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結論を出さないための議論

どうも昨日のはカウンターが止まっていただけでなく、2日半分くらいのアクセスがごっそり消えているようですね。まあ、数千規模でアクセス数が消えたところもあるらしいので、ここは随分マシな方のようですが。

さて、本題に入ります。

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)
(2010/10/22)
マイケル サンデル、Michael J. Sandel 他

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『これからの「正義」の話をしよう』とは違う新版。こっちは教授と学生の対話形式の上、来日時に東大安田講堂で行われた特別講義も(上下巻に分けて)収録されている、とのこと。阿漕な商売という気もしないではありませんが…

しかし、今回も記事のネタはサンデル教授の講義ではありません。
来日時の講義もTVで見ていましたが、冒頭でサンデル教授がこんなことを言っていました。

「日本人は議論をするのが苦手だと友人から聞かされていた。日本に来てみて確信した。それは大ウソだ

しかし実際、日本人は議論が苦手だとか、そういう単純な話ではなさそうなのです。

江戸時代の日本では数学が大いに発展しました。「読者への挑戦」のような問題を付けた本が出版され、人々は問題が解けたらそれを絵馬に書いて奉納した、と言います。かくして神社に行けば最新の研究成果が発表されていたわけですね。ここから、ニュートンやライプニッツよりも早く微積分法を発見した関孝和の業績が生まれました。

「算木」を超えた男―もう一つの近代数学の誕生と関孝和

この本の著者の王青翔という方は、現在は「吉山青翔」の名で、本学にも来て「自然科学史」の講義をやっております。上記の話もそこで聞いたものです。そして吉山先生の曰く、

「今の学者の悪い習慣は、自分の研究を人に隠すことです」

「業績を隠す」理由は、人に取られないで「自分の業績」を確保するためでしょう。それが就職や出世に必要だから、というわけです。
とすれば、議論を妨げているのはアカデミズム業界だ、と。

…私もアカデミズム業界に詳しいわけではありませんし(分野によっても状況はまるで違うでしょう)、これが真相だと断言するつもりはありませんが、心の片隅に留めておいてもいいのではないか、とは思います。

 ~~~

民主党が連立政権を組む相手を探しているようですね。参議院では第一党から転落していますから、衆議院で定数の三分の二を確保して、法案を自由に通せるようになりたいと、たちあがれ日本にも声をかけているとか、もうなりふり構わないようですね。
ここでも思うのは、問題になっているのは議会の外での多数派工作ばかりらしい、ということです。
しかし、議会というのは多数決を取るだけの場ではなく、議論をする場ではないでしょうか(もちろん、あらゆる問題を総会で論じることはできないから、各種の委員会が設置されるわけですが)。
最初は少数意見であっても人を説得することができ、論じる中で各自の考えも変わり、場合によっては相手の意見を「もっともだ」と思えば自分の属する政党にも叛旗を翻す、それが議論というものです。
小室直樹氏によれば、こうした議会の議論ですべてを決する、という原則を確立したのがイギリスのディズレーリでした。もっぱら議会外での多数派工作で問題を決している日本はイギリスで言うと初代首相ウォルポールの頃と変わらず、「250年は遅れている」というのです(『痛快!憲法学』、pp.122-127)。

そろそろ「議会というのは何をするところか」というところから考え直した方が良いのではないでしょうか。

 ~~~

上の2つの話と、ここ数回書いてきた検察や裁判の話――これらに共通して見られるのは討議や公判というものを「あらかじめ決まっている結論に到達するための過程」としてしか考えないことではないか、と思われます。
より詳しく言うと(まあ分野によっていくぶん違いはありますが)、以下のような前提ですね。

1. 「正しいこと」は時間を超えて永遠不変である。
2. その永遠な「正しいこと」にアクセスできる人間がいる。

まあ「哲学」の教室でこうした命題を主張する自由は、誰にでも認められています。
しかし、こうした想定に基づいて現実を進めることは大いに問題ありです。

ここでは「『正しいこと』にアクセスできる人間」はすなわち「正義に属する人」と呼ばれ、現実の世界での手続きは、あらかじめ決まっている「正しいこと」を追認するだけのもの、要するにただ事態を遅らせるだけのものとなってしまうでしょう。

まあ、たとえば死にかけている人をどうやって助けるか議論しているうちに死んでしまった、では意味がありません。あまり議論を引き延ばさず、とりあえず決めなければならない、ということも多いでしょう。しかし、余計なことをするのは何もしないより性質が悪い、ということも多いのです。
決まったことと言えど、つねに「暫定」であって、後から訂正されるかも知れない、ということは肝に銘じておく必要があります。
だから「唯一の答え」に至らないように議論をするのです。
                           (芸術学3年T.Y..)

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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