オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
技法と内容と
詳しく調べたことはないが、昭和の初めごろまでの美術雑誌を見ると、展覧会評は多くの場合、画家が書いている。そこでは、多少技術評のようなものが存在していた。昭和一○年代からいわゆる評論家が登場するようになり、第二次大戦後は画家の発言はほとんどなくなってしまった。
技術を含めた評論がないところでは、画家は表現として面白いものを作ればよいと考えてしまう。絵画は材料と技術に支えられた表現であるから、技術評論を確立すべきではないか。本書は、その問題提起でもある。
(『油絵を解剖する』、NHKブックス、p.19)
しかし、美術批評寄りの先生に言わせれば、多分話は違ってくるでしょう。むしろ今なお「絵のことは絵描きに訊け」という風潮があって、批評家の役割というものはあまり理解されていない、との発言を聞いた覚えもあります。
実際のところどうなのか、と言うと、『美術手帖』のような美術専門誌では(ざっと見た限り)、当然と言うか批評家が批評を書いています。「日曜美術館」のようなTV番組は正直な話あまり観ないのですが、美術の専門家以外の人が出ていることも多い気がします。とは言え、画家が発言しているのも、あまり記憶にありません。
ただ、件の発言はあくまで「風潮」の問題であって、「批評家に限らず学芸員等にしても、作家以外の美術関係者の役割というものが一般人にはあまり知られていない」という話でしたから、専門的な場では批評家が発言していることと、必ずしも矛盾はしないのかも知れません。
が、技術面をどれだけ問題にすべきかとなると、いっそう意見が分かれるところです。
別のところでは「美大・芸大の学生の話を聞いていると、『どこそこの表現はうまくできた』といった技術面の話はしていることが多いけれど、やはり表現の内容――テーマ性といったことを考えないと、いい作品はできないよ」と言った話を聞いたこともあります。
私はこの話自体に特に反対する訳ではありませんが、問題はニュアンスです。「技術面のことはもう十分に問題にされているけれど、それに加えて内容面も考えないと」という風に聞こえてしまうのですね(「そういうつもりで言ったのではない」と言われてしまうかも知れませんが…)。
再び歌田先生の著書から。
大正時代以降、油絵材料、技法について混乱があったのは確かなようである。この原因は、明治29年(1896)創設の東京美術学校西洋画科が、洋画の普及に大きな役割を果たしたものの、油絵の材料や技法に関する研究や教育はまったくしてこなかったことにあるのは明白であろう。
(同書、p.186)
芸大には技法や材料に関する情報がたくさんあり、少年時代にあこがれたレンブラントの技法なんかもすぐにわかるだろうと考えていたが、甘かった。何もなかったのだ。
…(略)
その後の30年近い彷徨の末の結論は、「油画道志留辺」にあるように、「溶き油は亜麻仁油を常用とす」あるいは「亜麻仁油と樹脂油の組合せ」という単純なものであった。しかし、こんな単純な基本さえ、わが国の技法書には書かれていなかったのである。
(p.216)
技法についての教育が行われていないのなら、学生が技法の話をしていると言っても、さして高度なものではあるまい、と考えられないでしょうか。問題なのは、技法のことは「もう十分に問題にされている」という想定です。
※ ここで歌田先生が述べているのは大正~先生の学生時代(1959年卒業)のことで、現在は技法材料研究室も授業もあります。「あとがき」では、技法・材料に関する「教育・研究活動から、優秀な卒業生が輩出した」とも書かれています。また、そもそも扱われているのは油画のことだけです。ですから、現在の色々な専門の学生に対する話と対立する訳ではないのかも知れない、とは言っておきます。
極めて単純に言いますけれど、技法と内容がしっかり結び付いてこそ「良い作品」ができるのだろうと思います。そのためには、両方を深く掘り下げなければいけない、というのは、そんなに無理のある考えではないでしょう。「技法のことはもう十分やっているけれど、その上で内容のことも考えなければいけない」のではなく、「技法の方もあまり追求されておらず、話をしていると言っても浅いところに留まっている」という可能性は、ないものでしょうか。
実情はどちらなのか、例えば卒業・修了制作展で並んでいる作品を見て、答えられる、とは言いません。ただ、いい加減ながら私見を言わせていただけば、決して「皆上手いことは上手いんだけど、その上で内容のことをもっと考えないと」という印象ではありません(専攻にもよりますが)。むしろ、作家自身の言葉を聞く機会があったりすると、色々表現内容のことを考えているようだけれど、形と結び付くのが難しいようだな、と思うことも多いですね。
最後にもう1つ。再三言いますが、美術に限らず先生というものは「自分の専門分野の価値が認められない」という傾向があります。逆に言うと、先生が自分の専門以外について「それはもう十分だ」と言っても、あまり安易に信じるべきではないでしょう。
(芸術学2年T.Y.)
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