オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
実行犯判明と、より大きな蜘蛛の巣と――『絡新婦の理』(漫画版)第3巻
今回取り上げる作品は当然というべきかこちら、『絡新婦の理』コミカライズの第3巻です。
(前巻の記事)
各回の内容については概ね連載時に書いてきた通り。
(連載時の記事:第11話 第12話 第13話 第14~15話 第16話)
整理すると以下のようになります。
第11話:原作第6章(伊佐間パート)後半。刑事・木場修太郎が織作家の三女・葵から話を聞き、川島喜市の背景を突き止め始める。そして喜市の母親と思しき女性・石田芳江が住んでいたという小屋に向かうが、そこで次なる被害が……
第12~14話:原作第7章(美由紀パート)。美由紀は事件の真相に気づき始め、さらに学院を訪れた榎木津がさっそく殺人犯を指摘するが、ここでも新たな被害を止められず……
第15~16話:原作第8章(益田パート)。ここまでの顛末を京極堂に報告する益田。しかしそこに青木の報告が合わさると、同じ連続殺人の背景に別人による別の動機が見出されるという奇怪な事態が判明。「蜘蛛の巣」に喩えられる事件の複雑さと、真犯人「蜘蛛」の狡猾さが見えてきます。「自分が出て行っても同じだ」と事件解決には動こうとしなかった京極堂ですが、今川からの「織作家の呪いを解いて欲しい」という今川の依頼により、ついに腰を上げます。
かくして、今回は一つ一つの事件の実行犯が判明し、場合によっては捕まるという意味では「解決編」に入っているのですが、それぞれの事件には実行犯だけでなく様々な人間が関わっており、犯人を捕まえてもそれが次の段階の事件を呼ぶだけ、という構造も同時に露わになってきます。
ちょうど次の4巻(来年3月発売予定)で完結ということで、今巻が「転」で、ただ犯人を「捕まえる」だけでなく京極堂が背後関係を明らかにして締めるの次巻が「結」とも言えますが。
しかし、『魍魎』『狂骨』よりも原作のページ数は多いのに、コミカライズの巻数ではそれより少ない全4巻完結とは……
蘊蓄が端折り気味であったり、いくつかのやりとりが消えているなど圧縮を感じるのは、月刊連載という形式の都合もあったかもしれません(話しているだけの回がずっと続くことを避けたものか)。
ただ、掲載時の移動に当たっての(場合によっては早期終了も見据えた)様子見、そして最後はまたしても掲載誌の休刊と外的な事情が色々あったことですが分かっているだけに、やや残念な気はします。
いくぶんの圧縮を感じてもなお、素晴らしい出来のコミカライズではあるのですが……
そして、このコミカライズは原作の順番を入れ替えて美由紀編から始まったわけですが、最終巻も前半は美由紀パートの解決編となるわけで、(最後にこそ登場しないものの)最後まで彼女が主役の印象を残しそうです。
後、今回の表紙は木場。『コミック怪』時代はずっと京極堂だったのが、今作では京極堂、榎木津、木場と表紙のキャラを変えてきました。4巻は誰になるのでしょう。関口では冴えないだけでなく、今作でほとんど登場しない彼が表紙を飾るのも妙な木がしますが、はてさて……
また別の掲載誌を探して『鉄鼠』をコミカライズできるのか、それが気がかりです。
原作の順番(および作中の時系列)では先の『鉄鼠』がまだのせいで、たとえば今巻での敦子の「益田さん警察辞めちゃったんですか?」なんて台詞から二人に面識があることが分かっても、いつ会ってるのか不明なままなんですよね。
―――
そしてほぼ同時期に、コミカライズ第18話を掲載の『マガジンSPECIAL』も発売。
今回はセンターカラーです。

ちょっと謎の扉絵ですが。
内容に関して言うと……こちらは「憑物落とし」のカタルシスが関わるだけに、なんだか余計に急ぎ足なのを感じてしまうところはありました。
『姑獲鳥の夏』など、それまで皆が信じていた現実を解体され、あまにも残酷な真相を突き付けられていく辛さがありありと伝わってきたのですが、それに比べるといささか弱いかな、と。
ただ、そろそろ解決編ということで、どうしてもネタバレを含むので詳しくは追記にて。
元々、京極堂の「憑物落とし」は「誰が犯罪を行ったか」という事実問題の解明ではなく、「意味」の解体に関わるものでした。
怪異のように不気味に思われた事件が、それによって何も不思議なところのないものへと変貌するのです。
今作はとりわけそれが顕著で、何しろ実行犯はもう捕まっているのです。その背後に彼を操っていた人物はいますが、それも前回で判明。そして全ての黒幕である「蜘蛛」については、事件の進行中は京極堂といえど、それを指摘できません。
そんなわけで問題は、実行犯がどんな人物であり、何に苦しみ、どうして犯罪に走ったのか――です。
京極堂は彼に問いかけ、それを明らかにする――いやむしろ、彼の「物語」を綴ります。

(京極夏彦/志水アキ「絡新婦の理」『マガジンSPECIAL』2016年No. 11、p. 375)
ただここでも、原作だと「自分は劣った人間だという」のは「劣っているから仕方がない」という言い訳だ、というより詳細な台詞があり、美由紀がなるほど「善くない、弁が立つ」という榎木津の言葉通りだ、と納得する場面があるのですが、その辺もだいぶあっさり感。


「わたしはずっと女になりたかった…けれど妻は言った…『女は綺麗な服を着るもの』と決めつけるのは侮辱であり劣った考えだと
なら、化粧して着飾りたいと強く思う男の私は…? 人として劣った欲求を抱く劣った人間という事になるではありませんか!」
「女性的な男だからといって人として劣っているわけではない あなたは正真正銘ひとりの人間なのです!」
(同誌、pp. 383-384)
原作だと、これにより女権運動家だった妻・美江が「自分こそ(化粧して着飾るといった)女性的なものを見下す視点をもって夫に接していたのではないか」と反省する場面があったのですが、そこもどうやら省略されそうで。男女の問題とフェミニズムは本作の大きなテーマだっただけに、これはかなり残念です。
あるいは、美由紀が親友を喪った喪失感ect.をそれまでもやもやとした想いとして抱えていたのを、ようやくはっきりした憎しみとして犯人にぶつけることができた場面。
こちらはあるにはあったのですが、これによって一つのカタルシスを迎える美由紀の心理描写は、やはりあっさりしていた印象があります。

(同誌、p. 381)
一度はっきりした形でぶつけることで、そうした想いも「落とす」ことができる――その意味で犯人たちだけでなく、関係者各位にとって「嫌なもの」を「落とす」のが憑物落としです。
心理描写に関しては小説と漫画という媒体の違いもありますが、『姑獲鳥』漫画版の時にはもっと念入りだった印象がありますね。
やはり少し惜しい。
そして、もう一つ気になっていたのは、キリスト教の学校だったはずの聖ベルナール女学院の建物が、実は元々ユダヤ教の寺院として建てられたものだった、という衝撃の真相。
で、実際建物の壁にはヘブライ語が刻まれている、という記述が原作にあったので、気になっていたのですが、ちゃんと絵にしてきました。専門家のアドバイスとか受けているんでしょうか。
神名を表す四文字、

(同誌、p. 391)
あるいは十戒。この辺は聖書の引用ですし短いので分かりやすいでしょう。

(同誌、p. 395)
気になるのは、聖句でも何でもない個人的な繰り言を書いていたという箇所。
ここは作文が必要ですが……ちゃんと京極堂の解説する通りの語句になっていました。

(同誌、p. 393)
אני לא רוצה למות
אני רוצה לחיות זמן רב
(私は死にたくない
私は長い時間を生きたい)
ただどういうわけか、上下反転の鏡文字になっている(行送りも上から下の模様)のですが……これは意図的でしょうか。大っぴらに言えないことだから普通に読めない書き方にしたというような。
こういうところもちゃんとしているのは流石、というところでした。
次回も大増38頁とあり、どうやら最終4巻は全5話になるので1回辺りの頁数が増える模様。
色々と予定外のことはあったかと思いますが、最後まで綺麗に締めて見せてくれることを期待しています(腕に関しては、まったく疑っていませんが)。
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