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自意識の「発見」

まずは先日触れた本、前島賢『セカイ系とは何か』の話から。

この著者の語る「セカイ系」の歴史を概括するだけでも簡単ではないので、とりあえずは始まりからです。
まず『新世紀エヴァンゲリオン』は前半と後半で全く異なるアニメとなってしまった作品であり、前半はいわゆる「オタク向け」の作品だった、というのが前島氏の分析です。ここで「オタク向け」という時の「オタク」は、岡田斗司夫氏の言うような、(わずかなカットを見極める)鋭い動体視力と教養を備えた「オタク」です。
つまり、主人公の少年が肉親の開発した巨大ロボットに乗って戦う、という基本ストーリーは昔ながらのロボットアニメを踏襲しながら(岡田氏の言葉で言うと「世界」は同じ)、細部の設定には様々な新しい「趣向」を凝らし、また先行作品からの膨大な引用や参照で成り立っていて、多くの知識を持ったオタクにはそれを発見する楽しみがある、というものです。

ところが、『エヴァ』後半は大きく変質します。
映像の質はどんどん下がり、物語の視点は登場人物の内面に移り、ストーリー上の謎は解決されることなく、最終話では「「やっぱり僕はいらない子供なんだ。僕のことなんかどうでもいいんんだ」と、延々、自意識の悩みを吐露しあるいは「人から嫌われるのが怖いんでしょ。弱い自分を見るのが嫌なんでしょ」と他のキャラクターから責められるなかで「僕はここにいたい」「僕はここにいてもいいんだ」という結論に達し、青空のもと、他のキャラクターに「おめでとう」と祝福されて幕を閉じることになる」(『セカイ系とは何か』、p.44)わけです。最終2話のリメイクとして作られた劇場版でもテーマは変わることがありませんでした。
ところが、

この失敗、破綻により、かえって『エヴァ』は単なるオタク向け作品を超えた社会的大ヒット作になってしまうのである。
『エヴァ』終盤で描かれたのは、監督・庵野秀明の内面、自意識の悩みそのものだったように見える。言ってみれば『エヴァ』は、終盤及び劇場版で、唐突に「究極のオタク向けアニメ」から「オタクの文学」へと変化したのである。そこで展開されたのは、少年がロボットに乗って戦い成長するというオタクが見たかった物語ではなく、美少女でオナニーするオタク自身の姿であった。しかし、そのことで、『エヴァ』はオタクたちのアニメを超えて、社会現象とまで呼ばれるヒットを記録する。
 (同書、pp.46-47)


ここで前島氏の論述からいったん離れますが、この「文学」という言い回しが何とも言い得て妙に思えました。
この言葉に(「ブンガク気取り」等という時のような)皮肉な意味合いを見て取ったりせずとも、明治の日本文学がまず発見しなければならなかったものこそ「自意識」だからです。
養老孟司氏の分析に従うならば、江戸時代にはすでに中世的身体が排除され、「心こそ人である」というような心理主義の土台ができていたところに「西洋近代的自我」が導入されて「我=個=私」の問題が生じた訳です(『身体の文学史』、新潮選書)。

なにしろいきなり「独立した自我」なんていわれても、フツーの人は
「そりゃ、俺のことか」と思うに違いないからである。それなら「俺ってなんだ」を具体的に吟味することになり、日本人は生真面目なところがあるから、自分が毎日することを懇切丁寧に記録し、それが私小説になった。だってそれ以外に、自分なんて、吟味の仕様がないではないか。
 (養老孟司『無思想の発見』、ちくま新書、2005、p.p.17-18)


「人と関わるのが怖い」という自意識を吐露したり、美少女でオナニーする様を赤裸々に示したりするというのは、自分の身体的欠点を他人がどう見ているかひたすら気に病んだり(芥川龍之介「鼻」)、女を思って布団を抱いて泣いたり(田山花袋「布団」)と同根に思えます。
そもそも岡田斗司夫氏は、オタク文化を歌舞伎のような日本文化になぞらえ、その「後継者」を自任してもいたのでした。江戸文化と同型のオタク文化から、明治文学と同様の「自意識への注目」に移るのは出来過ぎのようにすら見えます。

すべて歩むことのできるものは、すでに一度この道を歩んだことがあるに違いないのではないか? すべて起こり得ることは、すでに一度起こったことがあり、なされたことがあり、歩み通り過ぎたことがあるに違いないのではないか?
 (ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』、第3部、「幻影と謎について」第2節)


すべては空しい。
 ……
日の下に新しきことなし。
 (『聖書』「コヘレトの書」、第1章)


…とでも言いたくはなりますが、文学とアニメで状況の違うところ、細かいところも突いていかねば、ちゃんとした分析にはならないでしょう。ただ、それをするには現在の私にはあまりにも作品に関する知識がない…
という訳で、前島氏の論の続きを紹介しつつ、バラバラに私の思考の断片を付け加えるのが関の山だと思いますが、いずれにせよ、続きはまた今度です。
                           (芸術学3年T.Y.)

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