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またノート(もしくはメモ帳)

 師が沈黙を打ち破るのは、嘲笑でも、蹴りでも、何によってでも構いません。
 意味の探求において、“禅”という技法による仏教の師のふるまいはそうしたものです。弟子たちが自分自身の探求に対する答えを探し求めるのは、弟子たち自身に属することです。師は“司教座から”できあいの学知を教えるのではなく、弟子たちが答えを見出す地点にいるときに、答えをもたらすのです。
  (ジャック・ラカン『フロイトの技法論』「セミネールの開講」)


趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。

 無門曰、参禅須透祖師關。妙悟要窮心路絶。祖関不透心路不絶、尽是依草附木精霊。且道、如何是祖師關。只者一箇無字、乃宗門一關也。遂目之曰禪宗無門關。……將三百六十骨節、八萬四千毫竅、通身起箇疑團参箇無字。晝夜提撕、莫作虚無會、莫作有無會。如呑了箇熱鐵丸相似、吐又吐不出。蕩盡從前惡知惡覺、久久純熱自然内外打成一片、如唖子得、只許自知。驀然打發、驚天動地、如奪得關將軍大刀入手、逢佛殺佛、逢祖殺祖、於生死岸頭、得大自在、向六道四生中遊戲三昧。……

 (現代語訳)
或る僧が趙州和尚に向かって、「狗(犬)にも仏性がありますか」と問うた。趙州は「無い」と答えられた。

 無門は言う、「禅に散じようとい思うなら、何としても禅を伝えた祖師たちが設けた関門を通過しなければなるまい。素晴らしい悟りは一度徹底的に意識を無くすることが必要である。祖師の関門を通らず、意識も絶滅できないようなのは、すべて草木に憑りつく精霊のようなものだ。さて、それでは祖師の関門というものは一体どのようなものであるか。ここに提示された一箇の『無』の字こそ、まさに宗門に於いて最も大切な関門の一つにほかならない。そこでズバリこれを禅宗無門関と名付けるのである。……三百六十の骨節と八万四千の毛穴を総動員して、からだ全体を疑いの塊りにして、この無の一字に参ぜよ。昼も夜も間断なくこの問題をひっ提げなければいけない。しかも、決して虚無だとか有無だとかいうようなことと理解してはならない。あたかも一箇の真っ赤に燃える鉄の塊りを呑んだようなもので、吐き出そうとしても吐き出せず、そのうちに今までの悪知悪覚が洗い落とされて、時間をかけていくうちに、だんだんと純熟し、自然と自分と世界の区別がなくなって一つになり、唖の人が夢を見たようなもので、ただ自分ひとりで噛みしめるよりほかない。ひとたびそういう状態が驀然(まくねん)として打ち破られると、驚天動地のハタラキが現れ、まるで関羽の太刀を奪い取ったようなもので、仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺すという勢い。この生死の世界の真っ只中で大自在を得、迷いと苦しみの中で遊戲三昧の毎日ということになるのだ。……」
  (『無門関』、西村恵信訳注、岩波文庫、1994、pp21-26)


「殺すったって殺しはしないですわ。こりゃまあ喩え――否、そう思われてもいかんなあ。まあ、親にしても師匠にしても、況や仏にしても、それらが作った道に沿って生きていてはいかん、とでも云いますかなあ。所詮は他人の褌で相撲はとれん。仏様はこう云いました、先生はこう云いましたつうのは他人の意見だ。それじゃあ己はどうなんじゃい、と、そこが問題なんだなあ。だからそんなものは殺してしまう。幾ら正しくとも、幾ら仏の道でも、束縛されてはいかん。自在な精神を以て絶対的な主観たらねば、禅の修業は完成しない――」
  (京極夏彦『鉄鼠の檻』、講談社ノベルス、1996、p.307)


 まことに、私〔=ツァラトゥストラ〕は君たちに勧める。私のもとを去り、ツァラトゥストラに抗いたまえ。いっそう良いのは、ツァラトゥストラを恥じるのだ! ひょっとすると、やつは君たちを騙したのかもしれない。
 認識の徒はおのれの敵を愛するだけでなく、おのれの友を憎むことができなければならない。
 ……
 私は君たちに命ずる。私のもとを離れ、自分を見出したまえ。そして、君たちすべてが私を否定したとき、はじめて私は君たちのところに戻ってこようと思う。
 ……

 ツァラトゥストラはかく語った。
  (ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語った』第1部、「贈り与える徳について」第3節)


「祖師を殺す」ためには「祖師たちが設けた関門を通過」しなければならない

「(人の受け売りでなく)自分の頭で考えなさい」とはよく言われますが、私はむしろ「他人の頭で考える」ことを勧めたいと思います。
自分の考えなど押し殺して、ストイックに人が何を考えたか辿っていって、それでも出てきてしまうものこそ「オリジナリティ」と呼ぶに値するものでしょう。(そんなもの、ずっと出てこない方が平和に生きられるかも知れないのに!)
そして、人の書いたものを読み、学ぼうとするほどに、それが難しいこと――つまり、人が何を問題にして、どう取り組んだか、全然理解できないことに気付きます

……進歩しないなあ自分。
                           (芸術学3年T.Y.)

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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