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この絶対的に非対称な状況をどう読むか――『この恋と、その未来。 -一年目 夏秋-』

先週は色々ありました。
まずは日本学術振興会の特別研究員採用に関する面接。
ふたたび東京まで行って面接を受けてきました。面接の部屋は「人文系」「社会科学系」「自然科学系」などに大まかに分かれており、部屋の前で待っていると私の前の人が日本近現代美術史について発表しているのが聞こえてきました。
つまり、人文系であれば美術史でも哲学でも一括りに同じ部屋、同じ審査員ということです。
審査員は15人いるので(資料は15部求められます)、各分野の先生方が集まっているのだと思われますが。
――と言うか、審査員の一人がよく知っている京大の先生でした。お陰でその先生の授業が休講の理由は分かりましたが。

去年とそう内容は変わっていませんし、去年で学習した……つもりでいると、やはり審査員が違えば質問は違うんですね。決して高度なことを聞かれているわけでなくとも。
あまりきちんと答えられぬまま途中で時間切れ打ち切りとなった去年よりはマシだった気はしますが、どの程度説得力のあることが言えたかというとあまり自信はありません。


そして、昨日は思想文化研究会という、私のいる研究室の院生が中心になって始めた学会で発表してきました。

 第2回学術研究大会 - 思想文化研究会
 (こっちでは実名で出ています)

「○○における△△」といったトリヴィアルな専門研究ではなく、学際的な研究の場を目指す学会だということなので、私もこのブログで書いているようなサブカルチャー批評寄りの話と哲学研究の間を目指して、「キャラと人格性」という(他の学会ではまず出すことがないであろう)お題で発表させていただきました。
まあ大部分はブログと専門研究の使い回しなのですが。
あちこちで宣伝しても結局、集まる人数はたかが知れていましたが、概ね好評だったようで何よりです。
こちらも発表および質疑応答の時間が長いとは言えませんが、全部合わせて10分の学振面接に比べると余裕を持って話すこともできましたし。

 ~~~

さて、今回取り上げるライトノベルはこちらです。

この恋と、その未来。 -一年目 夏秋- (ファミ通文庫)この恋と、その未来。 -一年目 夏秋- (ファミ通文庫)
(2014/11/29)
森橋 ビンゴ

商品詳細を見る

 (前巻の記事

本作は、高校に入学したところ、寮のルームメイトが性同一性障碍(GID)の女の子(心は男)だった、という境遇の少年・松永四郎を主人公にした物語。
今回は夏秋ということで、まずは夏休みから。
夏のイベントとして、四郎と未来が和田香織(わだ かおり)三好沙耶(みよし さや)クラスメートの女子二人と一緒に旅行に行きます。
もちろん、未来は女の体であることを隠している手前水着にはなりませんが、女子二人の水着はカラーできっちり描かれます。

そして恋模様。それぞれ和田は未来のことを、三好は四郎のことを好きなようですが、しかし未来を好きな四郎の胸中は複雑です。
もちろん、未来が自分に振り向くことは決してないと分かっているので、その想いは一人胸中に秘めておこうと決心しているのですが、しかし「せめて誰のものにもならないで欲しい」と思ってしまうその心境……

秋は文化祭。しかも何を間違ったか、男たちが女装することになります。
1巻の時に、イラストを見るとどっちが女でも通りそうだというか「四郎は女装できそう」と書いた私としては、カラー口絵で四郎の女装姿を見た時に「作者も同じことを思ってのネタか!?」等と考えてしまいましたが……まあいいでしょう。

とはいえ、もちろんこうした事柄はデリケートなものを含みます。
心は男であり、自分が女の体であることに強い違和感を抱いている未来だからこそ、「いいお嫁さんになれる」とか「女子力高い」とか、普通の男相手ならば軽口で済みそうなことにも明瞭に気を悪くします。
そういう機微は、1巻に引き続き丁寧に描かれています。

そして、未来は同じ学校の女子相手だと体のことがバレるリスクが高いからと付き合うことは避けているため、クラスメートの和田さんに関しては大丈夫かと思われましたが、新たな出会いもあり……
そんな中、四郎も未来への想いを振り切らねばならない、と決断します。

単に「報われない恋」であれば、それは青春によくある光景でしょう。
ただ、その恋を伏せたまま、未来とは「男友達同士として」付き合い続けねばならないのが、四郎の境遇の辛いところ。
彼は「失恋」して区切りを付けることができないまま苦しんでいるように思われます。

そして、そうした悲痛な想いもまた、実によく伝わるように描かれています。

確かに、四郎は波風を立てず、このまま吹っ切ろうとしています。
とは言え、今巻は夏秋を一気に消化したので、巻数にして全何巻になるかは分かりませんが、物語はちゃんと3年分用意されている様子。このままずっと表向きは静かなまま、とは思えません。

さて、本作は未来を「ヒロイン」として見た場合、微塵も主人公に気がなく、四郎を三好とくっ付けようとしたり、無邪気に他の相手について好きだの告白されるのするのと言っている未来のことがもどかしく、ともすれば苛立たしくもあるかも知れません。
もちろん、四郎に感情移入すれば、見えるのは「恋」も、女の子に囲まれた日々も徹底して辛いものになる有様です。
他方で、「ヒロイン」が主人公以外の男と付き合えば、それは「寝取られ」(スラングでは略して「NTR」)と言われてオタク系コンテンツではタブーと言っていいくらいに嫌われる展開ですが、「どうせ女同士じゃないか」と思えば、気分を和らげ、未来が他の相手と付き合うことを辛く思っている四郎の心情からも多少距離を取ることができるかも知れません。

しかし、それらはいずれも、未来を「女」として見ることに立脚した読みです。
本作はむしろ、そうした読み自体を問い質すポテンシャルを持っているのではありますまいか。

私は1巻の時点で、性同一性障碍というテーマの扱いに関しては評価を保留せざるを得ませんでした。
それは基本的には今回も変わりません。どうも話を最後まで追う必要がありそうです。
ただ、比較的地に足が着いた形で性同一性障碍というものの重さを描きつつ、同時に未来を「独特の可愛さを持つキャラ」「ヒロイン」としても見ることができるような話を描いた甲斐が真に発揮されるのは、そうした二重性によって読者の読みそのものを問い質すことによって、ではないかと思われるのです。


ついでながら、本作1巻の帯の煽り文句は「恋は、心でするのだろうか? それとも、体でするのだろうか?」でした。
ただ、よく見ると、このフレーズは決して恋の切なさや抗いがたさを語ったフレーズではないのです。
本文中の当該箇所はこうです。

 人は、どこで恋をするのだろう。
 不意にそんなことを、思った。心なのだろうか。それとも、体なのだろうか。
 たぶん、人に聞けば、心と言うだろう。恋心という言葉はあっても、恋体なんで言葉はない。だけど、もし、体が恋をするのだとしたら、この先、女の体を持つ未来が、俺に恋をするということも、あり得るということだろうか? たとえ、心は、男でも。
 そんな邪な考えを思い浮かべた自分に嫌気が差し、俺は小さく首を横に振って、未来の肩を揺すった。
 (森橋ビンゴ『この恋と、その未来 -一年目 春-』、KADOKAWA、2014、pp. 306-307)


ご覧の通り、これは実は、四郎が自分に都合のいい妄想をする文脈で出てきたフレーズなのです。
「心は拒んでも体が反応する」では、発想としてはレイプ物のポルノと変わりません。
もちろん、自分に都合のいいことを考えてしまうのは仕方がないですし、それを「邪な考え」としてただちに振り払っている辺り四郎は誠実で、不快なところはあまりありません。

ただ、こう考えると、この問いは退けられるところまで含めてはじめて、本作を体現していると言えるのではないでしょうか。

今巻でこの問いが再登場した箇所を見ると、まただいぶ文脈は違っていますが、私のここまでの読みは覆りはしませんでした。
今度は、四郎が三好と接触した場面です。

 けれど今、俺は三好と手を繋いでいて、未来と体が触れ合った時と同じような、混乱と緊張と喜びが混ざり合ったような、複雑な感情を、抱いている。もしもこの感情が、俺が未来に抱いた感情と同じなのだとしたら、それは、俺が三好とことを好きだということなのだろうか。だったrそれは、俺が未来のことを好きではなくなったということなのだろうか。
 未来を好きになった時、俺は思った。恋は心でするのか、体でするのか。もしも体が恋をするのだとしたら、俺の体は三好を望んでいるということなのか。
 (森橋ビンゴ『この恋と、その未来。 -一年目 夏秋-』、KADOKAWA、2014、p. 274)


ここでは、最初の時ほど「心か体か」を問う意義ははっきりしません。なぜ「俺の心は三好が好きなのか」とは問わないのでしょうか。
それはまず、その感情は身体的な接触をきっかけにして抱いたものだ、ということがあるでしょう。
そしてもう一つ、「未来のことを好きではなくなった」とは思えない、しかし同時に二人の相手を本当に好きになるなんて……という純真さゆえに感じるアンビバレンツな想いを、心と体の葛藤に投影しているように思われます。
そしてここでもやはり、「未来のことを好きではなくなり、三好を好きになれば、それが幸いだ」という願望が表れています。

この問いはテーマとなるような問いなのか、それともむしろ、願望に沿った答えを呼び込むための出来レース的な問いなのか――しばし考えてしまうわけです。

しかしさらに考えるなら、四郎としては「恋は、心するのだろうか。それとも、体するのだろうか」と問いたかったのかも知れません。
実際、今巻では――当然と言うべきか――この問いが出てきます。

 そう考えて、同時に、だとしたら、俺はただ未来の外面だけが好きなのだろうかと思った。未来の性格とか、心とか、そういうものは抜きにして、俺はただ、未来の顔と、体とに惹かれているだけなのだろうか。
 そうではないと、思いたかった。自分がこの半年の間、抱いている感情は、そんな安っぽいものではないと信じたかった。けれど、どう考えたって、未来の顔と体ではない未来に、同じ感情を抱けるような気は、しない。
 (同書、p. 204)


体だけが好きだなんてことはないと思いたい――これまた若く純真ですが……
1巻の時に言いましたが、四郎と未来の間には鏡像のように共通する想いがあって、それがお互いを共感できる近しい相手にしています。それは「恋」に関するなかなか根深い問題意識のように思われますが……
ただ、ことこの点に関しては、両者は絶対的に非対称です。
四郎が未来の体“に”恋をしても、未来がその(女の)体“で”四郎に恋をすることはあり得ません(あったら、それはやはり奇怪な接ぎ木だと評価せざるを得ない可能性が高いでしょう)。
肝心なところでの届かなさ、それがおそらく本作の核心でしょう。

その上で今巻終盤では、四郎は「心が好きなのか体が好きなのか」という二項対立を越えて、自分は未来の何が好きなのか、一つの答えを見出してもいるようですが、しかしそのことで事態は何も変わりません。
破綻の気配も忍び寄る中、さてどうなるか……次も期待させていただきます。


なお、さらに余談ながら、未来の脚や胸という女性的セクシュアリティをあえて強調した表紙絵も、手放しには褒められないものを感じます。
まあ、いかにも女性的な服装でも媚びたポーズでもなく、同室の四郎ならばしばしば見せられている姿なのでしょう。
しかしそこにあえて屋外の背景を添えるという、作中では考えにくいこの状況設定。
留学生に見せても「なるほど女の子がちょっと……エッチとは言わないけど艶めかしい感じで」と、これがライトノベルなのね、とすぐに理解してもらえるのを経験すると、改めてこの表紙がいかに未来を「女の子」として売り出しているか実感させられます。
1巻の時に見た「『東雲侑子』コンビ新作」という煽りと、それもあってか「前作のようにいちゃいちゃする」のを期待している節のある一部読者の反応を見ても、微妙な気分にさせられます。

帯(1巻の「恋は、心でするのだろうか~」)も表紙も煽り文句も、売るためにインパクトのあるものを選ぶのは間違ってはいません。が、読者としては慎重に受け取りたいものです。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

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実名での仕事
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