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「科学的」な「霊魂」の扱い、という誤り

先日と関係あるようなないような話です)

 私のところにパンフレットを送ってくださる人がある。それに手紙が付いており、論評してほしいとある。ちゃんと返信料つきの封筒が入っている。パンフレットの表題には『霊魂の自然科学的証明』とある。そのまま放置するのも悪いので、「自然科学的に証明された霊魂など、面白くもおかしくもない。霊魂とはもっと高貴かつ不可解なものであってほしい」旨、返事を書いて送った。そうしたら今度は、元のパンフレットの三倍以上の厚さの、同じ表題のパンフレットが送られてきた。まだ納得していないと思われたに違いない。また返信用封筒が入っている。これに返事を出すと、次回にはどれだけの厚さのパンフレットが返ってくるか。それが恐ろしくて二度と返事が出せない。
 (養老孟司『カミとヒトの解剖学』、ちくま学芸文庫、2002、p.134)


つまり、そもそも霊魂とは「科学的」視点から扱うものなのか、どうか
科学の立場から「霊魂などない」と言うことについても同じことが言えます

ここで思い出すのはこんな話ですね。

古来「神の存在証明」とか「霊魂不滅の証明」と云われる哲学論議があります。
例えば――「神はその概念からして『完全』(あるいは『全能』)であるから、当然『存在する』こともできる(何しろ、不完全なる我々も『存在する』ことはできるのだから)。ゆえに、神は存在する」
これに対しては、「存在する」というのは(「完全である」とか「全能である」とか「愛である」とかいうのと違って)そのものの属性ではなく、概念としては「完全」な神が存在しないこともありうる、というカントの批判がありますが、それはさておき――

要するに「神」とか「霊魂」とかについて「こういうものである」という観念を予め決め込んでいて、それに対応するものが現実に存在するか否か、という「証明」をしているという点において、これらは(結論が存在の肯定であれ否定であれ)実によく似ています。
しかし、これはつまらない

確かに、人の「心」に対応するようなものが死んだらひゅうどろと肉体から抜ける、といった「霊魂」のイメージは私もあまり信じる気になりませんし、その矛盾を示すこともできるでしょう。
が、それを言うなら「物質とかこういうものだ」という我々の頭の中の観念に対応するような「物質」が「存在する」かと言えば、多分しません。現に科学は日々、物質の意外な性質を見出しています。

第一、この手の論議で「霊魂の不滅」が証明されても、死の恐怖が和らげられるとか、救いになるような気はあまりしません。同様に、「霊魂が存在しない」ことが証明されても、それで祖霊を敬う気がなくなったとか墓参りをやめたとかいう人がいたら、その方が問題ありでしょう。

(まあ、では実際に経験されるものの中に「霊」とか「神」とか呼ぶべきものを見出すとしたら何か、という問いのは、現段階で私が十分に答えられるとは思いませんが)

では、京極夏彦氏の小説から、京極堂のコメントを引いて今回の締めとさせていただきます。

「妖怪変化――怪異と云うのはそもそも理解不能のものを理解するための説明として発生したものなんだぞ。云ってみれば科学と同じ役割を持ったものなのだ。その怪異を科学的に考察すると云うのはナンセンスじゃないか。説明機能自体を別の説明機能を用いて説明するなんて愚かで野暮だよ。塩に醤油をかけて食うようなもんだ」
 (京極夏彦『鉄鼠の檻』、講談社、1996、p.138)


                           (芸術学3年T.Y.)

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Author:T.Y.
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