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人間交流の明と暗――『黒崎麻由の瞳に映る美しい世界』

今回取り上げるライトノベルはこちら、ファミ通文庫の新人作品――第16回えんため大賞「優秀賞」受賞作品です。

黒崎麻由の瞳に映る美しい世界 (ファミ通文庫)黒崎麻由の瞳に映る美しい世界 (ファミ通文庫)
(2015/01/30)
久遠 侑

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その名がタイトルにもなっている本作のヒロイン・黒崎麻由(くろさき まゆ)は女子高生ですが、全くと言っていいほど口を聞かず人と関わらず、教室の片隅でじっとしている少女です。
いくら人と交流がなくても、普通は机に突っ伏したり本を読んだり携帯を弄ったり、何かしているものですが、黒崎は授業中以外は本当に何もせず、ただじっと座っていました。
教室の皆も、そんな彼女のある種不気味だけれど品のある雰囲気に押されて、彼女に声をかけることができないでいました。
しかし、文化祭の準備期間にあって、主人公の黒井君は作業に参加するよう黒崎に声をかけました。
これが成功。どうやら、極度の引っ込み思案なのか自分から積極的に動くことはできないけれど、ずっと作業が割り振られるのを待っていたようで、別に付き合いを拒否しているわけではありませんでした。
気立てのいい級友の赤城君や白石さんも交えて、徐々に黒崎と打ち解けていく黒井。

他方で、学校に不審な侵入者が出るという噂があり、クラスメイトの山田君は何かとそれを調べているのですが……

話の大きな軸は、黒崎麻由というヒロインが学校生活に馴染み、友達との交流の良さを知っていく過程にあると言っていいでしょうか。
極端に無口で無表情、携帯電話やファストフード店といった現代生活のごく一般的なツールを知らず、家にもほとんど生活感のない黒崎麻由は、綾波レイや長門有希といった無口・無表情ヒロインの系譜を思わせます。
もちろん、黒崎や綾波や長門のように作られた存在だから感情を持ち合わせていなかったのではなく、普通に人から生まれた人間ですが、筋としてはそうした元々感情というものを与えられていなかったヒロインが感情を知っていくのに近いものがあります。

ただ、それによって――本人に悪意はなくとも、嫉妬から悪評を立てられたりで――人と軋轢を起こし、時にはひどいことを言われたりもする、という場面を描いているのが本作のポイントでしょう。
黒崎をそうした交友関係に引き込んだ黒井としても、彼女が傷付くのを見ると、一人のままにしておけば彼女はかくのごとく傷付くこともなかったのではないか……と悩んでしまうわけです。
それでも、苦しいことがあってもこれで良かったのだと思えるまで――それがメインです。

それは良いのです。実際、美しい青春ストーリーになっています。
しかし、色々と疑問はあります。

まずは基本的な筋です。
高校生の青春の舞台として文化祭は定番ですが、本作は前半半分以上を文化祭の準備と当日に費やしていながら、文化祭はこれといった山場になりません。むしろ、文化祭は黒崎がクラスに打ち解けていく一過程であって、その後にストーリーの大きな動きが来るのです。
意外ですが、まあ文化祭が山場であるべきだ、等と主張する気はありません。
ただ、本当に通りすがりの一イベントとして扱うならともかく、半分以上を費やしておいてこの何事も無さはバランスの悪いものを感じます。

そして、終盤では急にホラー・オカルト要素が出てきます。
それまでは現実的な青春模様が展開されていただけに、唐突さと違和感には凄まじいものがあります。
まあ確かに、序盤からその手の噂話は出ていましたが、だからといってそれが噂に言われる幽霊などの「実在している」という伏線になるかどうかは話が別です。
むしろ、人間の不審者が捕まったりする展開は、「実際には現実的な説明が付けられる」という印象を強くしていました。
ホラーには「オカルト話には現実的な説明が付けられると思わせてもう一転」という手法もありますが、それならば「現実的な説明が付いた」直後にどんでん返しを持ってくることが求められるでしょう。少なくとも本作の構成は完全に裏目に出ています。

幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言いますが、あらかじめ枯れ尾花を見てしまっている人は、そもそも見たものを説明するのに「幽霊」を持ち出す必要がありません。そういう人に対して「実はやっぱり幽霊がいたんだ」と力説しても、なかなか信じては貰えないでしょう。
本作はまさしく、先に枯れ尾花を見せておくようなことをやっています。

さらには、一応にも最後の山場となるはずのオカルト展開自体、問題の人物(ラスボスと言うべきでしょうか)の正体も事情も、大した伏線もなしに急に出てきて一挙に語られるという体たらく。
あまりにも興醒めです。

以降はいくぶん終盤部に関するネタバレの度合いが強くはなりますが、しかしさらに気になることがあるので書いておきましょう。
問題は、妙に教訓的な締めです。
以下は、黒崎と同じように教室で孤立していたと思われる問題の人物に関する記述です。

 別に、今も彼の行為が正しいものだったとは、思わない。彼は、ナイフで誰かを切りつけるのではなく、黒崎がしたように、手を伸ばすべきだったんだ。あれだけのことをする勇気があるのだったら、彼は世界や他者ときちんと対峙するべきだったんだ。
 (久遠侑『黒崎麻由の瞳に映る美しい世界』、KADOKAWA、2015、p. 308)


しかし、直前で彼は詩を書いて発表していたとあります。詩を書いて発表するのは、「世界や他者と対峙する」内に入らないのでしょうか。
これでは、学校教室という世界に融和し、そこで友達を作ることだけが正しいと主張しているように見えます。
しかし、そうした狭量さ――学校教室に馴染まない者に対する否定、「学校か死か」という逃げ道の無さ――こそ、悲劇の原因だったのではありますまいか。

黒崎麻由は、ずっと自分を否定して「いないもの」として扱って生きてきましたが、クラスの一員となり友達を作ることを選んで――たとえそれによる新たな苦しみもあっても――幸せだった、だから彼女を誘った黒井も間違っていなかった……と、そこまではいいでしょう。
しかし、だから過去の似た事例も「そうするべきだった」と言ってしまうのは、押しつけがましいだけです。

過去と現在での似たような状況を対応させるのは、王道の技法の一つです。
反復を強調するのか差異を強調するのか、それとも現在の成功が過去にも救済をもたらすのか――その使い方は様々です。
しかし、「過去の事例も現在の成功例と同じようにすべきだった」と言うだけでは、あまりにも狭量です。

これらの欠点はある意味では一つに収束しているのであって、そもそも唐突で浮いていたオカルト展開自体が、「そうすべきようにしなかった失敗例」として過去を引き合いに出す意味しか持っていないのです。これではあんまりです。
これではそもそも「過去の事件」を持ち出す意味自体があまりありません。

あとがきでも述べられているように、本作に作者の「実存的な思い」が反映されているのは分かります。
しかしそれゆえに冷静さを欠いているというか、「自分が良かった/こうすべきだったと思うこと」を絶対視しすぎているのではありますまいか。

まあ裏を返せば、本作において何が切り離すべき難点なのかは明瞭なのであって、その分期待できるとも言えるかも知れませんが。
青春小説としての雰囲気は、悪くないものですし。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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