オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
SF的考え方(?)
さよりなパラレル (1) (角川コミックスドラゴンJr.)
(AMAZONには表紙画像がありますが、ここでは表示されないようです。こういうこともあるんですね)
この漫画の主人公・岡島さよりは雷に打たれて平行世界に飛ばされ、空間のひずみを引きずったために次々と平行世界を渡り歩くことになってしまう――という設定です。飛ばされる先の世界は世界観も様々、起こる出来事も様々…という、まさに何でもありにするためのような設定ですね。
問題の話は、結果的に最終エピソードとなった「頭上の支配者」(4巻収録)です。
この世界の人々は皆、頭上に“善意の支配者”と呼ばれるスライム状の生物を共生させています。

これがとりつくと、人は人格が変わって「善意の人」になってしまうのですね。

しかしもちろん、さよりは反発。色々あってこの世界の人々が力尽くで“善意の支配者”をとりつかせようとするのを止めた上で、
「とりついているわけではありません、共生関係にあります。彼らはパートナーなしには生きられないのです。彼らはかわりに我々に善意に対する行動力を与えてくれています」との説明にこう答えます。
「共生っていうんだったら対等でなきゃいんちきよ。こっちの了解もなしにパートナーにさせられたんじゃたまらないわ」

「善意だかなんだか知らないけど、わたし人から無理やり汚染を除去してもらうつもりなんかないの。悪癖も含めてわたしはわたしよ。なおさなきゃいけないとこがあると思ったら自分でなおすわ」
そして、“善意の支配者”との共生を認めるかどうか市民による投票となるのですが、その結果、なんと共生は受け入れられることに。
「善意の世界というのは理想なのかもしれませんが、わたしたちの世界は彼らの力を借りて実験してみるつもりです」
これはヒューマニズムとSFの違いか? とも考えました。SFにおいてはもっと異質な(とんでもない)考え方をする宇宙人なんかも登場しますからね。それらを皆地球人の価値観に一致させたりするのは、SFとしては不可です。
しかし、「強制的に“善意の支配者”と共生させる」というやり方に対しては、さよりが上記の通りまともな反論をして受け入れられている訳ですから、単に「色んな考え方がアリ」という相対主義とも言えません。
一応“善意の支配者”と共生してもそれまでの記憶は連続しているようですし、自分の意志で人格改造されることを選び取るならそれもアリなのか? という、なかなか微妙な問題なのです。
ところで、竹本泉氏の作品は何と今年の星雲賞にもノミネートされているのですが、いかんせん相手が悪いという感が…ノミネート作品『よみきりものの…』はタイトル通りの短編連作で、たまにSF設定のこともあるという程度でしたし。
(芸術学3年T.Y.)
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