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比喩は文字通りに語る

ちょっと話がくどくなりそうなので書くべきかどうしようかと思っていましたが、他に書くこともありませんし、せっかくだから今の内に書いておくことにします。
入間人間氏による『終末シリーズ』ノベライズの話の補足のようなものです。

なお、以下の話の大部分においては、「それが原作者の発案か小説家の趣向か」といった問題は度外視しています。
詮索しても仕方のないことだからです。念のため。

『しゅうまつがやってくる!』1冊を読んだ時点で、楽曲の歌詞あるいは動画と小説を見比べて気付くのは、楽曲を見ると比喩かと思われたことが想像以上に文字通りの意味を持っていた、ということです。
たとえば、動画にあった、信号機の色がめまぐるしく切り替わる描写にしてもそうです。

元々、詩というのは物事を詳細に語るものではなく、それゆえに言外に多くの含意を含むものですし、とりわけsasakure.uk氏の歌詞は、背景に複雑な設定とストーリーがあることを匂わせながら、その多くを明示しません。
そして私は詩的言語の読み方に関する専門知識を持っているわけではないので、普通に読んで分かることを言うしかないのですが……

『終末シリーズ』4部作の楽曲から判断できるあらすじは、以下のようなものになるでしょう。

1. 「しゅうまつがやってくる!」:憧れの男の子が戦争? でどこかへ行ってしまい、想いを伝えられなかった女の子の話
2. 「ぼくらの16bit戦争」:戦争に行った者達(上述の男の子を含む?)の話
3. 「ワンダーラスト」:戦争? により滅びが訪れる話
4. 「*ハロー、プラネット。」:終末後の世界で、一人マスターを捜すアンドロイドの話

ここまではおおむね誰でも解釈が一致すると思います。しかし、戦争? とは何でしょうか。
「しゅうまつがやってくる!」の歌詞にはこうあります。

“世界が”どうなっちゃうとか
全然実感わかないよ
ただ君との距離が今、肌と両手に伝わる
幸 福 感


“世界”がなんて知らないよ
「戦争?」「天災?」知らないよ
ただ君との距離が今、肌と両手に伝わる
喪 失 感


普通ならば、身近なところで「戦争」や「天災」があれば、その情報は自ずから入ってきます。
さらに言えば、前半は「君」(=男の子)がいた時のことですが、後半は彼がいなくなった後。
戦争? のせいで彼がいなくなったとあれば、どうしてそうなったのか、彼はどこへ行ったのか、大丈夫なのか――そうしたことは関心事になる、少なくとも「知ろう」とはするはずです、一般的に。

だからこの場合の「知らないよ」は、文字通りに「それに関する知識を持たない」という意味ではなく、「どうでもいい」「そんなことよりも身近なことの方が大事」という感情を表現したものだと、普通は考えます。
実際、その方が「全然実感わかないよ」や、直後の「終末がやってくる! そんなこと別に 興味ないんだ」とも符合します。

ところが、小説版を読んで驚き、本当に何が起きているのか謎なのです。
彼がどこに行ったのか分からないのは、公式の徴兵の類ではなく非公式の組織に参加した(らしい)という理由もあり、そこまでは楽曲からも察せられないではないことですが、それだけではありません。
世界にどんな異変が起こっているのか、全く実態不明なのです。

これで、紛れもなく国が戦争に巻き込まれているのにどこと戦っているのか不明――であれば、(小説レビューの時にも言ったように)『最終兵器彼女』の世界です。
ただ、本作はもう少しもっともらしく「謎である理由」を示す道を選びました。
その理由は、「前代未聞の異変が起こっており、そもそも実態を把握している人がいるのかどうかすら分からない」ことと、「電子機器の暴走により、情報手段が断たれている」ことという二段重ねになっています。

もちろん、このような事態によって、「知らないよ」が彼女――小説で語られた名前は綾崎双葉――の感情を示すという上述の解釈が否定されるわけではなく、意味は多重化します。


折角だから、もう少し続けてみましょう。
「*ハロー、プラネット。」の歌詞に、「スフィンクスのナゾナゾに、オハヨーハヨー」という一節があります。
スフィンクスの謎かけは周知のように、「朝は4本足、昼は2本足、晩は3本足の動物は何か?」で、答えは「人間」です。

ただし――忘れられがちなことですが――この謎かけに答えてスフィンクスを打ち破った英雄オイディプスは、(知らずして)自分の父を殺して母と結婚する男なのです。

 オイディプスが説いたとされるスフィンクスの謎は、それ自体一つの真理(人間一般についての真理)をアレゴリーで示すものであったが、じつはこの真理がそれ自身もう一つの真理(オイディプス自身についての真理)のアレゴリーともなっていた。すなわちスフィンクスの謎のなかに人間一般の真理を洞察したと思ったオイディプスは、たんに真理の一面を洞察していたにすぎなかったことが、ドラマの進行につれてやがて明らかになる。それ囲碁、彼が解かずに担い続けなければならなかった謎は“幼年、青年、老年という三世代を順々に経るのではなく、兄弟の親となることで親の世代と、また子の兄弟となることで子の世代と自らを同一化し、この三世代を自らのなかに兼ね備えていた人物は誰か?”というものであった。つまりスフィンクスの謎に対してオイディプスが解いた真理は、じつはより深い、彼自身の存在の真理を隠蔽しつつ表現するアレゴリーにすぎなかったのである。
 (田島正樹『ニーチェの遠近法』、青弓社、2003、p. 133)


オイディプスは謎を解いたと思いきや、まだスフィンクスの謎の内にいたのではないか――

斯様に、比喩の裏に隠された「真の意味」を見付けたところで話は終わり、ではないのです。
しかも、このように解釈する場合、「朝、昼、晩」は人生の段階を示した比喩ではなく、「一日の内に=同時に」を意味することになります。
文字通りの意味は蘇ります。

もちろん、「*ハロー、プラネット。」における「スフィンクスのナゾナゾ」の意味は、現段階では何とも言えません。色々な解釈が可能でしょう。
ただ、「オハヨーハヨー」は『しゅうまつがやってくる!』小説版において、双葉の所有していたヒヨコ型ロボット・ピヨスケの台詞であったことが判明しています。「*ハロー、プラネット。」の主役となるであろうアンドロイド(動画では初音ミク)もこの小説で登場しており、この台詞が彼女に受け継がれる流れはすでにできています。
ここでも、この台詞は文字通りにそう喋られたのです。比喩ではなく。
とは言え同時に、彼女が台詞を受け継ぐこと自体が、おそらく否応なしに象徴的意味を持つことでしょう。

※ ちなみに、原作者のsasakure.uk氏とノベライズの入間氏のどちらの手による部分かというのは詮索しないつもりでしたが、ことアンドロイドの扱いに関しては入間氏の色が強い感があります。動画の初音ミクはSDの二頭身ということもあって幼い印象が強いのですが、小説版の印象は随分と違うのです。

それはともかく、シリーズの流れからすると、『しゅうまつがやってくる!』の双葉の視点からすると全くの謎であった「戦争?」「天災?」の実態も、『ぼくらの16bit戦争』以降で描かれるものと思われます。
しかし、この謎めいたシリーズがどこまで直接的な説明をするのか、分からない面も多分にあります。

もちろん、「作中世界の人間にも何だか分からないような前代未聞のことが起きている」と分かっただけでもきわめて具体的な情報ではあります。
しかし他方で、思った以上に、具体的に説明されてなお謎の多い世界だったのも事実。

ともあれ、まずは早めに続きが出ることを期待して楽しみに待ちましょう。



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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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