FC2ブログ

この世界を望むか?

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)
(2004/07)
谷川 流

商品詳細を見る

メディアミックスも含めてもっともヒットを飛ばしたライトノベルの一つ、『涼宮ハルヒ』シリーズの第四弾。

結構古い上に、珍しくいきなりくシリーズ第四作の話から始めますし、評価としては微妙なものになるかも知れませんが…
当然基本設定に関するネタバレを含みます。

ちなみに、今度数年ぶりにシリーズ新作が出る予定だということとは特に関係ありません。



まずは本シリーズの基本設定の確認から。
主人公・キョン(あだ名。本名は作中では明かされない)が高校で妙な女・涼宮ハルヒと出会うことからすべては始まります。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
 (谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』、角川スニーカー文庫、2003p.11)


何しろ、入学初日の自己紹介でこんなことを言うやつですから。
ハルヒは大真面目で、ついには「SOS団」なる部活(非公認)を結成、宇宙人や未来人や超能力者を見つけ出して一緒に遊ぶことを目指します。そして、キョンも巻き込まれてSOS団員とされてしまうことに…
部員、つまり本シリーズの主要メンバーは以下の通り

長門有希(文芸部ただ一人の部員だったが、ハルヒが文芸部室を乗っ取ったため、そのままついてくることになっか女子。無口でいつも本を読んでいる)
朝比奈みくる(童顔だけど巨乳の先輩。ハルヒが捕まえてきた)
古泉一樹(謎の――と言っても中途半端な時期に転校してきただけですけど――転校生。ハルヒが目を付けて捕まえてきた。爽やかなスポーツマン風のイケメン)

街を探索したりコスプレしたりするものの、もちろん宇宙人や未来人や超能力者が見つかるはずもなく…というコメディ展開。

でも……案の定と言うべきか、長門、朝比奈さん、古泉の三人は、実は本当に宇宙人、未来人、超能力者で、それぞれキョンに正体を明かしてきます。三人の話によれば、ハルヒ自身が(本人は知らないけれど)世界の運命を握る存在で…
しかしハルヒは、そんな都合良く宇宙人・未来人・超能力者が揃っている等と言われても信じるはずもなく、今日も今日とてSOS団の活動を続け、キョンはそんなハルヒの気まぐれに振り回されながら、しばしば適宜フォローしなければならなくなる、というわけです。
何しろ世界の存亡がかかってますからね

さて、『消失』は、クリスマスの一週間前にある異変が起こることから始まります。
クリスマスイブにはデートの予定があると浮かれていたクラスメートの谷口は自分には彼女などいないと言い、クラスでは風邪が蔓延して欠席が目立ち、何よりハルヒがいない。しかも、いるはずのない人物が…
どういうことかと尋ねても、ここしばらくの出来事についてまったく人と話が合わず、自分がおかしくなったのかと思うキョンです。

もちろん、と言うべきか、世界が改変されたというSF的設定ですね。この世界(「消失世界」としましょう)では長門も朝比奈さん古泉も、そしてハルヒも存在していますけれど、宇宙人や未来人や超能力者や世界の鍵を握る存在などではなく、普通の人間です。そしてキョンは、元の世界に戻る(と言うか、世界を元に戻す)べくちょっとした冒険をすることに…

キョンは実は、元の世界に戻るかどうかの選択権があったのですが、戻ることを選びます。物語としては当然です。
しかし、なぜ? キョンは何を選んだのか?

タイトルからすると、ハルヒが「消失」した世界、つまりハルヒがいない世界と、ハルヒがいる世界の選択のようにも思えます。しかしそれは、間違いではないとしても不適切さを含むでしょう。

 確かにSOS団だけならば修復可能だとも。ハルヒと古泉は別の高校にいるが、そんなもんたいした障害にはならん。学外活動にしてしまえばいいだけだ。
 (谷川流『涼宮ハルヒの消失』、角川スニーカー文庫、2004、p.210)


キョンはそもそも「ハルヒの妙な活動に巻き込まれない生活」など考えてもいません
消失世界でもSOS団を結成できることを確認した上で、同じくSOS団の妙な活動に関わる生活の内で、「宇宙一や未来人や超能力者のいる世界」と「いない世界」の間で選択を問うているのです。

 心ならずも面倒事に巻き込まれる一般人、ハルヒの持ってくる無理難題にイヤイヤながら奮闘する高校生。それが俺のスタンスのはずだった。
 それでだ、俺。そう、お前だよ、俺は自分に訊いている。重要な質問だから心して聞け。そして答えろ。無回答は許さん。イエスかノーかでいい。いいか、質問するぞ。

 ――そんな非日常な学園生活を、お前は楽しいと思わなかったのか?

 答えろ俺。考えろ。そうだ? お前の考えを聞かせてもらおうじゃねえか。言ってみろよ。ハルヒに連れ回され、宇宙人の襲撃を受け、未来人に変な話を聞かされ、超能力者にも変な話を聞かされ、閉鎖空間に閉じこめられたり、巨人が暴れたり、猫が喋ったり、意味不明な時間移動をしたり、ついでに、それらすべてをハルヒに包み隠さなければならないというシバリの効いたルールで、不思議な現象を探し求めるSOS団の団長だけが何にも知らない幸福状態、張本人なのに気づけないってこの矛盾。
 そんなのが楽しいと思わなかったのかよ。
 うんざりでいい加減にして欲しくてアホかと思って付き合いきれないか。
  (同書、pp.211-212)


キョンの答えは、もちろん「楽しいと思っていた」です。

しかし実は、これは一番最初に表明されていたことでもあります。
改めてシリーズ第一作の冒頭から。

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。
 幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していたし、記憶をたどると周囲にいた園児たちもあれが本物だとは思っていないような目つきでサンタのコスプレをした園長先生を眺めていたように思う。
 そんなこんなでオフクロがサンタにキスをしているところを目撃したわけでもないのにクリスマスにしか仕事をしないジジイの存在を疑っていた賢しい俺なのだが、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者や悪の組織やそれらと戦うアニメ的特撮的マンガ的ヒーローたちがこの世に存在しないのだということに気付いたのは相当後になってからだった。
 いや、本当は気付いていたのだろう。ただ気付きたくなかっただけなのだ。俺は心の底から宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者や悪の組織が目の前にふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ。
  (『涼宮ハルヒの憂鬱』、pp.5-6)


もちろん「いざそんな状況が実現してみれば、妙な女の気まぐれに振り回されるばかりというのが実態」というギャップが本作のキモではあるのでしょう。
それをたっぷり味わった後で「でもやっぱり非日常がいい」というキョンの初心確認が「消失」ではなされた、とも言えます。

しかし、どうも別の問題が気にかかります。

 こういう喩えはどうだろう。
 とある所にとても不幸な人がいたとする。その人は主観的にも客観的にも見事なくらいの不幸な人で、悟りの奥義を極めた晩年のシッダルタ皇子でさえ目を逸らしてしまうような本質的な不幸を体現している人間である。その彼(彼女でもいいのだが、めんどいでの彼にしておく)が、いつものように不幸にさいなまれながらの眠りに就き、ふと翌朝目を覚ますと世の中が一変していたとしよう。そこはまさにユートピアと言っても言葉が足りないほどの素晴らしい世界で、彼の上から不幸なる概念を一掃し、すべてにおいての幸福が彼の身体と精神に隙間なく充満している。もはやどんな不幸も彼の身に降りかかることはない。一夜にして彼は地獄から天国へと誰かに連れて行かれたのだった。
 もちろんそこに彼自身の意思は介在しない。彼を連れ去ったのは彼の知らない誰かであり、その正体はまったくの不明なのだ。何を考えて彼をそのようにしたのかは解らない。きっと誰にも解らないであろう。
 さてこの場合、彼は喜ぶべきなのだろうか。世界が変化したことで、彼は不幸せではなくなった。しかしそれは彼の元いた世界とは微妙に異なる場所であり、何よりもこうなってしまった理由が最大の謎として残されるのだ。
 彼はそれでも幸福を得たことを最大の評価基準として、その何者かに感謝するのだろうか。
  (『涼宮ハルヒの消失』、pp.74-75)


もちろん、この直後でキョンは「その彼は俺ではない」「喩えが悪かったな」と認めます。「先日までの俺は別に不幸の底辺を極めていたわけじゃないし、今の俺がめったやたらに幸福なわけでもない」(同書、pp.75-76)のですから。
しかし、キョンが「元いた世界とは微妙に異なる」世界にいるのは確かです。そして、周辺の出来事や設定についてキョンの持っている知識はしばしば人とズレており、「お前は何を言っているんだ」と思われることもあるのです。
もちろん、誤魔化すことはできるでしょう。

でもそのたび、キョンは自分が“異邦人”だと思い知らされることでしょう

キョンは元の世界を選んだのか?
それとも、「消失世界」では異邦人であることに耐えがたかったのか?


あるいはこの両者は同じことで、人は自分本来の世界を欲せざるをえないものなのかも知れません。

ここには心理学で言う割引原理が働いて感じられるのは事実です。
選んだ理由として後者があるならば、前者はないのだろう、と考えてしまうわけです。
もちろん、そうとは言い切れないのですが。

ただ、ここではいささかキョンの置かれた境遇の過酷さを感じます。
つまり、女の子の理不尽に耐えねばならないなんていうのは、ラブコメとしては定番のシチュエーションの一つなわけです。そして、本人が耐え忍んでいたいのなら、何も問題はありません。
ただその上で「世界の命運が双肩にかかっている」となり、「世界の命運のためにやっているのだ」と思ってしまうと、かえって女の子への好意を感じにくくなるのではないか、と。

この一方で、前作『涼宮ハルヒの退屈』でわずかに新たな一面を匂わせ、この『消失』で(実は)ヒロインを張ったと言ってもいい活躍なのが長門有希です。…何か計画的なものを感じないでもありませんが。
                           (芸術学3年T.Y.)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

「セカイ系」としての『涼宮ハルヒ』シリーズ

(批評の熱い場はどこ?の続きですが、最新作『驚愕』までを含めた『涼宮ハルヒ』シリーズの内容に関するネタバレを含みます)
プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
04 | 2021/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告