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まどか☆マギカ――正義の地平から

博物館実習を申し込んでいた美術館から返信が来ました。
つい大学受験の時の感覚で「薄い封筒だからダメかな」等と思いましたが(大学の場合、合格時には入学書類が入っているので封筒が分厚くなります)、そんなことはありませんでした。
とりあえず実習先は決まりましたね。

 ~~~

さて、そろそろ世間の熱も冷めてくる頃かも知れませんが、メタ問題の次元でに続いて「魔法少女まどか☆マギカ」のお話です。

以下ネタバレあり






「まどか☆マギカ」から始めてもいいのですが、折角なので、あれからリアルタイムで8年が経ったで引き合いに出した「仮面ライダー龍騎」の話をもう少ししておきたいと思います。
「龍騎」は元々「子供たちに正義を教えられる番組を」という要請があったと言います。しかし結局行き着いたのは「この戦いに正義はない。あったのは、それぞれの願いだけだ」という最終回の語りでした。
これに関する白倉プロデューサーの思想も、著作が出ていたりするので、いずれ詳しく検討しようと言いつつまだやっていないわけですが…まあそれはまたの機会に。

さて、以前に述べたように、正義とは「皆のため」を考えることです。
ところが、「龍騎」にあったのは「それぞれの願いだけ」でした。「戦いに最後まで勝ち残れば、願いが叶えられる」という約束の下、ライダー同士の戦いが行われます。
この条件下では、「戦いを止めて、他のライダー達を戦いで死ぬことから救いたい」という願いも、他のライダー達の「叶えたい願い」と対立してしまいます。つまり、すべては他と対立する「各自の願い」にとどまり、「皆のため」の正義を願うことは否定されざるを得ません。
それもまた現実的なのかも知れません。しかし、「この戦いに正義はなく」、また仮に「正義は教えることができない」としても「どこにも正義がない」ことにはなりません。

白倉氏プロデュースの「仮面ライダー」シリーズにおいても、今年の映画「オーズ・電脳・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」では「仮面ライダーは正義の味方」という、平成ライダーではできない「直接的な表現」(映画パンフレットより)をさせており、「正義への回帰」が見られる、等と考えてみたくもなります。
が、そのような形で「時代の風潮」のようなものを持ち出すのは安易との謗りを免れないでしょう。
ここで問題にしたいのは、無論「仮面ライダー」と「まどか☆マギカ」の直接の影響関係などではなく(第一、「影響関係」を語れるほど、私は業界に詳しくありません)、ある同じ問題との対決です。

「まどか☆マギカ」においても、第9話までで――さやかと杏子の物語を通して――示されたのは、他者のために祈ることは絶望へと通じている、ということでした。
しかし、それを打ち砕き、希望を信じることを可能にする――それがまどかの願いでした。

ここで考えてみたいのは、魔法少女たちが歴史を紡いできたのであり、それがなければ人類の文明そのものがなかっただろうという設定です。
とりあえずこれは「キュウべえを滅ぼす」という選択肢を封じるための設定と見えました。が、さらに考えるなら、奇跡とも言うべき「偉大な達成」が歴史を紡ぎ、社会を築いてきたということかも知れません。

真に新しいものは、それまでの価値基準では評価できません。新しい価値基準そのものを作り出すのが「天才」の「発明」というものでしょう。しかし、新しい価値が人々の間に浸透するには時間がかかります。
全ての天才が不遇だとは言いませんが(それは事実に反します)、往々にして天才が生前にはなかなか理解されなかったというような話は、そのためです。
しかし、そのような偉大な天才の発明が人類史上きわめて大きな意義を持っていたのも、疑いのないことです。

確かに、奇跡は感謝も返礼も不可能であり、それゆえに奇跡を人にもたらすことは人との紐帯を生まず、むしろ不幸をもたらすのかも知れません。ですが、そうした感謝も返礼も不可能な、いわば「恩寵」こそ、新たな社会を生むものなのかも知れません

考えてみましょう。果たして「正義の味方」は「正義」の対象となっているのか、どうか
ベルクソンも指摘し、サンデルもしばしば言っていたように、「正義」と密接に結び付いた問題の一つは「公平な交換・分配」ですが、皆に「公平な分配」が行われるように取り計らう人は、「公平な分配」――つまり正統な報酬――を受け取っているのでしょうか。
もちろん、受け取っているかも知れません。しかし、そうではない可能性もあります。
もっと言えば、公平な分配のためにはまず「分配される資源」が必要です。結局、まずは「自然の恩恵」をただ受け取るしかないのではないでしょうか(もちろん、人間が自然に対してできることもありますが)。

「正義」の前提には、正義の対象となり得ない「恩寵」がある

さらに言えば、我々が「正義」を知りうるのも、そうした「恩寵」を通してこそなのかも知れません。

そして、全ての恩寵を恩寵として受け取り、希望を信じることを可能にしてくれたのが、まどかの究極の願いでした。
このようなものを「救済」と言うのなら、それも理解できる話です。
「『目の前の誰かのため』を思いやるのは『道徳』の一環ではありますが、それだけでは『正義』ではありません」と私は言いました。
然り。すべての魔法少女が魔女になろうとする時に“その前に現れて”魔女化させずに消滅させていくのは、「正義」以前の「目の前の人」に対する救いを、時間と空間を超えて全ての魔法少女に向けているように思われるのです。
                           (芸術学4年T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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