オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
移り変わり色々
だから、先の二つは結構以前の話です。
いつぞや、『ウサビッチ』のぬいぐるみをクレーンゲームで取った話をしましたが、もう一匹も取ってしまいました。

ちなみにそのゲームセンターはその後しばらくすると閉店していました。
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京大以文会、と言えば文学部・文学研究科の同窓会組織なのですが……
機関誌がご丁寧に家と研究室の両方に送られてきました。

研究室に置いてある分を誰も持ち帰らないわけです。
何とかならないものでしょうか。
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それから、これは写真を撮ることはできなかったのですが……
先日、1月22日に研究室を卒業・進学する学生のための予餞会が行われました(ただし、学部を卒業する学生は誰も来ず。新入生歓迎会に新入生も来ませんし、これならもう行くの辞めましょうか)。
それで遅くなり、日付が変わった頃になって家路を歩いていたところ、1匹の動物が車道を渡り、そのまま私の前方を駆け抜けて学校の通用門へと消えていきました。
最初、猫かと思ったのですが、それにしてはどうも足が短く、少し体型が違っていたような気がします。
尻尾も、猫だとしても品種によって様々なので何とも言えませんが、どうも猫とは違うような……
ちょうどこんな感じでした。

どうもイタチの類に見えたのですが、どうでしょう。
サイズが猫並みならばニホンイタチとしては結構大きいことになりますが、まああり得ないサイズではありませんし。
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コロンブスの卵の話に惑わされがちですが、尻を潰さなくても卵は立ちます。

ただし、これは殻の表面の小さな出っ張りを足にして立てているので、出っ張りの配置によっては上手く立たないこともあります。
というか、久々にやってみたところ、どうも最近の卵はすべすべしていて立ちにくいような……
実際、コロンブスの卵の話は人を惑わしているように思います。
「最初にやったから偉い」という教訓の意味でも。
先達の価値とは、それだけのことなのでしょうか。
たとえば、ライトノベル等で流行りの題材について、私は繰り返し書いてきました。
たとえば「魔法少女」とか、「勇者と魔王」とか。
いずれも先駆けを比較的特定しやすいブーム(今やピークは過ぎた)ですが、「血腥く過酷な魔法少女」とか、「それぞれの責務を果たさない勇者と魔王(両者が手を組むなど)」という、“従来のイメージを覆した”という観点で語られがちな題材でもあります。
しかし、(しつこいようですが)「先駆的作品は従来のイメージを反転してインパクトを与えたが、二番煎じ、三番煎じが増えて慣れたので飽きてきた」というだけの観点で語ることに、私は反対です。
それは先駆的作品を軽んじすぎだからです。
先駆的な作品というのは、時代が過ぎてから鑑賞しても、意外と古びないものです。
(私は全てをリアルタイムで鑑賞しているわけではないので、当初読んでいた思い入れからこう言うわけではありません)
そもそも、多くの場合、本当にその「先駆的な作品」以前に類似のネタがなかったのかどうか、怪しいものです。むしろ、優れた作品であったからこそ、そのジャンルに人の目を向けさせる力を持っていたのではありますまいか。
結局、何番煎じかというのは副次的な問題です。
問題は、どれだけ自分で問いを立て、問うたか、です。どれだけ先達がいようと、問いは自分で問うより他ないのですから。
たとえば、「勇者」に関して言うと、七沢またり氏の『勇者、或いは化け物と呼ばれた少女』は元々、「職業は何を? 勇者です」というタイトルの『ドラゴンクエストIII』の二次創作で、冒頭で冒険者ギルドに登録しようとしてタイトルの台詞を言った女勇者が「そんな職業とギルドはありません」と突っぱねられるところから始まるタイトル出オチ作品でした。
そしてこの「“勇者”は職業たりえるのか」という問いに触れた作品の歴史も古く数も厖大であること、何度も言いました。
しかし、七沢またり氏はそこから、「強すぎることと過酷な宿命から化け物と恐れられ、仲間にも逃げられた勇者」の凄絶な物語を描き上げました。
しかしそんな境遇によりやさぐれて、「世のため人のため」といった善意はとうに捨て去った勇者ですが、「勇者として、魔物は殺す」ということをアイデンティティとしていました。その「魔物」には、外道に堕ちた人間も含まれます。
これはまさに「勇者とは何か、魔とは何か」という問いを突き詰めた結果であり、そしてそんな勇者の悲痛さをしっかり描いているがゆえに、だからこそいつ読んでも訴える、強い迫力を備えています。
だから――「従来のイメージを反転したものやパロディがありふれているから、一周回って古典的なものを」と考えても、それだけでは駄目、同じことです。
その場合も、「そのジャンルの古典的なものを成立させるには何が必要か」としっかり問うことがアルファにしてオメガです。
結局、最後はいつも通りのだらだらした論攷になってしまいましたが。
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