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究極のトリビュート――『薔薇十字叢書 神社姫の森』

今回取り上げる小説はこちら、富士見L文庫から出た「薔薇十字叢書」の新作です。



タイトルは「くだんのもり」、「神社姫」と書いて「くだん」と読みます。
作者の春日みかげ氏は、戦国武将たちが美少女のパラレル戦国時代を描く『織田信奈の野望』やジャンヌ・ダルクに題材を取った『ユリシーズ』などの歴史ファンタジー作品で知られる作家。
最近レーベルを移動しての新版『織田信奈の野望 全国版』を10巻まとめて出したばかりでもあります。

そして、最初に言っておきますが、本作は『百鬼夜行』シリーズのほとんど、とりわけ『魍魎の匣』と『絡新婦の理』のネタバレを含むばかりか、むしろシリーズの内容を前提して話が成り立っています。今までの薔薇十字叢書には原作未読者にも勧められそうなものもありますが、今回ばかりは原作読者専用です。
この記事も多少はシリーズのネタバレを含むこと、ご了承ください。
そもそもそういう作品ですので、前提されている「百鬼夜行」シリーズ作品の内容をいちいち説明してもいられませんし。

さて、本作の作中年代は原作から4年後の昭和32年
あの久保竣公と一字違いの「久保竣皇」を名乗る作家が登場し、「武蔵野連続バラバラ殺人事件」の一部関係者しか知らない真相を描いた小説『魍魎の匣』を発表、話題になっています。
普通に考えれば、(ちょうど最近現実であった、元少年犯罪者の本の出版にも似た)趣味の悪い商売ですが、そもそも真相を知っているとは何者なのか、というのが大問題。
さらに、久保竣皇は横浜の「蜘蛛巣城」と呼ばれる館に住み、そこで連続して妻あるいは愛人を殺しているという噂があり……

というわけで、事件のモチーフからして、シリーズ過去作品で描かれた事件からの引用を反復していることがよく分かります。
怪事件の発生、そして京極堂の「憑物落とし」による締めという構成も原作通り、何よりついに本作では、巻頭に鳥山石燕『画図百鬼夜行』からの図版と詞書の引用が来ました。

神社姫の森 口絵

そんなわけで、スタイル的には今までで一番原作テイスト濃厚な作品だったと言っていいでしょう。
事件に関しては、まあ前振りからして竣皇の正体は比較的容易に予想できるのですが、ポイントはむしろその点の「正体当て」よりも、現実と幻想が交錯する異様な描写により掻き立てられる「一体どうしてこうなって、何が起こっているのか」という部分でしょうか。

また、竣皇の作品が『魍魎の匣』で予定されている次回作が『姑獲鳥の夏』というメタ言及的な内容でもありますが(ちなみに『神社姫の森』は竣皇のデビュー作)、さらに竣皇パートでは『絡新婦』の内容が密接に絡んできて、「女性の転落死」というモチーフのオーバーラップと人物関係により『絡新婦』から『姑獲鳥』へ繋げる辺り、徹底して原作の要素を再構成しようという強いオマージュの意志を感じさせます。

蘊蓄も原作に匹敵する密度と精度。
ともに人面に動物の身体で予言をする妖怪である「神社姫」と「くだん(件)」の繋がりを分析するばかりか、さらにはそれをシュメールに始まる世界中の神話の女神と牛の話にまで結び付ける部分も圧巻ですが、加えて印象的なのは、プロローグが昭和29年、京極堂と関口が映画『ゴジラ』を鑑賞して語り合う場面から始まっていることです。
ビキニ環礁の水爆実験とその被曝によって触発されて「ゴジラ」が作られた、という周知の事情から、京極堂はゴジラが現代の妖怪であり、「恐ろしいもの」に形を与えようとする同じ心性が働いていることを分析します。

「放射性物質を吐いて土地を汚染するゴjラはやはり現代の妖怪であり祟り神なんだよ。放射性物質が放つ放射線は、人間の目には見えないだろう関口君。いにしえの平安朝の貴族たちは、目に見えない『穢れ』を異様に恐れ、忌避した。僕が商売にしている陰陽道は、もとはといえばこの『穢れ』から貴族を護るために開発された技術体系だからね。いわゆる放射能マグロの風評被害問題には、現実的な汚染の問題と、見えない放射線という『穢れ』を恐れる人々の心性の問題の二つが重なっているのだ。要は、放射性物質が現代に蘇った『穢れ』であることが、恐怖の根源なのだ。科学的にどういうものなのかは、実は問題ではないのだ。いやもちろん、ほんとうのところには問題なのだけれど。人々にとっては、ということだよ。実際のところ、放射性物質による汚染が人体や環境にどのような影響を与えるのかは、完全には解明されていない。アメリカ政府が第五福竜丸事件の犠牲者と水爆実験との関連性を認めないのも、そこの科学的な因果関係の法則が確定していないからだね。故に、過失を認めたくない立場の側は、どうとでも突っぱねられる。逆に、われわれはいくらでも恐れることができる――『ここまでは恐れていい、ここか先は恐れなくてもいい』というルールがわからないのだから」
 (……)
「これらの理不尽な恐怖を『妖怪』として一体化して『名』と『姿』を与えたものが、ゴジラというわけだ」
 (春日みかげ『薔薇十字叢書 神社姫の森』、KADOKAWA、2015、pp. 21-22)


「風評被害」というのはいかにも近年の流行語で、当時そんな言い方が一般的だったのかどうか定かでありませんが、もちろんこれは意図的に現代の時事ネタである放射能問題と重ねているのです。
そして、こうして現代の問題を投影し、当時(昭和20年代後半)の登場人物に「予言」させるというのも、原作がしばしばやってきたことでした。
無論、現代人である作者と読者にとってはそれはすでに知っていることですから予言も何もないのですが、しかしこれは振り返って、当時のどこに今の問題の根があったのかということを分析する、一つの歴史観の提示です。

もっとも、原作の「予言」は堂島大佐の「いずれ子が親を喰らう世の中になるぞ」という類のまだ抽象的なもので、その点で本作はゴジラを「御霊」に祀り上げるという話(その後の『ゴジラ』シリーズの展開)から原子力発電、さらには『鉄腕アトム』(昭和27年連載開始なので、作中世界にすでに存在しているのは事実です)まで絡めるなど、ちょっと具体的にやり過ぎの感はあります。
とは言え、そうして当時の情勢を細かく拾って歴史観を提示すること、歴史(ファンタジー)作家たる作者・春日氏の面目躍如とも言えるでしょう。

プロローグの後、本編の冒頭でも紙芝居『空手鬼太郎』(言うまでもなく『ゲゲゲの鬼太郎』の前身となる水木しげる作品)が登場し、京極堂と鳥口に「だが、あいにく、この紙芝居の作者はもう筆を折ってしまったらしい。(……)もしかしたら作者は今頃上京して、貸本漫画化にでも転業しているのかもしれないなあ」とか「鬼太郎をいっそ『異界』から来た存在である妖怪にしちまったほうが、お話として据わりがよくなると思いますけれどもねえ?」なんて言わせてみたりと自在です。
さらには水木しげる本人らしき人物も登場する辺り、妖怪シリーズとしては素晴らしいオマージュでした(他に一人、実在した文豪が登場しており、これはもしかすると『陰摩羅鬼の瑕』で横溝正史が登場したことを念頭に置いているのかも知れません)。

とにかくこういうところまで、蘊蓄の量だけでなく分析の仕方も、確かに原作スタイルを押さえているのです。

(ついでながら、本作中には元作家志望の編集者で、「男が書けないから戦国武将をみんな女体化した小説を書いた」という作者を思わせる人物が登場します。まあ『織田信奈の野望』にも男性キャラクターは登場しますし、これがただちに作者の来歴を示していると考えるのも早計でしょうが、しかしあとがきで「小説の書けなくなった小説家」というモチーフの自分にとっての意味を語っていることからも分かる通り、まったくどうでもいいネタとも言い切れません)

惜しむらくは、事件構造の多層性には乏しいことでしょうか。
これは「真相が読めるかどうか」とは少し違います。
原作の場合、刑事事件として表沙汰になった事件(とりわけ殺人事件)は氷山の一角であり、その背後にはもっと大きな構造があって、実行犯ですら実態を理解出来ずにそれを動かされていたという構成が一般的でした。
しかもそこには、公と私、客観的出来事と主観的体験のような異なる意味の層が存在し、その繋がりが分かることで、初めて事件の全貌が見えてくる仕掛けです――たとえその結果として見えてくる真相は単純だったとしても(中には『鉄鼠の檻』のように、そうした巨大な構造は空洞で、事件を駆動していたわけではないケースもありますが、それでも巨大な背景と事件は無関係ではありません)。
本作にはそうした要素は希薄です。原作とのボリュームの差を考えると、これは取捨選択の問題かも知れませんが。

なお、(私も少ししか読んだ覚えがないので、知っている限りでは、ですが)作者の春日みかげ氏はあまり文章が上手い方ではなく、(『織田信奈の野望』の設定のゆるさを差し引いても)シリアスな場面でも描写の緊張感に乏しく、ドタバタとしても淡々としている印象がありました(『織田信奈』のアニメは作画も演出もきっちりしていて驚きました)。
だからその点にはあまり期待していませんでしたし、実際細部に違和感はあります。冒頭で鳥口が京極堂を「中禅寺先生」と読んでいますが、彼の京極堂に対する呼称は「師匠」で誰でも「先生」というのは和寅じゃないかとか、鳥口「~のです」と言っていますがこれはむしろ今川の口調で、鳥口なら「~んです(わ)」という調子じゃないかとか。
ただ、地の文の描写よりも圧倒的に会話が多いのは、むしろプラスだったのでしょうか、そうした細部を除けばむしろ文章で引っ掛かる部分は少なめです。現実と幻想が交錯する世界も読者を巻き込む威力がありました。

とにかく、原作、少なくとも『塗仏の宴』まで読んでいる読者にしかお勧めできませんが、徹底して原作のスタイルと要素を踏襲した、トリビュートとしては傑作といえる一品でした。

 ~~~

次の薔薇十字叢書は来月の講談社ホワイトハートの予定。
タイトルからして、最近の女性向け作品に多い「読んでほっこりしました」と言われる類の日常物の気配なので、過度な期待は禁物かも知れませんが、あらすじを見ると個人的には一番の気に入りヒロインである呉美由紀が登場するようなので、少し楽しみだったり。
こういう魅力的なサブキャラのその後というのは見たい一方で、万が一本編で再登場したらと思うと書くことに二の足を踏みそうな題材でもあります。
まあ、シェアドワールドというのはどうしても辻褄を合わせねばならないわけでもないでしょうから、その辺は作者の思い切り次第かも知れませんが。


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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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