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これは深い意図のある問題、か

新刊小説の感想など、書こうと思えば書けることはあるのですが、忙しいので今回は別件を手短に。
まずはこの画像をご覧ください。

キングス・クロス駅問題

これは下記の新書の帯です。



「この写真の意味を説明できますか?」とありますが、この書の本文を読んでみると、これは元は順天堂大学医学部の入試とのことで、そして問題もだいぶ違っていました。
元の問題は「キングス・クロス駅の写真です。あなたの感じるところを800字以内で述べなさい」だった、とあります。

まず「キングス・クロス駅の写真」だという情報がありますし、何よりも「意味」と「感じるところ」ではまるで違います。
「洞窟のように曲面を描く壁と天上がなめらかに連続したトンネル階段を下から見上げたアングルで、上の方に背中を見せて上っていくコート姿の紳士がおり、画面右下の手すりには二つの赤い風船が結び付けられている……」と、“何が写っているのか”の記述も「意味」の内です。「しかじかのものを撮った写真である」というのは、すでにしてそのものの「意味」ですから。

ただ、だから「“意味”では漠然としすぎている」と帯を批判したいわけではありません。
むしろ、実際の入試問題には「“感じるところ”なんか書かせてどうするつもりなのか」とがっかりしました。

流麗な筆致で詩的な妄想を展開する受験生がいたら、どう評価するんでしょうか。
それは確かに評価するべき能力ですが、医学部がそんな学生を取ってどうするのでしょう。

まあ、というか、この問題文を見るとほとんどの人は「妄想」を展開してしまうのです。

 この入試問題は、教育関係者の間で大変な話題となり、さまざまな解釈がメディアを賑わしました。医学部の入試問題ですから、医者の資質や素養のある人材かどうかをみようというのが、大前提だろうということは想像できます。階段の向こうに希望を感じさせるという捉え方もできそうですし、赤い風船にこの男は気づかず通り過ぎていることを何かの象徴と見ることでもきる。この男が、赤い風船を巻きつけていったと解釈するのもアリかもしれない……、わざわざ「キングス・クロス駅」と明記されているので、ロンドンにあるこの駅について何か知識があれば、これを活かして書く手もあります。確実なのは、正解が一つではないということです。
 (石川一郎『2020年の大学入試問題』、講談社、2016、p. 16)


まあ、写真というのも意図を持って一つの画面を作る「作品」であると考えれば、それが象徴的な意味を持っていることも考えられます。
いや、究極的には知りようのない「作者の意図」なんて考えるまでもなく、見る者によってそれは作品となり、様々な意味を帯びる――別にそれは間違っていない、当たり前のことなのでしょう。

しかし、主観的な妄想であることに変わりはありません。
そして、「創造性」とか「主体性」といった美名の下にそれを放置するだけであっては、教育の意味がありません。学問にせよ医学にせよ、それを客観性をもって伝えられる必要があるのです。

結局、この新書の第1章の最後で展開される、この問題を使った教育の事例や解答例を見ても、印象はそれほど変わりませんでした。
とは言え、中には注目すべき事例もあります。

 「赤い風船」と「紳士」という「差異」に気づいた生徒は、現代社会で大切なものを置き忘れてしまった人間の孤独を見出していました。
 「赤い風船」の色と「背景」の色の「差異」を、母胎ととらえる生徒もいました。この絵全体から安心感を感じる。それは背景が母なる大地をイメージするピンクの色で滑らかだからであり、「赤い風船」は、母親に抱かれている子どもなのだと。感じ方は主観的ですが、その主観的な感じ方が生まれる論理的な思考が小論文としての妥当性を与えているのです。最近文部科学省が使い始めた「学習を通じた創造的思考」というものです。
 (同書、pp. 55-56)


確かにこの二つ目の事例は「安心感を感じる」のはなぜか、と「主観的な感じ方」を論理的・客観的に分析できています。これをちゃんと言葉にして書ければ、どこの大学に行っても恥ずかしくないでしょう。

とにかく言いたいのは、独自で美しい「象徴的な意味」を読み取ればいいのか、ということです。

上で「何が写っているのか」という記述のことを言いましたが、美術系の部署ではこれは基本です。
以前にも書いたことがありますけれど、美術系大学の芸術学の入試では定番中の定番です。
「こんな内容の絵」の言葉で検索して、探せるようにしておかねばなりません。

医学部だって、患者の状態を言葉で記述できねばらないはずです。
私など、写真の内容を客観的に記述・説明できれば十分であって、「感じるところ」なんて書かせて正当に評価できるのか、と思ってしまうのです。

情報化社会と言いますが、これを「右から左に大量の情報が流れる社会」だと思っている人が多いのではないでしょうか。
まあ知識を問う試験も、基本的に仕入れた情報を書き写すものです。

そのような知識偏重の試験への批判はもはや言い尽くされた感があり、だから思考力を見る試験だとかいう話題になるでしょうが、ちょっと待っていただきたい。
確かに、“情報化”社会というくらいですから、真に重要なのは情報を生み出すことです。
しかし情報を生み出すというのは、自分独自の思考という名の下に妄想を展開する以前に、まず情報でないものを情報“化”することです。つまり、あるものを記述することです。

それはもうできるという前提で、思考力云々を問うているのならいいでしょう。
しかし、実態はどうでしょうか。

最後に一つ言っておくならば、そもそも「この入試問題を見よ、大学はしかじかの学生を求めておられる」と「大学のお告げ」を深読みしすぎることに、私はどちらかというと反対です。
だって、「分かってない奴が余計な入試や選抜方法を持ち込んで迷惑だ」と大学の先生が揉めている事例に一つならず覚えがありますから。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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