オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
もういいけどね
インフルエンザの症状に関節痛がありますが、それにしては軽症なので多分違うでしょう。いずれにせよ、我が家のPCの前は寒いのであまり座っていたくありません。
病状が悪化しない限り、明後日から出掛ける予定ですので、それから年明けまでお休みすることになると思いますが…
さて、先日のようなことを書いてしまうと、勉強しか芸のない人間の悪い模範を示しているような気もしてきます。
その前には、「学力低下」論争自体が事態を改善するどころかバカを喜ぶ空気に向かっていはしないか、という趣旨のことを言ったわけですが、どうも私も「勉強ばかりしててもロクなことはないぞ」というメッセージを暗黙裏に送っている方の一人かも知れません。
『東大2006 こう見えても…東大です。』(東京大学新聞社)の中の〈東大男東大女 モテる恋愛法のスヽメ〉という記事は、こんな文章で始まる。
〈勉強では勝ち組の東大生だが、恋愛では必ずしもそうではない。なかなか恋愛で成功できない東大生に問題があるとしたらどういった点だろうか〉
というわけで、上野千鶴子教授に教えを乞うのだが、〈「勉強ができても、そういった賢さは恋愛の役には立ちません」と上の教授は話す。上野教授が聞く限りでは、合コン後の東大生の評判は悪い〉と初手からバッサリ斬られてしまう。さらに〈「『東大生はださい』といわれることも多いでしょうが、ださいとはコミュニケーション能力の低さのことを言っているのです」〉〈教えたがりの男が好きな女もいる。しかし、教えられる内容がなくなってしまったら、男は捨てられてしまう〉〈学歴は最も分かりやすいステータスの一つ。とりあえずは女に関心を示されるだろう。しかし、相手を気遣うことができなければいつまでも表面的な関係のままだ〉といった記述が続く。
(新保信長『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』、アスペクト、2006、pp.136-137)
東大生でなくても、自分に実によく当てはまるな、と。いや今更言うまでもありませんけど。
学問の話とトリヴィアルな知識とヨーロッパ言語の文法くらいしか話すネタがないのでは如何ともしがたいものです。
仮に――あくまで仮に――女性の恋愛相談に乗るとします。
客観的な立場に立つなら、私のような男は「やめておけ」と言わざるを得ません。
上記の通り面白くない、何より将来性がない。
今日日、“お勉強”しか芸のない人間の先など、高学歴ワーキングプア(※)くらいしか想像できないわけでして。
※ すでに広く使われている言葉ですが、この場合の「高学歴」は主に「大学院出」を指します。
ただまあ、一つ言っておくなら、これは多分勉強した「結果」ではないだろう、ということです。
こういう人格だからこのように生きているのであり、こうして生きてきたからこういう人格が形成されたのである――と、事態は相互的です。
学校ではしばしば言います。「勉強ばかりやってればいいってわけじゃないぞ。人と付き合うために色々な能力を身に付けないと」と。
おそらく、誰しも「勉強ばかりやってれば“いい”」と思ってはいないと思います。
しかし、人間「いい」と思うことができるとは、限らないわけです。
(芸術学3年T.Y.) テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育
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