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正体を隠す理由とヒーローの自覚

変身ヒーローというと正体を隠すもの、というイメージがあるかも知れませんが、実態は様々です。
戦隊モノの場合はあえて「正体を隠している」という設定の方が少ないですね。1つには多分、戦隊のメンバー内部のみ(+いくらかの味方とゲストキャラ)で日常生活も送れますしドラマも出来て、「ヒーローの正体を知らないで付き合っている一般人」が出てくること自体、比較的少ないからではないかと思います。
こうしてみると、正体を隠す1つの理由は明らかになります。同じヒーロー仲間同士ならともかく、普通は正体を知られていたら相手も常にそれを意識して、日常生活なんか送れないからですね。

ですが、戦隊ヒーロー方式で一般人を絡ませないと、「悪によって脅かされるであろう普通の人々」が遠い存在になります。急に抽象的に「世界を守る」なんて言っても、何だか実感がありませんしねえ。
そこで「正体を知っている一般人」がレギュラーとして登場したり、あるいはゲストキャラを使ったりで、「守るべき人達」を身近な形で描くことが多い、と思いますね。
(「身近な人」から話を広げて行っても「世界を守る」等という大義にはたして辿り着くのか、という難問はありますが、そこはここでは触れません)

さてここで、少し前に修了した『侍戦隊シンケンジャー』のことを考えると、結構(シリーズ中では)独特の番組でしたね。
必殺技のバズーカもシンケンレッドの武器が変形したもので、それに皆がディスクを装填するのでした。これを初めて使う回では、レッド・丈瑠が「殿様として」他の皆を支えるべく、夜中密かに特訓していました。
他の皆が戦闘不能になった時、特に敵に捕らわれたりした場合それを助けるべく、少人数だけで挑むという展開はしばしばあります。『鳥人戦隊ジェットマン』でも、やはり(本来5人で撃つべき)バズーカを最初に使った時は一人ででした。しかし、「頼りない他の皆を支えるために独り頑張る」とは、「皆で力を合わせて戦う」戦隊モノの基本コンセプトからしてどうなのか…しかも、その基盤にあるのが「殿様」という時代錯誤な設定と来ると、話は穏やかではありません。

が、これは計算の上、そうした状況を少しずつ変えて行くことがドラマの狙いだったようですね。中盤、丈瑠の幼馴染みで寿司屋(つまり、家臣の侍ではない)の源太がシンケンゴールドとして強引に加入したのも重要な転機でした。
しかし決定的だったのは、本当の志葉家十八代目当主・薫が登場したことでした(この時の内容に関しては社会的立場によるアイデンティティも参照)。上記の状況を支えていたのは、影武者である丈瑠が「殿様である」というでした。

この後の展開は定番と言いますか、いままで一年間一緒に戦って来た皆はもちろん、急に「この方こそ本当のシンケンレッドである」と言われて一緒に戦うことになっても違和感ばかり、結局個人として丈瑠を助けに行きます。さらに、志葉家当主のみが使える切り札「封印の文字」も外道衆の御大将・血祭ドウコクに通じず、負傷した薫は戦線離脱して、丈瑠を養子に取り(丈瑠の方が年上なのに!)本当の当主にして、後を託します。
そして最終回ですが、シンケンジャーは一度敗れ、薫の「モヂカラ」(ヒーローの特殊な力と思っておいてください)を込めたディスクも砕けます。しかしもちろんシンケンジャーは諦めず、薫も怪我を押してもう1枚ディスクを作ろうとします。
あくまでも「志葉家の血筋」を残すことを優先し、「おやめくだされ、一旦身を隠して…」と薫に懇願する重臣・丹波歳三に対し、薫が叫んだ言葉がこれです。

丹波なぜ分からぬ! 志葉家だけが残っても意味はないのだ!! この世を…守らねば…!!」

「この世を守る」という壮大な大義はやはり浮いた印象が残るかも知れませんが、これはシンケンジャーという番組全体への言葉だったように思えます。
丈瑠が「俺は殿様だから、一人で皆を支えないと」と奮闘していたのは、自分は本物ではないからこそ実力で頼りになるところを見せないと、という思いもあったのかも知れませんが、一方で他の皆が「強い殿様」に依存していることと表裏一体だったはずです。
他の皆にも「家臣として、殿の忠ために」を重んじる流ノ介から、そんな旧態依然としてた上下関係を嫌っていた千明まで色んなのがいましたが、いずれにせよシンケンジャーであることを先祖代々決まっている「既成事実」として受け入れ、何らかの形で依存していた面はあるでしょう。しかし、それではヒーローとしての自覚はまだ不十分です。
そもそも外道衆を討つためにシンケンジャーが組織され、シンケンジャーを維持するために侍としての君臣関係が機能して来たのであって、逆ではないはずです。

ですが、すでに丈瑠が殿様ではないと知っても共に戦うことを自ら選んだシンケンジャーは、その時点で(ようやく)自覚を持ったヒーローとなっていたことでしょう。戦う理由は「殿様のため」でも「シンケンジャーとしてそう決まっているから」でもありません。
最後は丹波も丈瑠を「殿」と呼び、薫が身を賭して作ったディスクに加え、「不肖、丹波の得意とするモヂカラでございます」と言って、武器を2つに増やす「双」のディスクを渡してくれます。

ところで、薫以外は露骨に見下していて嫌な性格だった丹波ですが、戦いが終わった後の大団円で今度は今度は薫にお見合いを勧めている姿はただの世話焼き爺さんに見えました。彼はただ、視野が狭くて薫一人の身しか案じられなかっただけなのでしょう。
                           (芸術学2年T.Y.)

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