オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
院試の方が先
しかし、今では大学院生も大学の重要な収入源になったので、そうとばかりも言えません。「大学院重点化」「大学院拡張」の政策自体が、18歳人口が減少に転ずる中で学生数を増やす大学の生き残り政策だったことは、とみに指摘されているとおりです。
「院生は無理して集めなくてもいい」のも、大学院が大学のいわば付属機関だったからですが、大学院の方がメインの組織となったのが「重点化」ですから(しかし、それで多く見かけるようになった「大学院教授」という肩書きへの違和感は未だ消えません)。
――とは言え――
私も「“大卒はエリート”というのは古い考えで、“普通の人も大学に行くようになった”という現実を受け入れるべき」と言ってきましたが、こと大学院に関しては、「勉強する気のある人間以外は来なくていい」という空気は非常に強く感じますし、またかなりの部分同意します。
しかし、大学の外部評価制度において、大学院も定数を満たしていないことは「欠陥」と見なされるんですよね。
無理して要りもしない人間を入れることの何が良いのか、とは誰しも思うことですが。
(本学ではなく)某所の院試は事実上絶対評価(つまり、上から一定人数が合格ではなく、一定点を取ったら合格)だと言う噂も聞いたことはあります。これは、絶対評価方式でも外部評価上問題ないくらいの人数が集められるという恵まれた状況を表しているのか…これは分かりません。
ですがさらに言うと、「院卒」の就職状況は極めて厳しいことも、あちこちで述べられている通り。
「院卒ならでは長所」なるものの存在は、ほとんど認められていないということです。
これはつまり、「学卒に比べて二年間余計に教育したのだから、院卒はこのように優れている」ということを示せる大学院は日本中にほぼ存在しないことを意味します。
(「だから院卒は駄目だ」という話ではなく、もちろん優秀な方もいます。ただ「“全般的に”院卒は学卒と比べて何が違うのか」ということに関して大学は説明することができず、「売り込む」のは本人の責任になってしまう、ということです)
専門職に就くにはその限りではない(院卒の学歴が必須と言われることも多い)はずですが、それすらも本当はどうかと言う説もあります。少なくとも、そうそう求人もあるものではありませんし。
それはそうと、定数の話に戻ります。
本学の場合――定数? 何それ?
そう言えば、大学院の定員が何人なのか聞いたことはありませんでしたね。
募集要項を見ても…院の場合、所属は「美術研究科」と「音楽研究科」が分かれているだけで、それぞれの全体での定数しか書いてありません。
芸術学の大学院修士課程(博士前期課程)が創設されてから四年、つまり来年度で五年目ということになる――はずです。
人数は――年次によりけり。
今年度は修了生が五人と異例に多めですが(一人、長期留学により一年余慶に在籍していた方あり)。
(追い出しコンパもやらねばならないので、こればかりは把握しておかざるを得ません)
ついでに、本学のHPに大学院博士後期課程の合格者発表が掲載されているのに気付きました。
…まあ少なくとも「入院者」数は増えてはいないようですが、上記のような理由で、別にそれで構わないかな、と思います。外部評価ではどうなるのか分かりませんが。
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(芸術学3年T.Y.) テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育
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