オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
ストーリーが失速する時
さて、先日の話のついでで、漫画の長期連載についてちょっと考えてみます。
露骨な引き延ばしなしで長期連載するには何が必要か?
(とりあえず一話完結ものは外して、ストーリーもので考えます)
(1) 計画的にストーリーを考えること
…当初の予定を大きく外れてストーリーを展開し、傑作になった例も数多くありますが、後付けしているな、というのは分かるものです(それが常に作品の質を損なうとは限りませんが)。それに付け足しと引き延ばしは紙一重で、後から付け足していった場合、下記の「終わるべき時」も判断しにくくなるでしょう。
(2) それで安定した人気を出せること
…壮大なストーリーを考えていたけれど途中で打ち切られた、では元も子もありません。
(3) しかるべき時に終わること
…掲載誌の事情によっては、特にメジャー誌だと難しいことかも知れません。
しかし、実はこれらの前提ともなる重要なこととして、当たり前のようですが「盛り上がりを損なわずに話を畳めること」、さらに言えば「“自分に描けること”を見極めていること」があるのではないかと思います。
要するに、話がグダグダになるのはたいてい、広げた風呂敷を畳もうとする時なんですね。
謎が明かされてみるとしょうもなかったり、無理矢理辻褄合わせをしたり、最初は強そうだった敵があっけなくやられたり…
謎は答えを明かさなければいけないし、矛盾に気付いたら何とかしなければいけないし、敵を出したら倒さなければいけないと思えばこそ、こうなるのでしょう。
島本和彦氏が『吼えろペン』だったかで揶揄していたように、畳む気ゼロで大風呂敷を広げ、「誰でも100回に1回くらいはあるつまらない話」が最終回に来る、というのを本当にできればそれはそれで大したものですが、真面目に風呂敷を畳もうとしてずるずると失速していくというのがありがちなパターンです。
この流れで「悪い例」として挙げるのも申し訳ない気はしますが、思い当たった例として、往年の人気漫画『聖闘士星矢』(車田正美)から1つ。
主人公・星矢(セイヤ)の師匠である女聖闘士・魔鈴(マリン)さんが行方不明になった星矢の姉なんじゃないか、と思わせる演出が何度もありました。女聖闘士は仮面で顔を隠しているのですが、いずれ正体を明かす時が来るのではないかと…作者もそのつもりで描いていたのだと思います。
しかし…最終回間際で別人が「星矢の姉さん」として登場することに…
まあ、真面目に考えれば、聖闘士になるべくギリシアに送られた星矢を追って孤児院から失踪したはずの星矢の姉さんが、先回りして聖闘士になって、星矢の師匠をやっているはずはないんですよね。
でも、「そんなところで辻褄を合わせなくていいのに」というのが大部分の読者の正直な気持ちではなかったでしょうか。
読者としては初めて見る人を「姉さんだ」と言って出されても、感動できませんし。
辻褄を合わせるならタイムスリップでも何でもさせれば良かったのに…と言いたいところですが、そこで一番現実的な(?)答えを出してしまうところが「失速」をよく表していると思います。
(島本氏が揶揄していた「風呂敷を畳む気のない漫画家」のモデルは明らかに車田氏ですが、『聖闘士星矢』も――細部はともかく――話の大筋について決定的な矛盾は意外に少ないですし、車田氏はイメージほどいい加減ではないんですね。それが良いとも限らなかった訳ですが)
(芸術学3年T.Y.)
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