オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
狂気が可視化される時――『姑獲鳥の夏 3』
『コミック怪』が休刊して掲載誌が季刊『怪』に移動し、結果として前巻から9ヶ月経ってしまいましたが、『姑獲鳥の夏』コミカライズの3巻です。
ちなみに、今までは2話で1巻になっていましたが、今回は3話で1巻になっています(ただし、第五鳴と第六鳴は連載では同時掲載でしたが)。
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(前巻については2014年1月の読書メーターに少々)
今巻でいよいよ、関口が京極堂に「久遠寺家の呪いを解く」ことを依頼し、京極堂による憑き物落とし、つまり解決編が始まります。
しかし、京極夏彦氏の小説の場合、そもそも解決編とはどんな事件が起こっていたのか明らかになる時でもあります。
とりわけこの『姑獲鳥の夏』の場合、この解決編に入って、全体の半分を軽く超えたところで、ようやく死体が登場します。
それまで問題になっていたのは、藤牧こと久遠寺牧朗(旧姓:藤野牧朗)氏が密室で姿を消したらしい、という事件です。
それとは別の刑事事件として、前巻で久遠寺医院における新生児連続殺人事件がありましたが、これもまだ疑惑の段階ですし、今巻ではまだ真相解明の対象にもなっていません。
裏を返せば、何が問題なのか分かるということは、事件の全体像と実態が見えるということなのです。
そしてこの「憑き物落とし」の過程は、狂気が明るみに出され、それが万人に通じる言葉で紡ぎ直される過程でもあります。
そこにおいて、関口が対する第三者ではなく、深く事件に絡んで、狂気を孕んでいたことも見えてきます。
再三言っていますけれど、京極堂や榎木津はエキセントリックではあっても根本においてまともであり、反対に関口は冴えない凡人でありながら狂っているのです(「まともでない/エキセントリック/キャラ立ち」の記事も参照)。
――ただし、一人称で綴られる原作小説に対して、漫画の絵というのは通常三人称視点で描かれざるを得ません。
主観的に構成された世界とその歪み――その歪みこそを狂気と言います――を描くのは、なかなかに難しいものがあるはずです。
とは言え、それはシリーズ中でも最もヴィジュアル化困難と思われた『狂骨の夢』のコミカライズに成功した志水氏のこと、見事にこなして見せます。
詳しいネタバレは避けますが、「あるはずのものが見えない」ことに関する伏線も、ちゃんと描いていました。



(京極夏彦/志水アキ『姑獲鳥の夏 3』、KADOKAWA、2014、pp.14-16)
何より、この表情です。
関口のこの件への入れ込みようは確かに行きずりの相手への感情移入を超えたものがあって、そこに狂気が孕まれているのですが、絵にされるとその過剰反応っぷりがよく伝わります。
はたまた、京極堂の言葉を受けた久遠寺家の人々の動揺っぷりも――


(同書、pp.51-52)
完結は次巻と思われます。
解決編に入ったのにまだ半ばというのも妙に思われるかも知れませんが、真相判明かと思いきやもう一転というのは、よくあることです。
最後はやはりヴィジュアル的に冴えると思われるので楽しみです。
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