スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

命を握らされた者の負い目――『復讐ゲーム リアル人間将棋』

今回取り上げる小説はこちら、今月のメディアワークス文庫の新巻であり、『王手桂香取り!』でデビューした青葉優一氏の新作です。


 (前作『王手桂香取り!』の記事

将棋という題材は前作と共通していますが、タイトル、表紙、煽りからして前作とは対照的なダークサイド作品のようです。

主人公の南誠一郎(みなみ せいいちろう)と親友の後藤信二(ごとう しんじ)は将棋部員の高校生。それぞれの恋人である花楓(かえで)美咲(みさき)と、4人で定期的にダブルデートをする仲です。
前半は彼らの平和な日常が描かれます。

しかし、文化祭の前日になると学校に妙な動きが起こり始め……そして、一人の少年が復讐のために仕組んだ血腥いゲームが始まります。
人間を駒として使い、取られた駒役は死ぬ人間将棋。南と後藤は対局役に選ばれます。
彼らの対局次第で人が死ぬ、しかし逃げることもできないデスゲーム――

スリラーらしい極限の心理状態はなかなか見応えがありましたし、誰も死なせずに済ませられる救済方法があると示しておいて暗転……という展開も大したもの。
この場合、南と後藤は強いられたことでもあり、おそらく罪には問われないでしょう。しかしそれでも、自分の選択によって特定の人が死ぬことを分かっていて行動することは、非情さを要求し、戻れないものを刻み込みます。
そしてそれは、いじめを黙認する構造と重ね合わされます。

いじめを見て見ぬふりをするのもいじめ、というスローガンをそう簡単に文字通りに適用はできません。実際、傍から見ればボーダーラインの明瞭でないことも多いのですし、さらに学校側には加害者側生徒をも守る責務があります(本作では学校側がいじめを行った生徒の父親の権力に屈して、外部に露見してなお露骨な隠蔽を行ったことになっていますが、これは話と憎悪の目標を分かりやすくするためかかなり単純化された話です)。
それに、南は地の文で、いじめの隠蔽を行った学校と教師への軽蔑と嫌悪を表明していました。
ただそれでも、起こせるアクションを起こさなかったという負い目は――たとえ誰も糾弾することができなくとも――本人の内に残ります。

人間将棋の対局者として、「手は下さずとも人を殺す決断をさせられる」という経験は、言うなればその酷薄さを顕在化させる経験です。

また、前半の日常シーンで後半への布石も活きています。
とりわけ、スリラー映画を観て、誰が犯人か分からないとはいえ妻や子供まで犠牲にしようとする映画の主人公と後味の悪い結末について、男女で見事に意見が分かれる場面です。「仕方ない面もある」と合理的判断をする男たちと、「大切な人のことは最後まで助けようとしてほしい」と現実の自分たちに重ねる女たち。
物語の後半では、まさに彼ら自身が誰を犠牲にするかの決断を強いられるわけですが……では恋人のことは守り通せばめでたしで、元通りの甘い関係に戻れる、のかどうか。
負い目を持つということは、そこで影響してきます。
ただ人が死んで救いがないだけでなく、そういう生存者に落とす影も後味の悪さに一役買っていて、いい塩梅です。

まあ、前半の平和なデートシーンからして、いくら恋人同士であっても女の買い物に付き合うのはつまらない、といった生々しい話もあり、さり気なく嫌らしさのセンスを感じさせました。

ただ、問題の「復讐ゲーム」が始まるのは全体の半ば過ぎであって、ちょっと遅い感はあります。
しかも、誰の意志で何が起ころうとしているのかは、前振りの時点で割と容易に読めるわけでして。
まあ、前半のカップルの日常から後半での落差が味噌というのも確かですが。

後は、意外とあっさりした幕引きでしょうか。
後味の悪さはいいとして、意外なところに真犯人が、とかもう一捻りくらいありそうな気もしたのですが。

それから、将棋です。
あらすじからして「取られた駒は死ぬ」という記述が目立っていましたが、取った駒を使うことができるのがポイントである将棋のルールからして、取られた駒が死んだら拙いんじゃないかと思っていました。
しかし、読んでみると分かります。この人間将棋では、取られた駒役は殺され、取った駒役は別の人間を投入するのです。持ち駒役が足りなくなれば、空の椅子を使います。

※ なお、将棋のルール上「次の一手でどう動いても玉が取られる」ことになった時点で「詰み」であって、厳密には「玉が取られる」ことはないはずなのですが、まあ詰みを持って玉の駒役が「取られた」扱いとするようです。
この点は説明があってもいい気もしましたが、まあそうでないと玉役を殺せないので当然戸言えば当然でしょうか。

将棋の戦術としてはあえてある駒を捨てたり、また相手の駒を取った駒がすぐに取られる「交換」ということも当然あるのですが、駒役の人間を死なせたくないと思えば、その(基本的な)戦術が使えなくなります。
将棋の盤面図の上では駒が駒台に移っただけでも、現実には人が死んでいるわけで。
つまり一種の縛りプレイであり、それゆえに普通ならあり得ない手が意味を持つこともあります。そうした対局もまた、たいへん見応えのあるものでした。

もっとも、わざわざ縛りをかけなくとも将棋は面白いはずであって、実際前作では普通の将棋で緊迫感ある対局を描いていました。
その意味で、将棋で魅せるという点では過剰な感もあります。
(まあ、特殊ルールである分いっそ難しいかというとそうではなくて、特定の人間の生死が懸かっているという事情と、それによる指し手の意義は、将棋に詳しくない人間にとって普通の将棋の手よりむしろ分かりやすい面もあるのですが)
あとがきを見るに、デスゲーム系のスリラー物という目指す方向性がまずあって、そこに得意分野たる将棋を取り込んだのではないか、とも思われます。

ともあれ、緊迫感とえげつなさは十分な読み応えのある作品でした。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。