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勇者の裏切りは善悪二元論を切り崩すか?――『魔女殺しの英雄と裏切りの勇者』

今回取り上げる小説はこちら、少し遅くなりましたが先月のMF文庫Jの新刊です。



作者の永野水貴氏はこれまで主として女性向けレーベルで『白竜の花嫁』シリーズなどの作品を書いていた作家ですが、このたびMF文庫Jデビューとなりました。

本作の舞台となる世界では200年に一度「魔女」が現れ、魔物を呼び出して人々を脅かしているのですが、そのつど「勇者」が現れて魔女を打倒してきました。
しかしこのたびかつてない事態――今世の「勇者」エスベルトが「魔女」ストレガに寝返るということが起こったのです。

エスベルトの弟子であったルカは師匠の潔白を信じ、自ら「勇者」となってエスベルトを連れ戻すべく、勇者養成所・聖レスカテ院で励んでしました。
彼女が(序盤で明かされることなので言ってしまいますけれど、ルカは女の子です)出会う真相とは……

さて、通常なら「魔王」の来るところが「魔女」になっていますが、本作の基本設定はまずは「魔の親玉とそれを打倒する勇者」という善悪対立の類型に沿っています。
その上で「裏切りの勇者」というモチーフが入ってきて、そしてその勇者の「裏切り」にはしかるべき(理解できる)理由があることが期待される――とあれば、そうした善悪の対立を解体する方向に向かうのは容易に想像できることです。

加えて、本作世界の公式の教えにおいては、この世界は「善き世界」とされています。

「……言うまでもないことだが、我々がいま暮らすこの《善き世界》には、悪しき力は存在しない。聖イグレシア・ファミリアの方々が我々を導き、世界を善い方向へ導いてくださっているからだ」
 (永野水貴『魔女殺しの英雄と裏切りの勇者』、KADOKAWA、2015、p. 21)


対して、魔女と魔物は「悪しき世界」からやって来る、というのです。

しかし、我々の世界は善きもの、悪は余所から来るもの、というのはどうも責任転嫁の匂いがします。
そこにこの主題であれば、世界観レベルでもこの対立構造が維持されるとは思えません。

そういう意味では、終盤明かされる真相はほぼ期待通りと言いましょうか(私は「展開を予想する」ことに軸を置いた読み方をしませんし「予想通り」とまでは言いますまい)。

ただ、中盤までは裏切りの勇者エスベルトの弟子ということで偏見を浴びる中でも師匠を信じ続けるルカが周囲と軋轢、時に暴走して処罰を受ける……の繰り返しで、見せ場が少ない感がありました。
過酷な真相と結末の後、後日譚での救いもいささか取って付けた感がありましたし……

今のライトノベルに非常に多い「魔王」「勇者」やそれに類するモチーフは、それをパロディ的に扱っている作品が多いのですが、本作は徹底してシリアスかつダークな内容にしながら、善悪の対立構造の解体を目指しているところに一つの特徴があります。
ただ、若干空回りしている感も否めません。

それともう一つ気になるのは、敵が魔“女”であり、主人公のルカがレスカテの勇者候補で唯一の女であるという設定です。
これは性の問題を期待させました。
そもそも、「魔女」という概念は女性への偏見と不可分ですし……

ただ結局、それに関連して描かれたのはいわゆる「男女の情」に留まり、これもいささか物足りないような。



 ―――

突然ですが、ある年配の方から訊かれたことがあります。
「『ドラゴンボール』でピッコロ大魔王と神様が同一の存在だという設定なんですが、あれ欧米圏では大丈夫なんですか」と。
私の答えは、さしあたっては以下のようなものでした――西洋近代においては、書かれたものはあくまで現実とは別であり、言うなれば現実に影響を与えないという前提があるから、問題ないのではないか、と。
加えて考えるなら、ああした作中世界の「神」は、現実の宗教にとっては(どの宗教から見ても)「余所の神」「異教の神」として済ますことができるのかも知れません。現実の宗教やその聖典の名をはっきり出すと、事態はより面倒になってきます。

私がここで言いたいのは別に宗教問題ではなく、「(善なる)神と魔王が表裏一体」という設定のことです。
この手の設定も結構見た覚えがありますが、思えばこの点に関しても『ドラゴンボール』は先駆的な作品の一つだったのかも知れません。
個人的には、『スーパービックリマン』巨魔界神ザイクロイド・アノドが――なかなか衝撃的なラストと合わせて――強い印象を持っていますが……

しかし、『ドラゴンボール』の神や『スーパービックリマン』の超聖神は、たとえ魔王や悪神と同一の存在であっても、やはり善神であることに変わりはありません。
言うなれば善悪二元の対立は一人の人物の内に保存されているわけですが、ただ一方だけを選ぶことはできないというだけで、別々の二つが対立しているのとは事態は大きく変わってきます。

さて他方で本作『魔女殺しの英雄と裏切りの勇者』の真相を読むと、もはやそうした二項の対立構造が温存される余地はないように思えます。善を確保できないとなれば、主人公にとっての事態の残酷さと相俟って、結論はニヒリスティックです。
しかし見方によっては、「諸悪の根源」を別の水準に移して、それを打倒すれば世界は善くなるという話に回収されてしまった気もします。

この点に関していずれが優れている、とは言いますまい。
ただ、善悪対立の解体と一口に言ってもそのアプローチの可能性は様々で、だからこそ奥が深いのだ、ということです。



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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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