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学問の武器

ある考えを批判する時、相手の考えとは違うこちらの考えをぶつけるとすると、どちらが正しいのかを公平に判断できる視点はあるのだろうか、という疑問が生じます。
こういう問題については実に多くの議論がありますが、とりあえず、批判の仕方とは「別の考えをぶつける」ばかりではない、という可能性を示しておきましょう。

いわゆる「内在的な批判」というものがあります。

これはつまり、「相手の考えに従っていくと、ここがおかしい」「ここが自己矛盾をきたす」というものです。
こういうことをするのは、単に揚げ足を取るためではなく、相手の主張が孕んでひたけれど明示しきれていない問題を掘り下げ、相手の示したところよりも論を深め、さらにはこちら独自の思考を展開するためです。
ある先生の言い方を借りるなら「人間の言うことは誰しも一つくらいおかしなところがあるんだから、そこを手がかりにしなさい」となります。あるいは私は「他人の頭で考える」と言ってきました。

これは人文科学のメインにして最大の武器と言っても良いでしょう。いえ、社会科学であろうと、さらには自然科学でも、実験室でデータを取って片付くことはごく一部であって、新たな説を立てるためには、先行研究の内在的な批判は不可欠であろうと思います。

実証的な分野においても、そう言えるのですね。
たとえば、絵画を化学分析にかけてどんな絵具が使われていたのか分かったり、あるいはX線写真を撮ると下に埋もれていた絵が見えてきたりすることがあります。時には「新発見」とニュースにもなります。
これは確かに重要なのですが、ただこうした調査は基本的には、作品そのものの保存修復のために行われるのですね。「この作品を調査すれば重要なデータが出るはずだ」と思っても、自由に調査できるわけではありません。そこで論文や学術書でも「重要作品についてデータが取れればこの研究はもっと進展するはずだが、今のところそれがない」と但し書きされていることはしばしばあります。
そもそも、客観性を重んじる「報告書」と、研究者各自のオリジナリティを発揮する「研究」は、やはり別物です(調査を行うのも研究者の業績にはなりますが)。

では「研究」は何をするのか? と言えば、データの「解釈」をするわけです。
実証的なデータを集めて報告するだけで、すでにそのデータを選んだ研究者の視点が出てきます。その研究者としての立場を明示しなければなりません。たとえば――17世紀オランダの絵画を研究するのに、当時の画家ギルドの記録文書は引用しても国際貿易に関する資料を引用していないとしたら、それはなぜか、ちゃんと説明できなければいけません(国際貿易だって画家の仕事には大いに関係があります)。

実際、同じデータを前にしていても、そのデータの読み方は議論の余地があります。そこで力を発揮するのが「先行研究の内在的批判」というわけです。

ただし、手頃な先行研究が見つからないというのは、よくある話ですが。あってもオランダ語だったり、裏を取るためにラテン語の古文書を読まなければならなかったりすると、事態は大変です(しかし、こういうことも珍しい話ではありません)。
                           (芸術学3年T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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