オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
需要のない学科
どうして仏文科は消えていくのか
かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。神戸海星女学院に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。東大の仏文も定員割れが常態化している。
理由はいくつかある。英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと。語学教育がオーラル中心にシフトしたこと、などが挙げられる。
(内田樹『狼少年のパラドクス―ウチダ式教育再生論』、朝日新聞社)
また、以下の文章は2007年12月20日発行の本に収録されていました。
家政学部と並んで、女子大のシンボルが文学部の外国語文学系である。女子大の英文科、あるいは仏文科は、どこか上流階級の女子学生が通っている清楚な雰囲気を醸しだしてくれた。ところが、白百合女子大、神戸海星女学院大、甲南女子大といった、お嬢さま大学は、仏文科がなくなってしまった。学生が集まらないからである。
フランス文学にいそしむ深窓のご令嬢はどこへ行ったのか。商売を始めたのである。女子大に経営系の学部が現れた。
(小林哲夫『ニッポンの大学 (講談社現代新書)』
「国際公用語」として勝利した英語の方も安泰ではないようで、最近小林氏は(典拠となる雑誌を失くしてしまいましたが)「明治学院大学の英文科が定員60人削減」という話に触れ、島崎藤村の出身大学、ヘボン(ヘボン式ローマ字の創始者たるあの人です)を初代総長をする大学で寂しいことだ、と書いていました。
本学の隣の(そして、法人を同じくする)愛知県立大学でも、2009年度から愛知県立看護大学を合併するに当たって学部学科の再編が行われましたが、この時に文学部英文学科は外国語学部英米学科に統合されています。
「英語が話したいだけで文学なんかやりたくない」という台詞も(昔からよく聞く話ではありましたが、なんと実際に)聞きましたし、やはり「文学」と付くのは人気がないんでしょうか。(英文科だからと言って「文学」のみやっているのではないんじゃないかと思いますが、そこは内情を詳しく知っている訳ではありませんので)
まあ18歳人口が減少している以上、大学の総定員を減らすならやむを得ないんですが、どうも定員を増やしている学部もあるようで。
…と、ここでいよいよ本学のことですが、まあ、美術なんかにそうそう需要はありません。
定員が元々少ないのでこれ以上ダウンサイジングするのも難しいと思いますが、設備のこと等を考えるとそう増やせもしないでしょう。(推薦入試や社会人入試の導入等で、一般入試の定員は多少変動していますが。なお芸術学では、去年辺りから3人→4人と公称定員が増えたりしましたが、実質5人合格者を出していることに変わりはありません)
定員はさておき、そもそも美術なんかやることに意義があるのか? ――と言うと、芸術大学の先生は(そして大概の学生も)「ある」と答えると思います。しかし、これはただ「そう答えて当然の相手に聞いている」だけではないか、という気もします。
美術に関係する全てのことが訳に立たないとは言いませんが、芸術大学で教えられているようなことの大半は、なくても困らない人が世の中の大多数というのは事実でしょう。「芸術的感性を磨く」とかいうのはどうしても必要なことか。学校教育の場を考えても、「美術」の授業が好きかどうかはさておき、「現代文」や「数学」よりは優先順位を下げるべきだ、という主張は(全面的に正しいかどうかはともかく)ありですよね。
そもそも「意義がある」とか「訳に立つ」と言う時、既に「一般人の生活に対して」ということが暗黙の内に含まれているように思います。しかし、アートで経済が豊かになったり人が健康になったりする道理は(あまり)ありませんから、「美的感受性」「創造性」「精神的な豊かさ」といったよく分からない理屈になります。
例えばここで、「創造性」という言葉1つをとっても、「オリジナルな商品を作って、海外市場に売り出す」といったことをイメージする人には、当然納得されません。
「役になど立たない。しかし、役に立たないものが存在していること自体に、他の基準では計れない意義がある」
こう言えなければ嘘でしょう。
(芸術学2年T.Y.)
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