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力は使い方次第――『暗殺教室 11』

今回取り上げる漫画はこちらです。

暗殺教室 11 (ジャンプコミックス)暗殺教室 11 (ジャンプコミックス)
(2014/10/03)
松井 優征

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 (前巻の記事

作中でも2学期に突入しましたし、この機に『暗殺教室』の基本設定の背景にある前提を再確認してみましょうか。
椚ヶ丘学園は、落ちこぼれクラスであるE組を徹底して差別し、「あそこには落ちたくない」と生徒たちに思わせることで、勉強の動機付けにしています。
しかし、いかにE組だけは本校舎から離れた木造のボロい校舎にあろうが、「ボロい校舎でのんびりやるのもいいじゃないか」と生徒たちが思ってしまったら、この戦略は成り立ちません。
ですが、「“一部の”落ちこぼれクラスとその他のみんな」という対比がポイントで、この前提にあるのは「“みんな”の方に入りたい」という同調圧力なのです。
その証拠に、B~D組は同列、A組は優等生クラスという設定ですが、「A組の優遇」はそれほど強調されません。

子供たちにとって「勉強ができること」が必ずしもそんなに良いイメージでないのは、作者も作中の先生たちも周知の事柄です。
だから往々にして、「勉強ばかりやってる奴」「勉強しか取り柄がない奴」は被差別階級のごとくマイナスイメージで見られ、子供たちはそこに「堕ちたくない」がゆえに勉強しない、ということが起こるのです。
椚ヶ丘学園は「勉強ができない層」に徹底してマイナスイメージを押し付けることで、それを転倒することに成功しています。

そして殺せんせーもまた、勉強ができることは「素晴らしい」「カッコいい」ということをE組の生徒たちに教えています。
対照的でありながら多くの点で互いに通じる教育方針を見せる殺せんせーと理事長・浅野学峰の姿勢は、ここでも共通しています――ここまでは。

二分法というのは、物事を捉えるための便宜としては常に有効なものです。ただ本作は、「勉強のできる奴」と「できない奴」という対立を、本校舎クラスとE組の対比を通して移し換えるのです。
下に落ちることにおびえて汲々としている他の生徒たちに対し、差別待遇のE組にあってものびのびやっている生徒たちという対比に、そして同調圧力と「皆と同じでなくても、それぞれにやれば良い」という姿勢との対比に。
実際、殺せんせーは超生物ですから、超スピードで分身して一人一人の生徒をマンツーマンで見ることすらできます。マイナスい取られかねない個性に対しても、実害がない限りは寛容です。

けれども、無軌道に使えない個性を伸ばすことは、教育の本義ではありません。
力は、他者との関係の中で活かせるものでなければなりません。

というわけで、今巻のイベントは体育祭棒倒しでふたたびA組と対決することに。
問われるのはチームというもののあり方であり、リーダーの資質です。
E組のリーダーはイケメン(といっても中学生ですし、容姿は可愛い感じですが)磯貝君
何よりも「いい奴」で、皆からすかれる人柄の持ち主です。

磯貝君1
 (松井優征『暗殺教室 11』、集英社、2014、p.36)

他人がやったらマイナスイメージのこともプラスに転じる、それがイケメン。

磯貝君2
 (同書、p.38)

A組のリーダーはもちろん理事長の息子・浅野学秀
体育祭のためだけに世界中から留学生を集める人脈、語学力、カリスマ、そして手段を選ばないやり口、いずれも大人でもここまでできる人はわずかというレベルでしょう。

外人部隊
 (同書、p.51)

これでも皆15歳です。

とは言え、チームとしての団結はまた別問題。

ケヴィン
 (同書、p.74)

プロスポーツでもありがちですね、実力はあるけれど、日本の言葉にも文化にもチームにも合わせる気の乏しい「助っ人外国人」。
そもそも日本ではチームにも「家族」的団結を求め、余所者に厳しいという風潮がありがちです。
助っ人としてそのキャリアの一時期を日本で過ごすだけのつもりの外国人がそこに完全に同化するはずはありません。そこはある程度の割り切りも必要でしょう。
実際、しばしば問題を起こす外国人選手も、個人としては決して悪い奴ではなかったりしますし。
上のケヴィンにしても、後で彼のいいところも描かれているのが心憎いところ。

もちろん、浅野はそうした過度な家族的一体感を求めることなく、的確な指示を出せる将です。
陣形が分かりやすく図解されて、棒倒しの激戦が描かれます。

陣形
 (同書、p.75)

チーム作りでも指揮能力でも、そして個人で戦っての力でも圧倒的なリーダーの率いるチームに対し、E組のリーダー磯貝君が採る“弱者の兵法”とは――読み応えがありました。

しかし、好事魔多し――
着実に実力と自信を付けてきたE組の生徒たちですが、他方で殺せんせーの暗殺までの期限は5ヶ月と半分を切り、焦りもあります。
そんな中で彼らは、大きな過ちを犯してしまいます。

自信が過信に変わり、驕っての過ち、そして言い訳――中学生らしいとも言えますし、力を付けている時こそありがちなことでもあります。
しかし、力に溺れてはE組を見下す連中と同じです。ダークサイドに堕ちると言いましょうか。第一、力の劣る他人を見下す「嫌な奴」が、人間の集団の中で求められるでしょうか。それではいかなる力も活用の余地がありません。

力は使い方次第、弱い力も上手く活かせば強者を倒せます。それこそ「暗殺」の術です。
けれども「使い方」は同時に、目的をも問わねばなりません。他者のためになってこその力です。


かくて、過ちを埋め合わせ大切なことを学ぶため、E組の生徒たちは学童保育施設の手伝いに送られることになります。
中でもここでのポイントは、不登校児・さくらの登場。

さくら1

さくら2
 (同書、pp.158-159)

『暗殺教室』は学校教室ものであり、殺せんせーの主導する教育と、居心地のいい場所としての教室を描いている以上、教室の外での学びを描くのには限界があります。
さらには、そうした素晴らしい先生と教室に恵まれず、たとえばいじめを受けたりして学校が辛いと思っている子供にも、「学校が全てだ」と説くべきなのでしょうか。
「いじめ苦に自殺」というニュースが定期的に流れる中だからこそ、問うておく価値があります。

さくら3
 (同書、p.166)

そう言う「パパやママ」だって、無理して学校に行って子供が死んだらきっと後悔するはずです。しかし、後悔した時にはもう遅いのです。
渚の答えも――
そもそもこれは『暗殺教室』、暗殺者は正面から戦ったりしません。

今まで作品のコンセプト上盲点となっていたとも言える「学校が全てではない」学びをも描いて、本当に痒いところに手が届く気配りで、教育の多様な面を描いてくれる漫画です。

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プロとしての“厳しさ”とは何か――『暗殺教室 12』

今回取り上げる漫画はこちらです。 どうもこの『暗殺教室』に関して私は、発売日と帰省時期との関係か、実家で(PC環境の都合で画像upに不便を感じつつ)実家でレビュー記事を書いていることが結構ある気がしますが……。 ついでに、週刊誌となるとどうしても進行が早く、結構前に手に取ったジャンプの内容にまだ追いついていなかったり…… 暗殺教室 12 (ジャンプコミックス)(2014/12/...
プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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