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現代の信仰(の一つ)

何度か書いてきた、アニメ・漫画の表現規制に関わるお話。
 過去記事 →  
こんなものもありました。

非実在青少年〈規制反対〉読本非実在青少年〈規制反対〉読本
(2010/06/04)
サイゾー&表現の自由を考える会

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収録されているエッセイはまあ、色々ありますが、まずいささかの違和感を覚えたのは表紙の煽り文句です。

「僕たちのマンガやアニメを守るために!」

…問題は必ずしもそういう次元に留まらないのではないか、というのが問題です。
逆に、アニメや漫画の問題として考えてみましょう。個々の作品は思い通りの表現ができなかったり、潰されたり、そもそも出版社が潰れたりすることもあるかも知れません。その作品のファンであれば、私も無論残念には思います。できればそうした事態は避けたいものです。
が、それでアニメ・漫画文化そのものが潰れるかと言えば、潰れないでしょう。抑圧に抵抗し、取り締まりの網の目を潜り抜けてやっていくアングラなところが、こういうサブカルチャーの本質だと思いますから。
しかし、「青少年のために“有害”環境を取り締まる」という大義名分を掲げる人は、それでは満足できないのではないでしょうか。

私としても「表現の自由」を掲げれば何でも許される、とは言いません。そもそもなぜ「表現の自由」は守られねばならないのか、それが問題です。しかし、その「なぜ」は、同時に規制に向けられねばなりません。
根拠なしに表現の自由を規制して良いとなれば、根拠なしにその他の権利も規制されうるのではないか、問うているのはそのことです。
表現の自由は弱い権利だとは思いません。だからこそ気を付けるべきでしょう。子供が病気にならないようにと頭から消毒液に付けたら、菌より先に子供の方が死んでしまいます

…と言っても、これも規制推進派や興味のない人には「アニメ漫画を守るためのオタクの言い訳」と聞こえることでしょう。
では、このような話はどうでしょうか。

 〔2003年に東京都で青少年条例の“改正”が提言されて以降〕(……)青少協副会長の早稲田大学教授の加藤諦三も、真面目とは思えない発言を連発した。
<諮問されているのは、条例の実効性を高める方途についてである。不健全図書が、青少年の健全育成に有害である、これは社会共通の認識になっているわけだが、その因果関係の厳密な科学的証明が諮問されているわけではないので、そこに議論が入ると、現実的に諮問に答えられないということが出てくる、もうひとつは、青少年健全育成の視点に立った検討をお願いしたい。つまり出版の自由とか表現の自由という憲法上の問題ではなくて、青少年への販売に限って規制をどうするかということであって、この種の出版が、表現の自由とか出版の自由を不当に侵害しないかという議論の問題ではない>
 都知事の諮問では、少年犯罪との関係で図書規制の強化が議題になったにもかかわらず、表現物と犯罪にかかわりがあるのかどうかの実証はどうでもいい、表現の自由を顧慮するつもりもないということだった。
  (長岡義幸『マンガはなぜ規制されるのか』、平凡社新書、2010、pp.215-216)


根拠がなくても規制すべきである、それが問題だ、とはっきり認めているわけです。
なぜそんなに規制しなければならないのか。

考えられるのは、宗教上の理由でしょう。

例えば、「諮問されているのは、“女性は肌を露出してはならない”という戒律の実効性を高める方途についてである。女性の肌の露出が、男性の性欲をいたずらに刺激し有害である、これは社会共通の認識になっているわけだが、その因果関係の厳密な科学的証明が諮問されているわけではないので、そこに議論が入ると、現実的に諮問に答えられないということが出てくる」とイスラム教徒が言った――そういうことなら、話はよく分かります。
教典の教えを実行するのに教典以外の根拠が必要なら、確かに困るでしょう。

別に私はイスラム教を非難しているのでもバカにしているのでもありません。ただ、この国でイスラム教の戒律に基づく法令が作られるのは問題ありとせざるを得ません。
少なくとも「今度から“政教分離の原則”は撤廃し、イスラム教の教えに基づいた方を制定します」と宣言して、信を問うべきでしょう。

「アニメ・漫画表現を規制すべきである」と明文化された法典と体系化された宗教を探しても見付からないでしょう。しかし、教義化されたものだけが宗教ではないのではないでしょうか。
それ以外の根拠を必要とせず、何を言われても揺るがない信念を、他に何と呼べば良いのでしょうか。

ついでに、似たような話をもう一つ。

 以前、ある動物愛護団体の主宰する会合を見物に行ったことがある。水族館のイルカを解放せよと主張するその団体の話は、飼育下のイルカたちがいかに虐待されているのかを言い募り、イルカを見たければ、船で海へ行くかビデオ映像を見ればよろしい、との話であった。最初は黙っておくつもりだったのだが、元水族館職員としては、どうしても一言いいたくなって、つい発言の手をあげてしまった。
 近年のイルカ飼育技術と動物への配慮がいかに向上し、飼育年数が延びているかを説明したあと、「そもそもみなさん、子供の頃最初にイルカを見たのは水族館ではなかったですか? 生きているイルカの姿を見たい人たちすべてが船で出かけるなど、まずできません(イルカもおおいに迷惑でしょう)。水族館は社会教育の場でもあるのですよ」といってみた。すると団塊の女性代表は、私の主張などまるで意に介さず、「水族館にいるイルカは、もはやイルカではありません。あれはイルカの皮をかぶったぬいぐるみのようなモノです」と堂々とおっしゃられるのでは、ああ、こりゃ何を言ってもダメだと、それ以上反論する気がすっかり萎えてしまった。
 (……)こうなるともう宗教に近いとも思うのだが、やっかいなことに、神の獣のしもべたちは、鯨を食べる野蛮な国々の人々を放ってはいかずに糾弾するのである。ヒンズー教において牛は神の使いだが、ヒンズー教徒がキリスト教徒にハンバーガーを食べるなとは言わない。イスラム教徒も、ほかの宗教信者に豚を食うなとは普通言わない。しかし鯨教徒は黙ってはいられないようである。
 (石川創『クジラは海の資源か神獣か』、NHK出版、2011、pp.152-157)


さて、なぜこのような宗教が根強い力を持つのかについては、今の段階ではまだ解明の手が及びません。

ですが、こうして「教義」を押し付けて回る態度が「青少年の健全育成」にプラスとなるのか、どうか。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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