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性癖を巡る対話――『簡単に彼を変態とは呼べない』

今回取り上げるライトノベルはこちら……と言いたいところですが、今回は出版された作品ではありません。
一迅社文庫大賞 New Generation Award 2013(リニューアル第2回)(※)で奨励賞を受賞したものの、出版するには内容的に問題が多すぎて Web 公開という形になったといういわくつきの作品です。

※ 一迅社文庫大賞のページだと「2013」ですが、本作の公開ページはもちろん同期受賞作『恋すると死んじゃう彼女に愛されすぎると俺が死ぬ』の帯でも「2014」になっています。よく分かりません。

簡単に彼を変態とは呼べない

Web 公開ページはこちら → 簡単に彼を変態とは呼べない

主人公は乙姫留々子(おとひめ ととこ)、(後述しますが)女子中学生と思われます。
片想いの相手だった伊南楠臣(いな くすお)に告白したのですが、対する彼の返答は――

「おしっこを見せてほしい」
 (福本丸太『簡単に彼を変態とは呼べない』p. 4)


というわけで、出版できなかった理由はもう明らかでしょう。

いくら覚悟を決めていようと、彼がそんな人だと知ればショックです。逃げ出したくもなります。
しかし、考えた末に乙姫の方も、ずっと伊南君をストーカーしており、住所やアドレスまで調べ上げていたことを告白(彼女のストーカーについては、クラスメイトにも知られていました)。
かくして、尿フェチの変態とストーカーはいかに自らの性癖を妥協し、いかに相手を容認するかの話し合いを行うことになります。

 恋人同士のやり取りなんて甘いものは通じない異文化交流。こんな怪物を相手に、私は一体どう立ち向かえばいいんだろう。
 (同、pp. 43-44)


「おしっこしてるところを見せる」プレイの本番をやるならば、それは限られたマニア向けのアダルト小説にしかなりません。
本作はそうではなく、延々と二人の対話を展開します。むしろ、ほぼ対話しかありません。
ですので、直接的なエロもありません。

一体、伊南君のフェティシズムは何を求めているのか――尿そのものではなく、お漏らしでもなく、プライヴェートな空間を見ることに意義がある、それも自分を好きだと言ってくれた相手だから、というこだわり。その背景にある欲望とは。
そして人は何を容認できるのか。羞恥心とかいうよりももっと根本的な理由。
そんな問いが対話の中で延々と探求され、一度に答えは出ません。

たとえば、伊南君が性癖を告白する前に交わされた会話を振り返ってみると――

「僕と乙姫さんの気持ちはイコールじゃない。こんな気持ちで付き合ったら乙姫さんを傷つけることになるんじゃないかって、それが不安なんだ」
 伊南くんは葛藤に苦しんでいる。でも私には未来がバラ色にしか見えなくて、気持ちの後出しなんて全然気にならない。
「そんなの考えなくていいよ! だって私が好きで、私が付き合いたいんだもん。それにそれを言ったら、世の中の恋人同士はみんなお互い同時に好きにならなきゃいけなくなっちゃう。そんなのおかしいよ」
 たとえ伊南くんが私にひとカケラも愛情を持っていないとしても、それで構わないと思う私のほうこそ不純なんだと思う。でも純粋でいるより欲しいものがある。
 (同、pp. 10-11)


だったら伊南君としては、普通に付き合っておいて、その性癖を満たす機会を待つ手もあったはずです。
その場合、そこまで拒否されない状況を作り得たかも知れません。
それと最初に「おしっこを見せてほしい」と宣言されるのとでは、一体何が違うのか――ここには存外ラディカルな問いがあります。
ひとたびそこから始めてしまうと、普通のカップルらしい付き合いをしようとしても常にそれが付きまといます。

はたまた――好きな人が変態だと知れば一転引いて逃げだそうとするならば、実は「好き」だったのは「自分の中で構築された彼のイメージ」だったのか。
これも様々なところで問われてきたテーマですが、この点についても話はそう単純でないことが語られます。何しろ乙姫はストーカー、本当に「自分の思った通りの彼」を求めているならもっと暴力的なやり口もあり得たわけで――

性的倒錯者の葛藤等を描いた文学には、それなりの歴史があり名作が存在します。
本作には、その末席に加えても見劣りしないだけのものがあるのではないでしょうか。
なおかつ、それをまさしくライトノベル的な軽妙な会話に落とし込んでおり、あまり葛藤の重さを感じさせず、楽しく読ませるだけの筆力もあります。

展開される分析は妙に理知的で、お互い相手の行動の異常性については冷静に指摘できるのに、伊南君はおしっこに関して一歩も譲らず、乙姫は自分のストーカーとしてのヤバさにしばしば無自覚な辺りも笑える一方で説得力を感じさせます。
主人公(語り手)が女の子の方であるのも、――男の方が地の文でこの性癖を語ったら気持ち悪いだろうと考えると――ちょうどいいバランスでしょう。

ただ――
本作は「対話篇」ではあっても「物語」ではないんじゃないか、とは思いました。
何しろ、名前のある登場人物は二人、ほとんど会話しているだけです。
二人の心的距離の動きはラブコメ的ストーリーと言えるかも知れませんし、日常系コンテンツにはほとんど会話ばかりというケースも珍しいものではありませんが、ただ作者の今後のことを考えると、――ネタのマニアックさはさておいても――ストーリーのある長編を仕立てられるかどうかが、一つの試金石となりそうです。

総ページ数が90ページ弱と、単行本1冊の3分の1くらいであることも関係しているでしょう。
受賞時のデータを見ると、あらすじには「その秘密をクラスメイトに知られてしまい……!?」とあるのですが、公開されたバージョンにはそれに該当する部分が見当たらず、また七月隆文氏の評に「本来は短編向きと思われる題材を引き延ばしたことによる無理も出ています」とあるので、改稿で内容を削ったものと推察されます(投稿作品は、単行本1冊に相応しい量となるよう規定があるはずですから)。
本作に限って言えば、それで良かったのかも知れませんが。


ところで、進学先として「男子校だけはやめてもらおう」(同、p. 73)という記述があることから、これは高校進学の話、つまり彼らは現在中学生であることが分かります。
色んな意味でレベルが高すぎます。


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さらに余談ながら、人が「愛して」いるのは「相手そのもの」なのか「自分の中で構築された相手のイメージ」なのか、というテーマと言えば、私の場合思い出すのはグレッグ・イーガン「誘拐」(『祈りの海』所収)、それに『わたしと男子と思春期妄想の彼女たち』でしょうか。
昔はイーガンは凄いなと思っていたんですが、今は必ずしもそうでもなかったり。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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