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奇と凡

「事実は小説よりも奇なり」という諺にはいくつかの解釈がありえます。
(何やら前にも扱った覚えのあるネタですが)

まず、一般的前提となっているのは、「小説では現実にはあり得ないような“奇”を描くものだ」という考えですね。ですから、この諺は、実は逆であることを指摘することで諺となっているわけです。

そこで、「現実には、小説家の想像力が及ぶよりももっと奇で、『ありえない』と思われるようなことがある」という解釈がまず成り立ちます。

次に、以下のような解釈。

 よく「事実は小説よりも奇なり」と言う。正確に言い換えるなら、「小説は事実よりも奇であることを許されない」である。あまりにも不自然なことを書くと「そんなバカなことはない」「リアリティがない」と非難されるからだ。
 たとえば「核燃料加工工場に働く作業員が、核分裂に関する初歩的な教育を受けていなかったため、定められた作業基準を逸脱してウランを一箇所に集め、臨界事故を起こしてしまう」というストーリーはどうだろう。もし実際に自己が起きる前に小説として発表していたら、原子力関係者から「こんな事故は起こりえない」「リアリティがない」と嘲笑されていただろう。
 (山本弘「トンデモ・ブッシュの世界」『トンデモ本の世界T』、太田出版、2004、pp.17-18)


これらはいずれも、「小説は“奇”を描こうとするものだ」という前提は認めています。
その上で、「現実は思ったよりも奇である」のか、あるいは、小説家の想像力の限界なりリアリティがないとして認められないという事情なりによって「小説はそれほど奇になれない」のか、いずれかということです。

しかし、そもそも「小説は“奇”を描く」という前提が違う、という可能性もあります。その場合、問題の諺はまさにこの前提の誤りを指摘ものとなります。
「奇」の対義語はとりあえず「凡」としましょうか。小説は――あるいはもっと広く芸術は――奇を描くものなのか、それとも凡を描くものなのか、という問題については、先達による多くの美学的・文学的議論があることでしょう(言い回しはいささか異なるにせよ)。

その論議についてはひとまず脇に置いて、さらに考えてみます。
ひょっとすると、「小説が平凡なものを書くのか、それとも現実はにはあり得ないような奇なものを書くのか」というという小説の本性の問題よりも、むしろ現実の本性の問題があるのではないか、ということです。
実はで現実こそ、奇の塊はあるまいか、と。

たとえば空中で支えのない石は地面に落ちます。石がふわりと浮くといったことは小説中ではあっても、現実では起こらないような「奇」な事態です。
なぜ石は落ちるのか、と言えば万有引力の法則によりますね。全ての物質が質量を持ち、質量を持つものはそういう法則に従うというのは、考えようによってはこれほど不思議なことはありません

 そもそも学問の内容に該当するもの、それは本来いつも、世界の諸々の現象のお互いに対する関係である。この関係は根拠律に従い、根拠律を通してのみ価値をもち意味をもつ“なぜ”に導かれる。この関係の証明を解明という。……二つのものはけっして解明されない、つまり、根拠律の述べる関係に還元されることはない。第一に、四つの形すべてにおける根拠律それ自身である。というのも、根拠律は解明の原理そのものであり、解明は根拠律との関係においてのみ意味をもつからである。二番目は……もの自体である。もの自体の認識はけっして根拠律に従うものではない。
 (ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第15節)


※ ただし、ショーペンハウアーは重力を「もの自体」に属してそれ以上解明不可能なものと考えましたが、現代物理学ではさらに、重力については空間の曲がりから説明されます。簡単に「これ以上は決して分からない領域だ」と思うべからず。

さて、現実こそ「奇」であり、その奇を発掘するのがフィクションであるとしたら。

「……幼児体験のうえでは台風というのは一種のお祭りでね、そういう1日を描いただけでも、世界征服をたくらむ悪役が出てくるより、ずっとスリリングな経験をさせることができるはずなんですよね」(宮崎駿)
 (『THE ART OF TOTORO』、徳間書店、1988、p.74)


実際、奇を衒って妙な内容にしても「斬新な面白さ」が生まれることはなかなかありませんが、「そんなつまらないことがネタになるのか」と思われたことへの着目は、たまにコロンブスの卵ことがある――ような気もします。

でも、いくら発掘しても、少なくとも現実よりも奇になりなることはないことになりますね。そもそも、「現実がそういうものである」ことを前提しなければ、それを発掘して描くことはできません。いくら面白くても、フィクションとして描いてしまった時点でそれは「凡である」、という性格を帯びてしまうのです。
                           (芸術学3年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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