オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
遵法者と超法規的ヒーローの出会い――『仮面ライダークウガ』15年を経てのコミカライズ!
物語としては今のところ、大筋においては原作となったTVドラマを辿っています。
長野県中央アルプスの九郎ヶ岳で発見された遺跡、そこから蘇った古代の怪人「グロンギ」たちが現代の東京で殺人を行い始める、しかしそこでかつてグロンギを封じた戦士「クウガ」を受け継ぎ、心優しき青年・五代雄介(ごだい ゆうすけ)が変身して戦う……というものですが、まだこの単行本1巻だとTVドラマの第2話くらいまで、TVドラマとの若干の展開の違いもあり、ようやく雄介が初変身するところまでです。
気になる相違点や漫画独自の点ですが、まず登場人物の外見や印象が実写の役者と大きく異なるのはやむを得ないことでしょう。
下手に現実の役者に似せて描こうとするのは、カリカチュア的になりかねませんし。
雄介(演:オダギリジョー)はこんな感じ、

(横島一『仮面ライダークウガ』、小学館、2015、p. 73)
彼の心強い味方となる刑事・一条薫(いちじょう かおる)(演:葛山信吾)はこんな感じに。

(同書、p. 19)
ちなみに敵であるグロンギたちのデザインも、着ぐるみに縛られる必要がないせいか少なからず異なっています。
ただ、彼らの人間態は容姿は異なれど意外とイメージを押さえていたり。
今回登場したのは、クモの怪人ズ・グムン・バ(TV版では人間態登場せず)、彼らの殺人ゲームの仕切り役であるラ・バルバ・デ(TVドラマでは最終回まで名前が出ず、「バラのタトゥの女」とのみキャスト名が表記されていましたが)、

コウモリの怪人ズ・ゴオマ・グ、

黒豹の女怪人ズ・メビオ・ダ、

バッタの怪人ズ・ハヅー・バ、

それに怪人メ・バヂス・バです。

それが漫画ではこんな感じに。

(同書、p. 192)
バルバは妖艶な美女、脚力が武器の豹怪人メビオはやはり太股を露出したホットパンツ姿、初代仮面ライダーのオマージュでもあるバッタ怪人バヅーはマフラーを巻いたライダーっぽいスタイル、そしてバヂスは拘束衣のごとくベルトを巻いたスタイルと、確かにポイントを押さえています(ゴオマについては異なる事情があるので後述)。
「2015年仕様」のコミカライズだなと思うポイントは、やはり雄介が「2015の技を持つ男」と名乗っていることでしょうか。
(2000年放送のTVドラマでは雄介は当初「1999の技を持つ男」を名乗っており、クウガへの変身が2000番目の技となりました。小学校の恩師に「2000年まで2000の技を身に付ける」と約束したという設定で)
それから、TVドラマでは長野県警の刑事で、合同捜査本部設立に伴い東京に移ってきた一条が最初から東京警視庁の刑事だったり、雄介の妹のみのりはTVドラマだと保育士だったのが漫画では(実家と思われる)農場で働いていたりしますが、前者は話を単純にするためでしょうし、後者についてはどこまで意味を持ってくるか今のところ不明です。
より本筋に関わる点では、遺跡で眠っていた古代人の先代クウガはずっと生きており、身を以てグロンギを封じていたのだ、という設定はTVドラマにもありましたが、この漫画版ではそれを活かした形と言うべきでしょうか、まずは先代クウガが戦い、それから雄介を後継者に選んでその力を託すという展開になっています。
しかし、最大のポイントは何かと言えば、この漫画版は「人間の犯罪を捜査する一条刑事」の描写から始まっており、彼の方が主人公と言っていい、というこでしょう。
グロンギにも行動パターンや殺人のルールがあり、それを読んで手を打つという展開が多々ありましたから、その前哨戦としての意味もあるのでしょうが、おそらくそれだけではありますまい。
漫画版の一条は、物事を偏見なく見極め、公平な法の裁きに委ねるという姿勢を徹底した遵法者として描かれます。


(同書、p. 43-44)
それは、自分の妹と同じ年頃の娘を殺した犯人を逮捕する現場に居合わせたら「きっと殺してしまう」と憎しみを表明する相棒の杉田刑事とのいっそう際立ちます。
むしろ、そうした感情ではなく法に委ねるというのは、警察官という「暴力を認められた者」として自らを律するための一条の矜恃のようなものなのかも知れません。
しかし言うまでもなく、古代から蘇った怪人グロンギは法で裁くことができず、またそれを退治するヒーローについての規定も法にはありません。
だから漫画版『クウガ』は、遵法者と超法規的存在ヒーローという、簡単には相容れぬ二人の出会いの物語なのです。
おそらくそのことと関連して、この漫画では、公務員として「地に足を着ける」ことを重んじる一条と、放浪のフリーターである雄介は、人生観のレベルでも相性が悪いものとして描かれています。
確かに、両者の社会的肩書きはほぼTVドラマの通りなのですが、TVドラマでは両者の対立よりも、むしろ他者のために自分は無理もしてしまうという点で二人が「似たもの同士」であることが強調されていました。
またこの漫画では、先代クウガが一条を後継者に選びかける場面もあるのですが、結局彼は雄介の方を選ぶことになります。これもそうした両者の資質が関連していたのではありますまいか。
そもそも、『仮面ライダークウガ』において警察機構が入念に描かれ、第二の主人公であり雄介の協力者として一条薫という刑事を設定することになったのは――元祖『仮面ライダー』の滝和也のオマージュというのもありますが――現代の都市において「ヒーロー」を実現するためには何が必要か、を真剣に考察した結果だったと思われます。
怪人とヒーローの問題は必ずや社会問題になるでしょうから、協力するか敵対するか、いずれかの形で警察は関わってこねばなりません。
さらに、「たまたま怪人や被害者とヒーローが出会う」という偶然のご都合主義に頼らない話作りをしようと思えば、「怪人が出現した現場にヒーローが急行する」ためにも警察の捜査網との協力が不可欠でした。
しかしこの度のコミカライズにおいては、そこに法と超法規の対立という新たなテーマが読み込まれることになりました。
これはやはり、企画:白倉伸一郎、脚本:井上敏樹というスタッフの影響が大きいのではないかと思われます(TVドラマ『仮面ライダークウガ』のスタッフはプロデューサー:清水祐美/髙寺成紀、メインライター:荒川稔久であって、白倉・井上はむしろ『アギト』のスタッフです)。
まあこれは、白倉氏が著書『ヒーローと正義』で、ヒーローは超法規的存在であることを強調していたので、私がそれを読み込んでいる面もあるのかも知れませんが。
それから、もう一つ気になることがあります。
TVドラマ版のグロンギは、あくまで特殊な物質(ベルトのバックル)を取り込むことによって肉体を変異させた人間でした(それはクウガも全く同じです)。だから彼らの人間態は、彼らの人間としての本来の姿のはずなのです。
それに対してこの漫画版では、コウモリ怪人ズ・ゴオマ・グが真鍋神父を襲い、その姿に変身する場面があります。ここを見る限り、彼らの人間態は他の人間を写し取った擬態だということになります。
TVドラマでもゴオマが神父に化けて教会に潜伏する場面はありましたが、彼が「本物のホセ神父」を知る人間と出会う場面はなく、教会の常連はあくまで「神父様は突然のお出かけで不在」だと思っていました(もちろん、こんな潜伏が長く保つはずはなく、一時的なものです)。
とすれば、グロンギをある意味で人間の犯罪者の延長のように位置付けていた(※)点も変わらざるを得ないのかな、と思います。
※ この点についての詳述は話すと長くなるのでまたの機会に。
それにしても、序盤の怪人でありながら終盤までしぶとく生き残って往生際悪く活躍するゴオマ(まあ『仮面ライダーBLACK』のコウモリ怪人のオマージュなのですが)が割と好きだったのですが、漫画版だと長生きしそうにない展開です……
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コメント
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Re: 失礼します
ブログそのものはずっと更新停止していたのに見つけていただきありがとうございます。
幸いなことにちょうど手元に資料がありました。写真を引用しているのはテレビマガジン特別編集『仮面ライダークウガ』(講談社、2001年12月)ですね。
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