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稀有な存在との小さな出会い――『虹色エイリアン』

今回取り上げるライトノベルはこちら、入間人間氏のまたも新作です。

虹色エイリアン (電撃文庫)虹色エイリアン (電撃文庫)
(2014/11/08)
入間 人間

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ページ数も360ページ超えと久々の分量ですが、内容的には章ごとに主人公の変わる4話構成の群像劇となっています。

第1話の主人公は女子大生のカナエ
アパートに忍び込む買い置きのひやむぎ泥棒を捕まえたところ、その正体は髪と瞳が虹色に輝く少女でした。言葉も通じないまま、弱っていた彼女を保護することに。
ややこしいことに、この少女が名前も真似してきたので、カニャエと名付けることになってしまいます。

 自分を指差す。そこで気づいたけれど、この子の髪に触れた指先に虹色が宿っていた。指の表面がゆっくりと色を変えている。なんだこりゃあを驚きながらも引くことはせず、ゆっくり名乗る。
「カー、ナー、エ」
 これで伝わるだろうか。女の子は目を丸くして、私を見つめてくる。
 そっちは? と手で促してみた。
 それを受けて女の子が自分を指差す、私と同じように。理解は早いみたいだ。
「あー、エー……カーニャーエ」
 いや絶対嘘だろう、と目を剝いてしまう。
 風習かなにかを誤解されたか、違う偽名だ。間違いなく即興の偽名を名乗っている。なぜ私とかぶせてきたかは分からない。それとも本当に単なるオウム返しなのか。
 手のひらを上に向けて、お前のことかと問う。
「カニャエ?」
「オー。カニャエ」
 しっかり頷かれてしまった。もうすっかりカニャエらしい。
 これが初めての意思疎通だというのに、感動より徒労が勝る。
 もうこれでいいや、と諦めるのに時間はかからなかった。
 かくして私はカナエであり、この子はカニャエとなったのだった。
 (入間人間『虹色エイリアン』、KADOKAWA、2014、pp.41-42)


世の中に同じ名前の人はたくさんいる、被っても問題ないと言えばそうかも知れませんが……
このどこか自分から距離を取ったような地の文は相変わらずです。

さて、この第1話は相手と言葉こそ通じませんが、カナエ視点のパートとカニャエ視点のパートが交互に描かれるので、カニャエが地球に不時着した宇宙人であることは異論の余地なくはっきりしています。
日本語を教えたり、スーパーまで競走したりの緩やかな交流。
しかしやがて別れの時がやってきます。
非日常的な相手との出会いと切ない別れという、オーソドックスなジュブナイル小説のような物語でした。

第2話の主人公はエイリアンに寄生された青年
このエイリアン、一応人間の女性の姿をとるものの、腹から(それ以外のところからでも可能ですが)生えてくるのですから、相当にグロテスクです。
おまけに、2年後には地球を滅ぼすとの話。
だからといってどうすることもできない、というのもさることながら、氏の作品の登場人物ならではの独特の淡々としたテンポで、そもそも主人公はエイリアンを出し抜いて世界を救うために必死になる、という方向に向かいません。
とても歓迎はしないながらにエイリアンとの共同生活に馴染んでいき、そんな中で死にたくないから地球を助けてくれないか、と言えば、逆にエイリアンに問われてしまいます。

「生きてどうする?」
 問いかけは、星の命と比べても小さくはないものだった。
「生き残ったとしてお前は一人だ。これからもそうだろう」
「……そうだな、それで?」
「子も成さない、偉業も成せない。お前は、生きてなんになる?」
 真摯な目で、生きる意味を述べよと迫ってくる。
 誰もが一度は足を踏み外すような深い疑問の谷に、エイリアンに突き落とされそうになるとは思わなかった。俺に生きている意味なんてあるのか? 親元にいて一人で布団をかぶっているとき、暗闇の中で自己嫌悪と共に訪れるそれと戦うこともあった。
 (同書、pp.205-206)


それに彼が何と答えたか、そしてそれはエイリアンにどう届いたのか――
その答えが他人に対しどう響こうと、本人の中では確かに意味がある、生きる意味とはそういうものかも知れません。

第3話の主人公は、第1話のカナエの友人である女子大生の猿子。彼女の家に訪れたのは宇宙人のボストンエビのような顔の宇宙人です。
マイペースな彼女ですが、なぜか地球人には知覚できない迷彩を纏っているはずのボストンの姿が見えるのでした。
ボストンが地球にやってきた理由も、第2話のエイリアンが2年後に地球を滅ぼすことに関連しているというのですが――
全体に間の抜けた(しかし察するところは察する)猿子とボストンのやりとりが楽しい。

「ほ、滅びるんスか!」
「二年後の話だが。あー。地球人類でいうと、来年の話をするとオニが笑うというやつだな」
 笑えるか。真顔でそう否定したくなる。
 二年後って、大学も卒業できないまま死んでしまうのか。思ったよりずっと早い。じゃあこれから学費払うのどうしよう、と真っ先にそんなことを検討してしまうのは現実逃避なのか、それともわたしのお脳がそんな具合なのか。多分、お脳のせいだった。
「なんで滅びるの?」
 まさか宇宙人がいっぱい攻めてくるんじゃないだろうな。そう、目の前の宇宙人が。
「隕石……のような物体が衝突して滅亡するという観測情報が出ている」
「隕石もう落ちたよ! どかーんって火の玉みてーなの!」
 じたばた手を振って、でもわたし生きているぜと主張する。
「それの凄く大きいやつが降ってくるのだ」
「す、凄く大きいってどれくらい?」
 これくらいか、と両腕を横にめいっぱい広げる。
 宇宙人が顔を左右にゆっくり動かしてわたしの腕の両端を眺めた後、冷めた声で言う。
「きみは想定よりも知性に欠けているのか?」
「うわひでぇ」
 カナエだったらここで握りこぶしをちらつかせるところだ。
「私の役目は観察だからな。客観的に評価する必要がある」
「追い打ちはやめてー」
 (同書、pp.239-240)



第4話の主人公は、小学校時代に宇宙人を自称する少女と出会い、謎の道具を託された青年。
この話は短いものですが、最後にちょっとした驚きが待っています。

4人の主人公は皆同じアパートの住人で、それぞれの物語は密接に絡み合っています(なぜ一箇所にそんなに宇宙人が集まるのかも、一応の説明があります)。
だから前の話の真相が後の話で分かることもあるのですが、それほど衝撃的なトリックの類はなく、全体に分かりやすい話です。
そして、それぞれに出会いと別れがありましたが、エピローグはやはりカナエとカニャエの切なさを含んだガール・ミーツ・ガールに帰着する感じですね。
他の宇宙人と違って地球人そっくりの姿は愛着も沸きますし、何より任意で来ている宇宙人や、去ってくれた方が地球にとっても有難い宇宙人と違い、望むと望まざるとに関わらず去らねばならない宿命というのが、ベタながら感慨を抱かせるポイントです。
寿命のことを思うと二人が再会できる可能性は低そう、しかし確かなことは分からない――

髪の色に特徴がある宇宙人の少女、というと同作者の作品では『電波女と青春男』を思い出すところですが(イラストレーターが『電波女』と並ぶ入間氏の代表作の担当絵師であった左氏というのも「左版で電波女をやるのか」と思わせるものがありました)、作品の毛色は大きく異なります。
本当に宇宙人がいるのかどうかも漠然としていた『電波女』と違い、宇宙人が宇宙人とはっきりしているのもそうですし、一時的に地球を訪れて去っていく宇宙人との別れまで含んだ物語であるのもそうです。
また、地球人にそっくりなカニャエとは言葉が通じず、他の宇宙人は感情的な交流からは少し遠いところにあるというのも、相手が人間でなければこその距離感を感じさせます(とりわけ寄生型エイリアンは、地球を滅ぼす理由も自分が「そういう生物だから」としか言わないところに、理解を超えた怖さがあります。言葉や思考形態が通じるのも、寄生した人間から得たからだと思われますし)。

ですが加えて、男主人公の話は相手が寄生型エイリアンの話と一番短い話で、メインはガール・ミーツ・ガールにあるというのが、大きなポイントではないでしょうか。
『安達としまむら』のように百合作品というわけでもないので、もちろん恋愛ではなく、友情といっていいのかも微妙な、独特の感情があります。

思えば、入間作品の男主人公は女の子に対し強い思い入れで突っ走るケースが(全てとは言わぬものの)多いですし、女主人公で恋愛要素を遠ざけてこそ、この淡い感傷の味わいが出せたのかも知れません。

入間氏の作品はどんな世界観でも、その生活風景は現代からあまり変わりませんし、それは宇宙人の人間性に関しても然りです。人間との隔たりや怖さを感じさせる宇宙人がいても、氏が「隔たりや怖さを感じさせる狂気を持った人間」を描いてきたので、宇宙人ならではとまでは生きません。
(これは地に足の着いた生活感という長所でもあり、SF的には短所でもあります)

それでも本作では分かりやすい「宇宙人らしさ」を描いています。
そして、宇宙人との遭遇という、十分にとんでもない体験をして、人知れず地球を救うに至っても、登場人物たちはそんな素振りを感じさせず淡々と、日々の些事を巡って生きています。
そうした日々の生活に立脚するからこそ、確かな価値のある小さな出会い――そんな物語だったと思います。


イラストレーターはデビュー作からのコンビである氏、『昨日は彼女も恋してた』/『明日は彼女も恋をする』以来3年ぶりの入間氏とのコンビになります。
ただ、表紙とカラー口絵以外のイラストは、各章の扉に下のようなごく簡素な絵があるだけで、本文中のイラストは無し。
内容(大学生主人公、恋愛要素は極小)に加え、作りまでメディアワークス文庫に近い感じです。

虹色エイリアン 扉

関係あるのかどうか分かりませんが、左氏がイラストを担当したライトノベルは『ささみさん@がんばらない』も基本的にイラストを章扉に絞った構成でしたし、イラストレーター側の信条も関係あるのかも知れません。


余談ながら、高橋弥七郎氏の新作と主人公の名前が被っているのは――

カナエの星 (電撃文庫)カナエの星 (電撃文庫)
(2014/08/09)
高橋 弥七郎

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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