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その欠損も自分だとすれば――『美少女とは、斬る事と見つけたり』

(ちょっと今回は諸事情により現物が手元にないので、公式で試し読みできる部分を除いて本文が引用できません。この点に関しては後に修正するかも知れませんが)

今回取り上げるライトノベルはこちら、入間人間氏、またもの新作です。



本作の舞台は超能力者の存在が世間に認定されて13年が経つ世界。
超能力者の犯罪が問題になり、超能力者と知られれば世間から迫害されるという状況になっています。

主人公は女子高生の春日透(かすが とおる)両腕の機能を失っていますが、その代わりに物を透明にする超能力を手に入れ、そして祖父の家にある日本刀を口に咥えて振るい、夜な夜な人を殺している少女です。
それから、もう一人の主人公は明神明(みょうじん あきら)。透と同じ高校の生徒会長を務める3年生で、この世の全てが姉に比べればどうでもいいというほどに姉の(あきら)を愛している少年です。彼は透の超能力によって透明人間にされてしまいます(死体を透明にすることで発見されないようにできる反面、仕留め損ねると透明人間を生み出してしまうという諸刃の剣なのも面白いところ)。

姉を守るため透を討とうとする明と、自分の正体を知って狙ってくる明を返り討ちにしようとする透――物語はもっぱら二人交互の語りで(他の人物による語りもありますが)展開され、しかも冒頭に二人の対決と思われる場面が描かれているので、W主人公の対決を巡って展開され、そこに集束するものと思われます
ただし、この1巻では冒頭に描かれたクライマックスまで行かないで「続く」のですが……
近年の作者の恒例で、最大の気がかりは続刊が出るのかどうかですね。

本作は超能力者が存在する世界という時点で『トカゲの王』と同一世界――それも超能力者の存在が公認されていることから、あれから少し後の時代ではないかと思われます(具体的な人物への言及などは見当たらないので、確定はしていませんが)。
しかも明本人ではないものの、その姉の陽は全盲の女性で、両腕不随の透と盲目の姉を持つ明のW主人公は、隻眼の石竜子と隻腕のナメクジという『トカゲの王』の主役二人に重なるものがあります。
ただし、こちらの主人公の超能力はだいぶ有用で応用幅も広く、異能バトルとしてはこちらの方が正当派の読み応えがあります。
また、二人の主人公行き先々で交錯しながら互いに無関心であった『トカゲの王』に比べると、互いを狙う二人という本作の方が構造的にも明瞭でしょう。
『トカゲの王』の続刊が出ない最大の理由がイラストレーターのブリキ氏にあることはほぼ確定ですし、だから新作で再挑戦……ということなのかどうかは分かりませんが。

ただし言うまでもなく、隻眼あるいは隻腕と、両眼あるいは両腕の機能を失っているのとでは、著しい差異があります。片眼でもものは見えますし片手でもある程度のことはできますが、両方とも駄目ならば多くのことを諦めねばなりません。
加えて、根は割とまともな人間であった『トカゲの王』の主人公たち(ヒロイン兼ラスボスの巣鴨を除く)と異なり、本作の主役たちは根本から壊れています。
春日透は完全に愉快犯の殺人鬼で、しかも窮地に陥ってもそれを乗り越えようと奮闘することに歓びを感じる変人です。
明神明は姉だけを愛するシスコン、しかも精神安定剤として姉の下着を握りしめているくらいだから重症です。
どちらも外面はいいものの内心ではほとんどの他者を歯牙にもかけていない点も共通しています。

実のところ、フィクションにおいては、殺人のような多くの読者の経験したことのない行為でさえ、それをなすことを「わかる」ものとして伝える技巧は多々存在します。
相手を「殺されて当然」と思える存在として設定する、といった手もあります。しかし入間氏の場合、そのような共感や同情の余地がない状況にであっても、登場人物がいかに歪み、壊れているがゆえに殺人のような行為に及ぶのか、しばしばその心理を繊細に描いてきました。
さらに氏の近年の作品は、人物がどのような育ち方をして人格形成されたか、という部分にもかなりこだわっている節がありました。

本作ではその要素はどちらかというと希薄です。
彼女等の異常性は、ただそういうものとして提示されています。
むしろ作者の眼差しはもっぱら、両腕の不随や盲目といった「欠損を抱えた肉体」に向けられているように思われます。

これは上述の『トカゲの王』との通底性などから言っても、作者の関心の一つなのは窺えますが、結構危うい題材に触れています。
いわゆる不具者の扱いというのはデリケートな問題です。とりわけ本作のように、障碍を持つ人間を犯罪者や悪人として描くことは、「偏見を助長する表現」と取られかねません。テレビのような注目度の高いメディアはそもそも登場させること自体を避けるでしょう。
ただ本作を読めば、それとこれとは全く別なのだということも、理解していただけると思います。

春日透は元より殺人衝動――欲望と言うべきか――を抱えていたのであって、その願望を実現するような超能力が両腕の機能と引き替えに与えられた、つまり彼女は人格的には元々殺人鬼の資質を持っていたのだということは、明言されていることです。
他方で言うなれば殺人の動機として「両腕の機能を失った私がどこまで行けるのか、自分の可能性を試したい」旨を語っている箇所もありますし、そもそも彼女が両腕の機能を失い超能力を得た事件についてはぼかされています。「超能力者を全て殺す」と目標を掲げている箇所もあり、彼女の殺人にはまだ語られぬ背景もありそうですが(ラストで明かされる一つの真相もここに関わってくるであろうポイントです)、少なくとも彼女の異常性が肉体のせいでなさそうなのは理解できます。

そのことと相関して、彼女が口で鉛筆を扱い、足で扉を開閉し、足で食事をしつつ、実に淡々と生活しているのもポイントです。

「美味いか?」
「ええ、とても」
 スプーンを置いてから笑顔で答える。足の指にスプーンを挟むのも慣れたものだ。
 一度、くわえたスプーンで味噌汁をすくってそれをどうにか伝わせて口もとに運ぼうとしてみたけど、鼻と頬に出来たての味噌汁がかかって悶絶したことがある。あれは酷かった。「あぎゃぎゃ」なんて悲鳴を演技ではなく叫ぶ日が来るとは思わなかった。
 あのときまで実を言うと内心では頭いい方だと思っていたが、本当はちょっとばかりおばかさんなのではないかと疑うようになった。今でもその答えは出ていない。
 (入間人間『美少女とは、斬る事と見つけたり』、KADOKAWA、2015、. 27)


こんなことが一般的な失敗談のようにさらっと語られるのですから(はっきり言いましょう、たいていの人間は自分が「頭いい方」だと思っているのであって、間の抜けた失敗をして「実は自分はバカなんじゃないか」と思うのはもっともありふれた経験の一つでしょう)。
彼女はそんな障碍を抱えた自分に向けられる同情の視線をよく理解して、犯人として疑われないようにするために利用しているくらいにしたたかですが、内心でも同情に対し不快感を示す様子なくそれができるのは、劣等感なく自分の身体を受け入れていなければ難しいのではありますまいか。

逆に彼女が自分の身体に鬱屈した想いを抱えていて、たとえばその怨念を殺人に向けているとかいう話だったら、どうなのか。
それはかえって、障碍と殺人行為を直結させているようで、不快なものになっていたかも知れません。
(もちろん、同じ状況にあっても誰もが同様に考え行動するわけではないのを承知の上で、「ある状況と本人の内的要因が相俟って必然的にある方向に追い込まれる人物」を描くのも、入間氏のしばしばやっているところではあるのですが)

障碍はマイナスではない、個性だ――というのは時々耳にする言い回しですが、その境地に達するのはおそらく容易なことではありません。まして他人には。
しかし本作の登場人物は、自然とそれを実践しているように見えます。そこは爽快でさえあります。
そしてそれは一つの「個性」であればこそ、殺人鬼という「個性」と同居しても、何も問題はないのです。

本作は殺人鬼としての春日透の人格をそのままに、読者に理解させようとすることなく提示する一方で、自己の肉体の欠損を受け入れ、活用さえして生きている彼女の姿を馴染むものとして伝えることに成功している――そしてある意味で、両者は表裏一体です。

そして、欠損を抱えた肉体というのは、往々にしてフェティッシュな魅力を醸し出すものです。
それが本作の一つの見所なのは確かで、その点に関しても――日本刀を口に咥えて戦うといった要素だけでなく、それ以上に――春日透の日常生活の描写が大きく寄与しているでしょう。
同じ意味で、盲目の陽に関しても期待しておきます。彼女に関してはまだまだ描かれるべきことがありそうですし。


ついでながら注目しておきたいのは、春日透の女言葉(いわゆる「~わよ」などの口調)。
女言葉のヒロインは入間作品でもしばしば見かけますが、そのモノローグは比較的稀。
そして透の場合、上の引用でも分かる通り一人称の地の文に女言葉はなく、さらに台詞も友人や同級生との会話では女言葉の度合いは弱く、敵対する明たちとの会話でははっきり女言葉で喋っています。
本作ではサブキャラの田沼葉子(たぬま ようこ)が「~ッス」という口調で、しかもこれは「バカっぽく思わせるためのキャラ作り」と明言している例もありますし、女言葉も相手との距離感を示すキャラ作りなのかも知れません。友人相手ほどくだけた口調でないというか。


なお本作においては、超能力者たちが犯罪を犯すのは「できるならやる」という程度の理由であり、それは結局破滅的な傾向なのだということも示唆されています。

「使えるなら使う。そしてもう隠せないなら堂々と、ってことじゃないのか」
 (同書、p. 34)


『トカゲの王』から2000年後の世界を描いているらしき『おともだちロボ チョコ』においては、「かつて超能力者がいた」というだけで、それはすでに絶滅種扱いの模様。
暴挙が可能であるがゆえに、超能力者を待ち受ける運命は明るくないのかも知れませんが……ひとまず本作の登場人物の命運だけでも、楽しみにしておきましょう。

 ―――

本作の同時発売の『電撃文庫MAGAZINE』Vol. 45に入間氏が書いているのは、久々に完全な読み切りの新作「サムライ・デッドエンド」です。
氏にしては珍しい時代劇で、剣客の立ち会いを描いているのですが、そこにお得意のモチーフである時間SFの要素も加味。

「刀+異能でのバトル」という要素は、『美少女とは、斬る事と見つけたり』と重なるものもありますが、単発で完結した時間SFに関しては相変わらず完成度が高いのを見せてくれました。

『いも~とらいふ』は数回連載した後に書き下ろしを加えて単行本化といういつものパターンでしょうか。単行本が早め(できれば年内)に出るといいのですが……



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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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