が賊に襲われているのを保護します。
彼女はソニア=テルミヴィフ、竜主国クェスの姫君――それも竜神に生贄として捧げられるべく育てられた特殊な姫君でした。

この世界には魔法が存在しますが、魔法は神々の力を借り受けるものであり、神に応じて生贄を必要とします。
それは所持品であったり、生き血であったり。
男神ギガの魔法は「工芸魔法(クラフツ・マジック)と呼ばれ、あらかじめ生贄を捧げて得た魔法を機械に封じ込めたもので、クライヴはこの機械を発明する名人です。

クライヴが軍師として、ソニアを立て、自らの権勢のため彼女を利用しようとする勢力に対抗し、大陸に新たな勢力を築いて、歴史を動かしていく……そんな物語です。

軍師といっても、基本の才能が発明家なので、とりわけ1巻は軍略よりも割と唐突に発明品を出して局面を打開するのが目立ち、頭脳戦という感じでは必ずしもありませんでした。政治的な方面での「策」にしても、読者としては初めて聞く国際法を持ち出して頼りにするようなやり方なので、読者としては膝を打つ余地はありませんでしたし。
ただ、2巻で合戦となると、新兵器の登場による戦のやり方の変化というものを見事に描いていて、見応えがあります(敵側にちょっと強すぎるキャラが一人いたりはしますが)。

キャラクターの魅力もまずまずで、楽しみなシリーズです。


しかし、注目したいのは、タイトルの「偽神」にも関わるテーマです。
「戦記」であるからには、物語の軸は人間の集団、国家間の闘争にあります。しかし本作の場合、そこには神と人間との関係という問題が密接に絡んできます。そもそも五つの国が五つの神に対応しているという設定からして、「新たな勢力となり、国家間関係を揺るがすこと」と「神との付き合い方を揺るがすこと」が一体の事柄であることを示唆しています。

主人公のクライヴは、「師匠」から個々の知識以上に「懐疑すること」――権威や他人の言うことを頭から信じてかからず、考えることを学んだ、合理的な考え方をする人物であるという設定です。戦争の常識を変えることができるのも、常識を懐疑したからでしょう。既存の神、たとえば神官の息子である彼にとってもっとも身近なギガ神官の教えに疑義を抱いている描写もありました。
そんな彼は、人間を神への供犠に捧げることについて、どう判断するでしょうか。

「ただ、歴史を顧みればそういった事例は確かにあるよ。偉大な『竜の神官(ジェレツォ・ドラコナ)』が、何人も自分から進んで竜神の生贄になっている。名誉なことらしい。国のためでもあるらしい」
「……そう、なの?」
「そうなんだよ」
 今ひとつ理解はできないが、クライヴは隣国の風習を偏見で決め付けない。それは愚かな、戒められるべき短慮だ。
 (三国陣『偽神戦記 首輪姫の戴冠』、集英社、2014、p.136)


同じくファンタジー戦記作品でも、『天鏡のアルデラミン』辺りであれば、そんな風習は「非科学的」だとして切り捨てそうな場面ですが(そして私はそれが――「科学」という概念の使い方も含めて――あまり好きではないのですが)、本作ではいささか趣が異なります。
そもそも、「神」のリアリティが全く違います。本作の世界においては、魔法を使い、それによって代償となるものが失われるのは、櫓を漕げば舟が進むのと同じくらいに明らかな経験的事実です。神々との付き合いに当たって、そう簡単に「そんな生贄はいらないはずだ」とは言えません。

ただ、彼はこうも言います。

「何も知らないのは確かだが、これだけは言える。あんたの言ってることは理不尽だ。王族だからとか国のためだからとか生まれつき決まってるからとか、そんな理由で誰かを犠牲にしていいのか。それこそ傲慢だ」
 (同書、p.167)


純粋に論理的に言えば一貫性は欠くかも知れませんが、生贄に捧げられる宿命を背負った問うの少女を前にしての心情としては理解できますし、それが悪いわけでもありません。
ただし、これはまさしく「心情」ではり、単に合理性でないことには、注目せねばなりません。
だからこそ以下のような場面で「信仰」という言葉が出てくるのでしょう。

「なぜ、ソニアはソニアとして生まれただけで、生贄にされねばならないんだ。なぜ、神々とこの世界は犠牲を求め続けるんだ。――俺は、それに異議を唱えたい」
 (……)
「その思想は……大変、優しくて、異端的ですね」
「かもしれない。でもあるいは、百年後はこの考え方が当たり前になっているんじゃないかと思うんだ。……いや、俺はおそらくそう信仰している」
「まあ、信仰……」
 ソニアはあきれたように返した。
「いったい、どの神が貴方にそう仰るのです。ギガ神、それとも傲慢の竜神ですか?」
「未だ知られざる六番目の神かな。いっそ、ゲイルペール神と名づけようか」
 (同書、p.274)


彼は魔法の使い方においても、特定の神に生贄を捧げてその力を借り受けるというシステムの裏を掻く方法を見出し、活用しました。
まさしく神を欺き、神と人間の関係を転覆する主人公の物語だからこそ「偽神」戦記なのです。
しかし従来の神との関係を懐疑することは、新たな信仰と一体でもあるのです。――「ああではなく、かくあるべきだ」という信仰と。

今のところ、自らの権勢のためにソニアを生贄を捧げ、さらに人民にまで大きな犠牲を出そうとしているような連中が敵だから、まだいいのです。しかし、そのような生贄の使い方は竜主国クェス内においても正統なものではありません。
ですが、クェスが生贄を必要としてきたのは、竜神という強大な存在との付き合いの中で、それなりの理由があってのことなのです。
たとえば人民を救うためにソニアの供犠が必要だということになれば、クライヴはどうするのでしょうか。おそらく、裏を掻いて人民もソニアも救える逆転の一手を探すでしょう。しかし、どこまでもうまい話ばかりが続けられるものでしょうか。

2巻でクライヴが一時弟子入りしたジーナ師は、その危うさを諭します。

もちろん、魔法を使うと神々に生贄を取られるという、自然法則にも似た事柄と、その神々が人格的な存在であってその「怒りに触れ」たりするということは、また別の問題です。神を欺こうがどうしようが、可能ならばやっても大丈夫かも知れません。
しかし、相手が神であれ自然であれ、大それたことをやった場合のしっぺ返しも往々にして世の常です。

そして――今のところそこまで明言はされていませんが――おそらくこれは、ジーナ師のもう一つの指摘と一体です。

「軍師とは、愚かしき場において、愚かしき者たちを操らねばならぬ者じゃよ。策謀とは賢者が愚者を欺くすべではなく、愚者が愚者を惑わすことをいう。愚かしさを知れ、クライヴ。群れをなしたとき人がどれほど愚かになるか、それを操るために自らがどれほど愚かにならねばならぬかを」
 (三国陣『偽神戦記 2 雷火の帝国』、集英社、2014、p.180)


クライヴは「導く者が賢者であれば、無用の犠牲は出ないはず」と思います。
実際ここまでのところ、あからさまに私利私欲に走ったり弱者を踏みにじったりする連中が主たる敵なので、主人公側に大儀があるように思えます。
しかしその2巻では早速、勝ったとは言え少なからぬ犠牲の出た戦いの結果を前にして、クライヴたちは改めて戦うことの意義を問い質すことを余儀なくされます(死亡フラグの裏を掻き意表を突いた名前ありキャラの殺し方が、読者にも事態の重さを印象付けます)。

賢明なる王を立て、皆が賢者となり、幸福になれる世界を実現するという大儀ある戦い――(王が本当に賢者であり、その大儀が現実味を持ったものであろうと)それこそが多大な犠牲を出す、愚か者の道なのではないか……
これはクライヴの「偽神」に対する「信仰」への問い質しに結び付くことでしょう。

また、魔法とその代償という場面以外でも、神というものの存在がいかに感じられているかを示す描写もあります。
歴戦の武将が勇気とは「神々の加護」だと語る場面(同書、p.219)は、「神々」の確かなリアリティを物語っています。
それは自分が自分を超えたものに支えられているという実感であり、とてもないがしろにすることなどできない程に確かに感じ取られているものです。

にもかかわらず神を欺き、神と人との関係を揺るがす主人公は、どこへ向かっているのか、その代償と直面する日が来るのか、そこでどうするのか――

「神と人との関係」という問題が「戦記」にどう絡んでくるのかという、1巻から期待された方向性を2巻でちゃんと辿ってくれているので、今後どこまで突き進んでくれるかが楽しみです。

 ―――

ついでながら、少々気になるのが漢字にカタカナ西欧語のルビを多用した作中用語でしょうか。
ギガ帝国の用語は「秤の神官(プリースト・デア・ヴァーゲ)とドイツ語を使っていたりと、国によって言語を変えているのかと思いきや「工芸魔法(クラフツ・マジック)」はギガ帝国のものにも関わらず英語だったりと、どこまでこだわっているのかどうもはっきりしません。


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コメント

No title

戦記モノ低迷の00年代(私感です)を経て、再び戦記ブーム到来…なのでしょうか?

10年代だと
魔弾の王と戦姫
天鏡のアルデラミン
覇剣の皇姫アルティーナ
百錬の覇王と聖約の戦乙女

が現在のブームのトップランナーグループだと思うのですが、そこに割り込む潜在能力は十分にあると感じています

概ねブログ主さんと同意で今後一番気になっているのは戦記としての方向性です
現状のゲイルペール王国は、あくまでも竜主国の陰謀を頓挫させるための手段でしかなく、陰謀を潰したあとの先がかなり不透明な気がします

神と魔法が重苦しいほどリアルに世界を支配している中、奇計と戦場での発明と異端で名を残したというクライヴ…そして魔王という二つ名

軍師に魔王という二つ名がつくことはまずないですからね
妖精国で話題に出る“勇者”も気になりますし

おそらくは英雄王になるのだろう魔弾のティグルや百錬のユウト
軍師の立ち位置が明確な覇剣のレジスと違って、クライヴの未来はかなり不安です

冷静で理知的な主人公と、高貴で意思の強いヒロインが、力を合わせて神を欺く力で数百人の兵士を虐殺し、それを良しとする(しなければならない)流れはなかなかハードでした

上記の他3作品も充分楽しんでいますが、偽神を読むときはどっぷり世界観にはまり込むような感覚を受けます

作者のツイッターから察するに3巻執筆中のようですが、是非ともヒットして欲しい一作です

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
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