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まどか☆マギカ――あれからリアルタイムで8年が経った

先日言っていた、単位互換の仮受講票の話ですが、本学の学務課に聞いてみたところ申込票のコピーをもらえました。まあ、もう正規の受講票を作ってしまったので良いようなものですが。

 ~~~

さて、いよいよ「魔法少女まどか☆マギカ」最終2話に関するお話です。

以下ネタバレあり。前回までのお話はまどか☆マギカ――メタレベルの戦いを超えて以前の記事を参照。







第11話「最後に残った道しるべ」

まずオープニング前のプロローグで、前回(ほむらの過去篇)に存在した一つの疑問に対する答が述べられます。
最初にほむらと会った時、まどかはマミ先輩の下で見習い中の半人前魔法少女に過ぎませんでした。
ほむらが何回も時間をループするたび、「ワルプルギスの夜」の前に沈むか、あるいは勝ったとしてもまどかは魔女になるかで、必ず悲劇的な結末を迎えていたのですが、その内容はそれぞれに違いました。4順目では、まどかは「ワルプルギスの夜」を一撃で倒してしまいます。5順目に当たる今の世界でも、まどかは魔法少女として破格の才能を持っているらしく、それゆえにキュウべえもまどかに執着しています。
どうも、世界によってまどかの魔法少女としての才能は違うらしいのですね。

キュウべえの曰く、「魔法少女としての潜在力は、背負い込んだ因果の量で決まってくる」とのこと。ほむらがまどかただ1人を救うために時間を巻き戻すことで、複数の並行世界の因果の糸が全てまどかに結び付いてしまったのではないか、というのです。
ほむらがやり直すたびまどかが強力な魔法少女になっていく、という演出にも意味があったわけですが…しかしだとすると、皮肉にも、悲劇を避けようとほむらが時間をやり直すほどに、キュウべえがまどかを魔法少女にしたがる理由は大きくなっていく、ということでもあります。

本編ではさやかの葬儀(魂が魔女になった後、残った身体は杏子の滞在していたホテルに残されていました)、子供たちに何かが起こっていることに気付き始めた大人たち、と言った場面も描かれますが、要点を。

まずキュウべえが「有史以前から人間の文明に干渉してきた」という事実を語ります。
数多の少女たちが契約し、祈りを叶え、絶望に身を委ねて、「中には歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた子たちもいた」と……(イメージ映像から見て取れるのは、例えばクレオパトラ卑弥呼ジャンヌ・ダルクと言ったところでしょうか)。
そして、家畜が食肉として供される代わりに人間の保護下で反映しているように、人間もキュウべえとの共生で繁栄し、歴史を紡いできた、と言うのです。「もしも、あなたたちがこの星に来てなかったら…?」というまどかの問いにキュウべえは「キミたちは今でも、裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」と答えて終わります。

キュウべえは嘘も吐きますし、嘘を吐いたつもりはなくても、この見通しが正しいという保証はありません。
が、事実上はほぼ「キュウべえを滅する」という選択肢も絶たれたことになります。

ほむらの家を訪問するまどか。ほむらは自分一人で「ワルプルギスの夜」を撃退できる、と言いますが、まどかは信じることができません。
「本当の気持ちなんて言えるわけない。だって私は…まどかとは……違う時間を生きてるんだもの」
と、自分の正体――未来からやって来て、この1ヶ月を何度もやり直してきたという事実――を語るほむら。

現実の空間にも物理的な破壊をもたらす「ワルプルギスの夜」の襲来は明らかな異常現象を引き起こし、市内には緊急避難命令が出されます。
ほむらは一人「ワルプルギスの夜」に立ち向かいますが、歯が立たず…
まどかは避難所を出てほむらの元に向かうことを決心します。ここでの母・詢子とのやり取りもなかなか印象的ですが。
傷付き倒れ、絶望しかけたほむらの前にまどかが現れたところで引きです。

第12話「わたしの、最高のともだち」

まどかは「魔法少女になる」という決意を、そしてやっと見付けた自らの願いを告げます。

「すべての魔女を、生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で」

キュウべえもさすがに動揺、「そんな祈りが叶うとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない、因果律そのものに対する反逆だ。キミは、本当に神になるつもりかい」と言いますが、今のまどかには、その願いも叶えられるのでした。
まどかは時間と空間を超えて、すべてのソウルジェムが穢れに染まって魔女になろうとする瞬間に現れ、安らかに消滅させる存在になります。
それは、「穢れに染まったソウルジェムは魔女にならず、消滅する」という法則を持った、新しい宇宙の創造。もちろん、一つの宇宙を生み出すだけの祈りは、一つの宇宙を滅ぼせるだけの呪いを生みます…が、まどかの祈りは自分自身の呪いをも打ち破ります

しかし、新しい宇宙には、まどかはいません。まどかは宇宙に偏在する「概念」になってしまったのですから
ただ、全てがリセットされも、まどかの下位に当たる能力を持ったほむらだけは、まどかのことを覚えています。まどかから渡されたリボンを持って…

 ―――

さて、先の私の見通しはこうでした(4月17日の記事より)。

「究極のハッピーエンド」はと言えば、キュウべぇを滅ぼす(あるいは、少なくとも地球から追い出す)ことです。
できれば、キュウべぇが最初の魔法少女を生み出す前に遡って撃退しておけば、魔法少女も魔女も生まれることはありません。
しかし――前回までに見てきた本作の基本設定を考えると、それだけの「見事な解決」の代償は、必ずどこかに残らねばならないように思われます。そこで誰かが犠牲になるか――何となく、それでも足りないような気がします。


当たったと言うほど当たっていると言う気はありません。キュウべえを滅ぼしたわけではありませんし、そもそも他の可能性との併記でしたから。
ただ、時を「遡って」、「魔女が生まれる」こと自体を阻止し、そして(ある意味で)まどかが「犠牲になる」というのは、近い線だったという思いもあります。

実は、私がこの読みを書いた時に念頭に置いていたのは「仮面ライダー龍騎」でした。
他作品のネタバレまで入って大変なことですが…まあそれは簡潔にしておきましょう。

「龍騎」においては、「ライダー同士の戦い」で全てのライダーが滅びた後、ヒロインの神崎優依とその兄の士郎は、今度はモンスターもライダーもいない、新しい世界を描きます。しかし、その世界には優依はいません。そもそも「ライダー同士の戦い」は、幼い日に死んでいたはずの優依を生かすためのものだったのですから(この辺の設定は夏の映画ですでに示されてはいました)…
しかも、「龍騎」には時間ループ要素もありましたしね。

さらに余談じみた話が広がりますが、

「ラーゼフォン」(アニメ、2002年1月21日-2002年9月10日)
「仮面ライダー龍騎」(特撮、2002年2月3日-2003年1月19日)
『ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン』(漫画、週刊少年ジャンプ2000年1号-2003年13号)

これらの作品に共通していたのは「世界生み直し系エンド」でした(私が知る限り、ということで他にも同様の終わりを迎えた作品はあるとは思いますが)。途中あるいは終盤でメインキャラが死んでいくのは当然ですが(だからこそ、「新しい世界に生まれ変わる」という救いが意味を持つわけでして)、「龍騎」と『ストーンオーシャン』では「最終回前に主人公が死ぬ」といった点も共通していました。時期も被っていて、この時期に何があったのだろうかと時々思います。

というわけで、それから8年経った今、何が変わったのかを問うべきでしょう。

まず、いかにして世界を生み直せるのかという点に関して、「まどか☆マギカ」においては完成度がずっと高められているのが分かります。まどかの能力はほむらの上位互換のような扱いになっていますし、まどかがそれだけの力を持つ理由も明瞭に説明され、ここまでの物語と設定から自然に繋いで、ほむらのやってきたことを受け継いで上手く締めた印象があります。
「龍騎」でこの辺説明の外みたいなものでしたし、「ラーゼフォン」でも「世界の調律」というのはキーワードではありましたが、結局あまり説明はありませんでしたし。

また、「龍騎」の場合、戦いに勝ち残ったただ一人のライダーが願いを叶えられる、という話で、主人公・城戸真司の目標は「ライダー同士の戦いを止める」ことでした。しかし、真司がそれに成功すれば、「真司が他のライダーに勝って自らの願いを叶えた」ことになってしまいます。それでは本来の目標を達成したことになりません。
ですから、真司にできるのはせいぜい目の前の人を守ることだけで、最終回を前にして志半ばで死ぬより他なかったのでしょう。
一方、「最初に願いを叶える」という逆転した設定の「まどか☆マギカ」においては、最終回になって初めて魔法少女になるまどかが、まさしく主人公らしい(いやそれ以上の)活躍で逆転の一手を打った格好です。
必ずしも優劣比較ではなく、「龍騎」にはそれなりのそうなるべき理由があったのですが、実に好対照ではあります。

しかし何よりのポイントは、上記三作品においては、生まれ変わった主要人物たちは「超常の戦いなどない世界」に生きることになったのに対し、「まどか☆マギカ」ではそうではないという点です。
ほむら、マミ、さやか、杏子はやはり魔法少女であり、今度の世界では魔女が生まれない代わりに(やはり人の呪いから)「魔獣」が生まれて、それと戦っています。ただ、ソウルジェムが魔女を生むというもっとも過酷な事実がないだけに、キュウべえとの関係はより良好なようですが…。
何しろ、魔法少女がいなければ人類の文明もないのですから。
人の感情としての「祈り」や「呪い」をキュウべえがタダ乗り的に利用しているだけならば、「『祈り』や『呪い』があっても、魔法少女とその敵はいない世界」も考えられたのでしょう。しかし、キュウべえとの契約で起こる奇跡が人類史の要をなしているがゆえに、「魔法少女とその敵」の存在は、人間が感情をもってなす営みそのものの象徴のような意味を持ってしまっている、とも言えるでしょう。
人が生きている限り、呪いが生じることをなしにしてめでたし、とはいかない、と。

より現実的な解答、と言うならそれも良いのですが、実のところ、何が救われたのでしょうか
魔法少女たちは相変わらず命懸けで戦っています。魂を抜き取られ、他に仲間もいない孤独な存在であることも変わりありません。祈ることによる――たとえば杏子の家族のような――悲劇は、やはり起こり得るでしょう。
ソウルジェムが穢れに染まれば、魔女にならないものの消滅してしまいます。新しい世界でも、さやかは逝ってしまったようでした。

唯一の違い――それは「魔法少女が魔女にならない」ということです。

「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、わたしは泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい」――それがまどかの願いでした。ソウルジェムを浄化しきれなくなった魔法少女たちは、まどかに看取られ、安らかに逝くことでしょう。
祈りが悲劇を生まないとは言えない。けれども、自分が祈った分だけ呪いを振り撒く存在にはならない。ならば、祈りが絶望に繋がっていない可能性を信じることもできるでしょう。

願いが叶う直前、夢(?)にマミ先輩が現れ「あなたはあなたという個体を保てなくなる。死ぬなんて生易しいものじゃない。未来永劫に終わりなく、魔女を滅ぼす概念として、この宇宙に固定されてしまうわ」と警告すると、まどかは迷わず「いいんです、そのつもりです」と答えました。

「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、わたし、そんなのは違うって、何度でもそう言い返せます」

悲劇を断つことではなく、元々悲劇の中に生きている者たちが、希望を信じられるようになることを求めて――真に感動的な終わりだったと思います。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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