スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死ぬは易く辞めるは難しか――『ちょっと今から仕事やめてくる』

今回取り上げる小説はこちら、第21回電撃小説大賞「メディアワークス文庫賞」受賞作です。

ちょっと今から仕事やめてくる (メディアワークス文庫)ちょっと今から仕事やめてくる (メディアワークス文庫)
(2015/02/25)
北川恵海

商品詳細を見る

インパクトあるタイトルに、一般書コーナーにありそうな気の抜けた表紙もよくマッチしています。

主人公の青山隆(あおやま たかし)は中堅の印刷会社に就職したものの、過酷な労働環境に疲弊しきっていました。
作中の日付が章タイトルになっているので時間経過が分かりやすいのですが、物語の始まりは「九月二十六日」で主人公はサラリーマン一年生、つまり4月に就職して半年足らずです。
半年も保たずに辞めたという履歴では再就職も難しいという思いから辞めることもできず、電車の線路に飛び込もうかと思ってフラフラしていたところを、「ヤマモト」と名乗る男に引き留めて声をかけられます。
青山とは小学校時代の同級生だと称するヤマモトですが、青山はよく覚えていません。とは言え、親しげに声をかけてくる相手にそう言うのも悪いので、話を合わせて付き合うことに。

爽やかなヤマモトのアドバイスで、青山のライフスタイルと働き方も変わってきます。
全てが上昇機運に……と思ったところで訪れる試練、思いがけない仕事のミス。

そんな浮き沈みの激しい仕事人生の一方で、ヤマモトは実は(やはり)青山の同級生ではないのでは、そもそもヤマモトという人間はもう死んでいるのでは、という疑問が浮上してきます。
そうした謎の答えが、青山の仕事と人生を巡る決断に収束する――コンパクトながらよくできた作品です。

特筆すべきは、仕事で青山が追い詰められていく描写でしょうか。
彼の労働環境は朝8時35分に出社して夜21時15分に退社、残業はサービス扱い(つまり残業代なし)で土曜出勤は当たり前という代物。
さらには、辞めた先輩から引き継いだばかりの仕事(だから、訊かれても分かりようがない)のことで、始終怒ってばかりの部長に電話口で怒鳴られたり……
労働時間的に違法なのは間違いありませんが、条件の過酷さを強調しようと思えば、オフィスで夜を明かすことになるとか、もっと無理難題を押し付けられるとか、書けることは色々あると思われます(『なれる! SE』は冒頭からそれをやりました)。

ただ、そんな条件下でほとんど一瞬の余暇を過ごす間もなく日々が過ぎていく有り様、「就職して軽い鬱になった」という先輩の話を他人事だと思っていた自分の浅はかさを思い知らされて、自分が社会に出るには相応しくない駄目な人間だと思い込んで潰れていく青山の心理描写には、迫真性があります。
むしろ、カリカチュア的に見えかねない極端さを控えている分だけ、なおさら。

しかも、話が進むと、彼の職場の腐り具合もいっそうに判明してきます。それでも一度「自分が悪い」と思ってしまうとその思いから抜け出せない心理も、よく理解出来るものです。

だからこそ、彼を支えてくれる人々の優しさも心に沁みるわけですが。

辞めたら再就職は大変だから、将来のことを考えないといけないから、と言いつつ、死ぬことはできるのか、仕事を辞めることよりも死ぬことの方が簡単なのか、という問いは重みがあります。

そもそも人生とは何(誰)のためのものか、どれだけ仕事に捧げることができるのか、自殺する人間の心理とは何か――と、誰にとっても重大な問いが詰まった作品です。
(私はサラリーマンではないせいか、これを「サラリーマン」や「仕事」固有の問題というよりも、もっと普遍的な問題として見てしまいがちですが)

もちろん、全ての問いに答えがあるわけではありません。
本作においては、あくまで主人公の悩みと決断が描かれるだけで、それが限度であることを明言した形にもなっています。彼がいかなる選択をしようと、それがただちに普遍的な問題への決定的な解答になるわけではありません。
けれど、それも物語の要点を絞った形になって良かったのではないでしょうか。
登場人物がほとんど男ばかりで恋愛要素などがないのも、その辺の簡明さに繋がっています。

以下、追記に書く内容は、若干ネタバレを含みつつ、作品外のことにも広がる内容です。



物語の始まるきっかけとなるのは、しばしば間違いです。
間違いによる出会い、事件の発生、巻き込まれetc...は王道でしょう。

本作においても、青山とヤマモトの出会いは相手の取り違えから始まっています。
(ヤマモトが人違いをしているのかどうかについては本編を読んでいただくとして、少なくとも青山は「自分がよく覚えていないだけでヤマモトは同級生だったのだろう」と錯覚します)

そして仕事にも、何重もの錯覚が絡んでいるのです。
青山が「仕事で鬱になるなんて他人事、自分には社会で上手くやっていくための“人間力”がある」と思い込んでいたのは錯覚でした。
けれど、就職して知った「社会の厳しさ」なるものも、よく見ると錯覚ではないかと思われるのです。

実のところ、青山の会社は、営業成績で負けまいとして足の引っ張り合いをする同僚、部下を潰すことの方に腐心しているかのように怒って貶してばかりの上司、といった人たちが幅を利かせていました。

隣の人間に勝つために蹴落とすというのは、典型的な「受験生」のメンタリティです。
もちろん、会社の中で足の引っ張り合いをしていれば、会社全体の業績にとってはマイナスになります。
そんなことをしていて大丈夫だと思うのは、要するに「よもや会社がなくなりはしない」と思っているからでしょう。
これは「社会の厳しさ」とは対極にある、会社という狭い世界の外を見ないでそこに乗っかっている甘えとしか思えない――のですが、当事者たちはそうは思っていません。

そして青山も、「社会の厳しさを思い知らされた、自分は甘かった、駄目な奴だった」と思い込んでしまいます。

「こんなことで挫ける奴は、人生なにやっても駄目に決まってる」――これもよく聞くフレーズです。
しかし、そんな酷い会社を「人生」の基準だと思っている人間が「人生」や「社会」について何を分かっているのか、言うまでもありますまい。
実のところ子供時代から、「学校でもやっていけない奴は社会に出ても~」と、似たようなフレーズをどれだけ聞かされることでしょうか。
その結果が「いじめを苦にして自殺」だったりします。

むしろ、子供が自殺すれば週刊誌がこぞって飛びつくニュースになりますが、サラリーマンの自殺はありふれ過ぎていて新聞の片隅で忘れ去られていることを考えれば、この点に『関して大人の方が視野が広いとは限らない、と言うべきでしょうか?
「この程度でやっていけない奴はなにをやっても~」の理屈が大人の社会から学校に輸入されたのか逆なのかは、問う余地のある事柄ですが。

――それはそうと、間違いは一つの生産的な契機になり得ます。間違いを払拭して理解をクリアにすればより良くなる、とも限りません。
ただ、人を縛った挙げ句に殺すような錯覚はどうか、言うまでもありますまい。
一つの誤解から始まって、それ以前から存在していたもっと根深く厄介な誤解からの解放に繋がる――オーソドックスながら味わいあるストーリーの肝はここにあります。

 ―――

今回の記事タイトルはサザンオールスターズ『唐人物語』の歌詞「死ぬは易くて生きるは難しと」から。
内容には特に関係ありません。



バラッド3 ~the album of LOVE~バラッド3 ~the album of LOVE~
(2000/11/22)
サザンオールスターズ、SOUTHERN ALL STARS 他

商品詳細を見る

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。