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名古屋と大阪の大衆運動

東日本大震災から二日後の3月13日(二週間前)、名古屋では市議会議員選挙が行われていました。
地震のニュースでほとんど話題にもなりませんでしたが、結果は河村市長派――党名「減税日本」が勝利、市議会第一党に。何が起こっているんだろうと思いました。
まず、「自由」とか「民主」とか(あるいは「社会」でも「共産」でも)達成したら終わりでなくて、維持するための努力を日々続けていかなければならないものでしょう。しかし「減税」は今の状態に対して税金を減らすことですから、「ずっと減税を続けていく」ことはできません。それが党名になるというのは何かがおかしい。

…と思っていた矢先に、今月の『新潮45』です。記事の内容が話されたり書かれたりしたのは震災前でしょうということを踏まえつつ、まずは池田清彦(早稲田大学教授)・内田樹(神戸女学院大学教授)両氏の対談「これからの『不正義』の話をしよう」から。

内田 僕は今、大阪市の「特別顧問」をやってるんですよ。平松邦夫市長の顧問で、主に教育問題について助言するという仕事なんですが、この間、市長と一緒にご飯を食べる機械があって、その時に平松さんが「大阪をもっと元気にしたい」とおっしゃるので、「それ、やめませんか」と言ったんです(笑)。東京、大阪、名古屋の3都市をみると、石原慎太郎、橋下徹、河村たかしって、3人とも似ていると思いませんか? 3人ともやたら元気なんですよ(笑)。
 僕は、元気とグローバリズムの間には関係があると思うんです。この人たち、何に向かって元気かというと、金と威信に対してでしょ。特に金に対して元気なんですよ。だって、河村市長がつくった地域政党、名前が「減税日本」ですよ(笑)。つまり、「皆さん、お金欲しいでしょう」ということを綱領の筆頭に掲げた政党なんですよ。橋下大阪府知事もカジノ構想を掲げていますが、この人の政策も金儲けと金の分配の話ばかりなんです。さきほど〔民主党の提案する〕TPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ)について言いましたけど、人間の政治行動は突き詰めると「金が欲しい」ということに帰着するというのが、彼らの政策判断の前提なんです。こうすると金が入ってくる、こうすると金が使える、という話を聴くと人間は元気になる。それ以外の話じゃ元気が出ない。。そういうシンプルな人間観を採用している。
 (『新潮45』、2011年4月号、p.58)


片山義博(総務大臣・前鳥取県知事)氏の「『地域主権』確率で本当に必要なこととは何か」でも橋下・河村の批判があり、さらにその後に薬師院仁志(帝塚山学院大学教授)氏の「弱肉強食社会を加速させる橋下『大阪都』越構想」が来ます。
薬師院氏はまず民主主義に対する誤解を問題にします。主な批判対象は橋下派の「大阪維新の会」ですが、名古屋の話も。

 もちろん、十分な議員報酬もまた、民主主義を守るのに必要な経費だ。十九世紀前半の英国における選挙権拡大運動は、同時に議員報酬の至急を要求していた。そうしなければ、実質上、富裕層しか議員になれないからだ。愛知の「減税日本」は「選挙で選ばれる、ボランティアの市民が、市予算の使い道の一部を決める」と言うが、これは二百年くらい時代を逆行している。
 (同誌、p.79)


事実、減税日本は「議員報酬を半減して800万円に」と公約していました。
まあ800万円でもサラリーマンとしては高いでしょう。それだけ見ると「金持ちでなければやっていけない」ということはなさそうに見えます。しかし、サラリーマンの仕事経費は会社から出ます。私はよく知らないんですが、議員の経費は議会から出るものなんでしょうか? そして議員はどれくらい経費をかけているものなんでしょうか。

それはそうと、薬師院氏による「維新の会」の「表層的な民主主義理解」の指摘に。

 …すなわち、「民主主義は、市場競争原理を政治に応用しています。たとえば、選挙や多数決はマーケットシェアをたくさんとった人が勝つ。市場競争原理そのもの」だと言うのだ。
 しかし、民主主義は全員による統治であって、多数決や普通選挙を同義ではない。多数決による決定が認められるのは、少数意見の尊重という大前提が保証される場合のみである。
 (同誌、pp.79-80)


この誤解――多数決と民主主義の混同は、相当に根が深いもののようです。

試験の成績で採用された専門公務員に過ぎない教員による多数決など民主主義と何の関係もないが、多くの教員は何でも多数決で決めることが民主的だと本気で信じている。
 (森口朗『日教組』、新潮新書、2010、p.26)


実際、学校教育でもしばしば「多数決で決まったことだから、正しい」と主張されることがあるのを考えれば、誤解は少なくとも小学校教育レベルに根を下ろしているということでしょう。

少数意見でも、人の意見を変えることがあるし、多数派を動かす可能性もある。だからこそ議会での議論が重要なわけですが、なぜこうこの点が軽視されているのか。
「日本には徹底して議論をするという習慣が元々ない」という人もいますが、それは全く一面的だと思います。確かに、聖徳太子十七条憲法の最初は「和を以って貴しとなす」とあります。が、その第一条の後半部には何とあるか。

然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

(書き下し) しかれども、上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

(現代語訳) しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。


「事を論う」ことは当然のように認めています。
さらに、最後の第十七条には、

夫事不可独断。必與衆宜論。

(書き下し) それ事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。

(現代語訳) ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。


「以和為貴」とは付和雷同しろという意味ではなく、徹底して議論するための前提として、不必要に攻撃的になったり、力づくで押し通そうとしたりしてはいけない、そういう意味だと私は解釈しています。
逆に、西洋文化の源流の一つ(とも言われる)古代ギリシアにもイエスマンはいました。

「そうですとも、ソクラテス。それは完全に明白です」とポレマルコスが横から相槌をうった。
 (プラトン『国家(上)』、藤沢令夫訳、岩波文庫、1979、p.60)


話が随分と妙な方向に行ってしまいましたが、薬師院氏の論に戻りましょう。

 日本では「人々は政府を信用しない」から「政府は増税できず、いつまでたってもセーフティネットが充実されない」のに対し、デンマークでは重税が容認され、社会保障が充実している。その決定的な違いは何か。それは民主主義の有無にある。
 民主主義、すなわち全員による統治が保証されていればこそ、国民は政府を信頼して税金を託し、そこに自分の生活保障を見出すのだ。これは、建前でも奇麗事でもない。維新の会が賞賛する現存国の実例なのである。
 ((『新潮45』、2011年4月号、p.81)


しかし維新の会は逆の方向に向かっている、いや維新の会のみならず、日本は「では民主主義を確立しよう」という方向には向かわず、大衆運動で独裁者を生み出す方に向かっている、というわけです。

 …なお、維新の会によると、「首長はまるでオーナー会社の社長」で、「重要な政策については、国民投票で決めるといい」らしい。実際、名古屋市では、独任制の首長が自ら署名活動や住民投票を先導し、議会を解散させる怪挙に成功した。それにしても、なぜ日本国民は、これほどまでに民主主義を拒絶するのだろうか。
 (同誌、p.85)


政治が駄目なのが先で、だから国民は「民主的手続きで決まった政府が駄目だから、非民主的な手段に訴えよう」となるのか、それとも国民が政治を信用しないのが先なのか――と考えると、ニワトリとタマゴのような話でもありますが。この問いにすぐには答えられません。
最後に、議論の空洞化を含め、日本の国会の問題を歴史的に考察した良書を紹介しておきます。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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