オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
平坂読『僕は友達が少ない』
さて、以前に一度触れたライトノベルですが、改めて紹介します。
『僕は友達が少ない』――通称「はがない」。今月は5巻発売予定です。
![]() | 僕は友達が少ない (MF文庫J) (2009/08/21) 平坂 読 商品詳細を見る |
高校2年生の5月半ばという半端な時期に転校してきた羽瀬川小鷹(はせがわ こだか)は、白人の母親の血を中途半端に引いた茶色い髪や目付きの悪い容貌、それに転校初日の第一印象を間違ったせいで、いまひとつ学校になじめずにいた。そんなある日、いつも不機嫌そうな美少女・三日月夜空(みかづき よぞら)が、誰もいない放課後の教室で楽しそうにしゃべっているのを目撃する。
「もしかして幽霊とか見えたりするのか?」と訊く小鷹に、夜空は答える。
「私は友達と話していただけだ。エア友達と!」
現実の友達を作ろうにも、そのやり方が分からないということでは意見を同じくする2人。しかしこのときのやりとりがきっかけで、夜空は友達作りのための新しい部活「隣人部」を立ち上げてしまう。
そしてなぜか、人格的に残念な美少女達や、美少女にしか見えない容姿の後輩(男)が入部してきてしまう。
友達作りのための活動として、ゲームをしたり演劇をやったり色々やるものの、初対面で罵り合ったり、ゲームをやってもおかしな方向に行ってしまったりと迷走ばかり。
でも、後から振り返れば、こんな活動が結構楽しい…のか? 本人達は認めないけれど、図らずもこうして友達ができているのではないか。主人公・小鷹と美少女達の間にはラブコメ展開も。
――とまあ、こういう感じの部活ものです。テンポのいいコメディで笑える中に、鋭く現実をえぐる表現もちりばめられ、センスを感じさせます。たとえば、
「……友達がいないことがイヤなのではなく、学校とかで『あいつは友達がいない寂しいやつだ』と蔑むような目で見られることがイヤなのだ」
「あー、なるほど」
なんとなくわかる。
『友達がいること=いいこと』というのは基本的にその通りだと思うけど、それが世間では『友達がいないこと=悪いこと』と同義のようになっている。
それはちょっと違うんじゃないかと俺は思う。
(『僕は友達が少ない』、MF文庫、2009、pp.40-41)
今や社会問題としてすら扱われている、「友達がいなければいけない」というプレッシャーをよく表しています。
はたまた、新しく「友達作り」のための部活を立ち上げた夜空の台詞。
「これなら周囲から『友達のいない寂しい奴』という蔑みの視線を回避するための上辺だけの友達を作りつつ、小鷹の言う本当の友達を探すことも可能だ」
(同書、p.54)
考え方が何か「決定的に間違っている」という印象で笑わせてくれると同時に、「上辺だけの友達」と「本当の友達」はそういう風に使い分けるものではないということと逆方向から浮き彫りにする名言ですね。
時として、「友達がいない人」の実態や「残念な人」の痛さの描写があまりに現実味を感じさせ、人によっては読む手を止めたくなることも。
たとえば、転校する前の学校での「友達」に関して、
「……転校する前日にファミレスでお別れ会をしてくれたんだ。そのときにはみんな、『こっちに来たときにはまた遊ぼうぜ』とか『メール入れるから』とか、言ってたんだ……たしかに言ったんだ……」
「転校した途端にプッツリ縁が切れてしまったわけか」
三日月は容赦なく事実を指摘した。
「……友達だと思っていたのは小鷹だけだったんじゃないか?」
(同書、p.38)
私が個人的に一番共感を感じたのはここ。
他人をどう呼べばいいのかで困ることが俺にはよくある。
名字で呼ぶか、名前で呼ぶか、あだ名で呼ぶか、『さん』や『君』や『ちゃん』を付けるべきなのか、呼び捨てにするべきなのか。
だから普段はなるべく、人の名前を呼ばないようにしている。
(同書、p.67)
キャラクター設定はいかにもな美少女揃いで、10歳の幼女がシスターで先生をやっていたり、主人公が可愛い妹と2人暮らしだったりと破天荒かつご都合主義なんですが、それがいっそう上記のような現実的な(親しさを感じさせる)記述を引き立て、また自分語り的な私小説に陥ることも避けて、読ませる作品になっています。
またこの美少女たち、容姿のみならず頭が良かったり学園理事長の娘だったり妙な行動力があったりとハイスペックな一方で、外道だったり変態だったり高慢だったりで、人格的に残念というかどうしようもない欠陥を抱えています。しかし、皆が残念であるうえ、本人以外は皆が認めていることでもあるので腹も立たず、魅力的なキャラクター造形揃いです。
最後に、引用した台詞回しからもうかがえますが、作者・平坂氏の文章の巧みさにも触れておきましょう。無茶にはすかさずツッコミが入ってテンポが良く、口語体の文章には変に凝った言い回しが入って引っ掛かりを感じさせたりすることがほとんどありません。あちこちにネットネタ(「リア充は死ね!」とか)がちりばめられていて、知っている人はネタ探しをしたり、意外な使われ方を楽しんだりもできますが、気付かなくても読み流せるよう考えられていますね。何しろ「あまりネット層に媚びたネタはやめた方がいいと忠告したのですけど」(『僕は友達が少ない 2』、2009、p.112)等という台詞もあるくらい自己言及的ですし。
中でも、リレー小説で作中人物が書いた文章を読んだ人物達の感想。
「むう……とてつもなく凄いものを読んだような、とてつもなくしょうもないものを読まされたような……本当に……なんだこれ……」
(略)
「……この文章、なにが書いてあるかは大体わかるんだよ。でもそれを頭の中で映像化しようとすると俺の脳の処理能力では追いつかないというか常時モザイクがかかっててたまに爆発が起きてるみたいな……」
(『僕は友達が少ない 2』、p.217)
問題の文章がまさにその通りの代物だったので、この作者は文体の効果というものを熟知して書いているなと確信しました。当の文章そのものは、ここで1ページ分近く引用するのもあんまりなので、ぜひ現物をご覧あれ。
(芸術学3年T.Y.)
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