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この設定で何ができるのか――『オレのラブコメヒロインは、パンツがはけない。』

今回取り上げるライトノベルはこちらです。
第27回ファンタジア大賞の「銀賞」受賞作品です。

オレのラブコメヒロインは、パンツがはけない。 (富士見ファンタジア文庫)オレのラブコメヒロインは、パンツがはけない。 (富士見ファンタジア文庫)
(2015/01/20)
佐倉 唄

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主人公の及川弥代(おいかわ やしろ)は女子嫌いの男子高校生。
そんな彼はある日、クラス委員長の美少女・星宮奈々(ほしみや なな)がノーパンなのを見てしまいます。
「屈折のデザイア」という怪現象により、パンツを穿いても5分で弾け飛んでしまうという彼女。弥代は彼女の秘密(ノーパン)を知ったことから、この秘密を守るために彼女に協力することになります。

しかし――
結局、本作における「ノーパン」は、秘密の共有と協力によって主人公とヒロインを接近させるため、つまりラブコメのための道具立てにしかなっていないように見えます。
奈々がノーパンを隠すために工夫と努力をしている気配があまり見られないのもその一端ですが、要するに「“パンツが穿けない”という事態があったらどうなるか、人は何をするか」についての考察が足りないのです。

似たようなネタでは『パンツブレイカー』という優れた先行作品がありましたが、こちらは「パンツを消す能力」が人の生き方にいかなる影響を与えるか、それに対していかなる対策を練るか、をじっくりと真剣に考察しています。
『パンツブレイカー』の場合、自分が穿いているパンツだけでなく半径2メートルに影響があるので、「それによって生じること・できること」の幅がかなり広くなりますし、研究と対策が組織的に行われているという違いはありますが、それを差し引いても、題材の活用という点でひどく見劣りしてしまいます。

「パンツが穿けない」はラブコメのためのマクガフィンである――としたら(実際、筋だけ見るとそう言ってもいいくらいなのですが)、それはマクガフィンにしてはあまりにも濃すぎるという問題が生じます。
あとがきを見ても、彼女がノーパンであることは最初から変わらず、「ノーパンにする理由」を改稿段階で随分と推敲したというのですから、それなりのこだわりはありそうなのですが、結局探求が甘いのが残念です。

同様に、「ノーパン」に対するフェティシズムや変態性の追究が見られるかというと、これも乏しいものです。
性癖の追究もやるだけたれば面白くなり得るのですが、本作にその気配はありません。

さらに引っ掛かるのは、主人公の女子嫌いです。
まあ、彼の言い分だけ見れば、それなりに分かります。
そして彼の幼馴染である遠野理央(とおの りお)(男の娘)がその言い分を理解してくれる存在であるというのも、「女の子より可愛い男の娘」というポイントに触れているでしょう。

「だって女子って俺から見たら頭のネジ三五本ぐらいは外れてるしな。九人の男子が真面目に掃除していても、たった一人の男子が遊んでいるだけで『ちょっと男子! 真面目に掃除してよ!』と騒ぐし。逆に自分たちがサボっていると『私たちは忙しいの』って自分を正当化。なにがどう忙しいかを聞くと『男子には関係ない!』って煙に巻く。ハッ――馬鹿じゃねぇの? 一緒に掃除してんだから関係ないわけないだろ」
 若干引いたような、こいつ性格悪いな~って思ってそうな顔をする茜。
 一方理央は女の子らしくても中身は男子のため、俺の悪口に少し共感しているふうで、
「まあ、その怒りはボクにも共感できるところがあるな~。女子って感情的で自分のことを絶対的な正義としか考えてなさそうだし」
 (佐倉唄『オレのラブコメヒロインは、パンツがはけない。』、KADOKAWA、2015、pp. 10-11)


しかし、それにしても弥代は誰彼構わずこれを語りすぎます。
まあ、訊かれたから答えるのは分からないではないにしても、何よりも引っ掛かるのは、彼がこれを理屈立てて語っており、女子嫌いになった原因たる小学校時代の「トラウマ」に関しても、明確に自覚していることです。
しかし、これは「トラウマ」でしょうか。
トラウマというのは、それ自体としては記憶の底に隠れ、原因不明の感情として発露する時に、もっとも力を発揮するのであり、むしろ原因となった出来事を自覚すれば症状は和らぐのではないでしょうか。
「特定の女子に特定の酷い目に遭わされた」記憶は、当該の特定女子に対する悪感情にこそなれ、そのままで「女子一般のイメージ」への嫌悪に結び付く理由はないからです。

――というのはいささかフロイト流の「抑圧」理論に偏した見方かも知れませんが、少なくとも弥代は理知的に女子を断罪してばかりで「頭では彼女は大丈夫だと分かっているけれど、嫌悪が湧いてしまう/目の前の彼女が裏切るイメージが見えてしまう」といった場面がないので、あまり「トラウマ」に苦しんでいるように見えないのは事実です。
つまるところ、感情で女子を「嫌って」いるというより、女子を避けるために理屈を捏ねて言い訳をしているような印象です。

いや、実際そのことは、終盤で指摘されはします。
しかしその時も、「それだけのことを言うために、あまり愉快でもない過程が長すぎた」という感をまず抱いてしまいました。

それから、ホモネタですね。
弥代は「女よりも理央の方がいい」と言ってやたらと理央への愛を公言しているため、周囲からホモだと言われています。
「ホモ」を悪口として扱い、彼に敵意を持つクラスメイトが「ホモのくせに」とか言うのは確かに差別的ではありますが、まあ悪口まで政治的に正しくあるべきだ、とは言いますまい。そうした使い方をされる場面は現実にもあり得るわけですし。
しかし、以下の場面は看過できません。

「ホモはキモイからね!」
「ガーン!」
 茜がホモを揶揄すると、なぜか理央がショックを受けた。にしても感嘆詞を口に出すなんて、理央も中々古典的なショックの受け方をするんだな……。
 (同書、p. 44)


明らかに、この差別的な発言で一番傷付くのは本当の同性愛者と思しき理央です。

弥代、茜、理央の三人は幼馴染です。
この戯画的に描かれている「古典的なショックの受け方」の描写は、これが気安い仲での軽口で、本当に傷付いてはいないことを示しているのかも知れません。
ただ、「気安い仲での軽口」というのは、それがどのくらい相手を傷付けるかよく分かった上で言われるものでしょう。
その点、弥代を「ホモ」と罵倒する誰も、それが横にいる理央に対して持つ意味を自覚していないように見えます。

それでいて、これが酷い発言としては描かれていない、「茜は悪意のないいい奴だ」と扱われていることに、作者の無自覚さが透けて見える気がして、引っ掛かるのです。

後は、「民俗学」をオカルトバスターのように都市伝説を研究して対策を立てる学問として扱うのは、やはり大塚英志氏の(悪)影響でしょうか……

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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