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まどか☆マギカ――魔法少女の「友情」

今回もまた「魔法少女まどか☆マギカ」について、ある程度は語ったことの続きですが、まだ残っていたと感じることをもう少し扱おうと思います。
以下ネタバレあり。





「魔法少女まどか☆マギカ」の最終話タイトルは「わたしの、最高の友達」でした。これはそのまま、個体としては消滅して世界を作り替える間際のまどかがほむらに言った言葉です。
一方、まどかによって作り替えられた世界で、さやかはやはりソウルジェムが浄化しきれなくなって消滅してしまいますが、その時に杏子は「せっかく友達になれたと思ったのに…」と呟きます。

私としては、杏子のさやかに対する感情を、「友情」として読み込んでいたのが(「まどか☆マギカ――エゴイズムの孤独」参照)、最後にもう一押し進められたような手応えを感じましたし、今度の世界でははっきり「友達になれた」と言える状態になっていただけ、救いだったのかと思いますが……しかし、まどか――ほむらと杏子――さやかという二つの「友情」を見るに、途方もない違いを感じざるを得ません。

まどかが最後にこの台詞を言ったのは、新たな世界を生む直前に天上のようなところへとほむらを迎えて、でした。
命を助けられ、助け、最後はほむらが何度も時間を繰り返してきた成果を受けてまどかが巨大な達成をする……ほとんど近づきがたい「天上の友情」のようなものを感じてしまいます。
一方、杏子も8~9話ではさやかのために命を張っているものの、まず印象にあるのは二人が敵対して、戦っていたことですね。ほむらが過去に経験した別の時間軸(3巡目)でも、やはり最初は敵対していたようでした。おそらく最後の世界でもそうでしょう。そして、二人ともこの“友情”を通して具体的なものは、ほとんど達成していません

それでもこれらの「友情」に共通するものは何か。

さっさと言ってしまえば、まずは「無償の関係」ということですね。
魔法少女は「奇跡」という、返礼不可能なものを与えるのであり、それゆえに「贈与―返礼」という交換関係による紐帯から阻害されている存在でした(上にリクした「エゴイズムの孤独」および「まどか☆マギカ――取り返しのつかないもの=奇跡」を参照)。
そんな存在同士の関係、通常の紐帯による仲間を持たないもの同士の仲間関係を表す言葉が「友情」だったのでしょう。

さらに言えば、友情は優れて「個人と個人の固有の関係」です。そして、そうした「個と個の関係」にまつわる概念こそ、キュウべえの理解しないものでした(理由は「個体化の原理と恐ろしいマスコット」参照)。たとえばキュウべえは「騙す」という概念も通じません。双方の認識の違いに基づく利益・不利益があったとしても、それが非難されることは理解の外なのでしょう。
「キミ達人間はそうして~」「ワケがわからないよ」
そうした「キュウべえが持たず、理解の外のもの」は、しばしばキュウべえに利用される可能性もあると同時に、キュウべえの手の及ばぬ「人間の尊厳」の要ともなり得るのです。

が、さらなる指摘を。
ほむらはまどかに言っていました。「時をやり直すたび、私の生きた時間はあなたと離れていく」――ほむらはまどかと出会ってからの一ヶ月を五回も繰り返して、そのつど別れを味わっているのに対し、まどかはただ一度、なのですから。杏子よさやかの生き方も交わらないものでした。
そして、冒頭で挙げた最終回の二つの台詞は、いずれも友達との永遠の別れに際してのものでした。

ひたすらまどかを救おうとしてきたほむらとしては、まどかの消滅など望んではいませんでした。新しい世界でも、まどかのことを思い起こさせられると悲しみに包まれています。
確かにまどかは自分のやってきたことを「無駄にしない」で、大きな救いをもたらしてくれましたし、何より最後に「ずっと頑張ってきてくれたのに、今まで気付いてあげられなくて、ごめんね」と労いの言葉をかけてくれました。何よりも報われたはず…でも辛いのも事実。
しかし、まどかが本当に望んだ時、止める権利はもちろんありません。「友達」はペットのように意のままにするものではない以上、それは必然です。ほむらはしばしばまどかの判断力を無視して「魔法少女になるな」と強制するようなことをしてきましたが、それは「友達」に対して随分な態度です(本当のことを言っても皆に信用されなかったり、仕方のない背景はありましたが)。

一方、杏子とさやかの場合も――最後の世界でどうなっていたのか、詳しいことは分かりませんが、魔法少女としての力を「自分のために使い切る」と言った杏子と「自分のために力を使ったりしない」と言ったさやか、両者の方針が一致したかどうかは疑わしいところです(9話でも杏子の献身ぶりを見るに、転換は見られたとしても)。
少なくとも、杏子はさやかの消滅を前に「惚れた男のためだからって…バカ野郎」と呟きます。「惚れた男のため」に簡単に自分が消滅するようなことを、杏子は認めないのではないでしょうか(9話ラストでの心中は、魔女化したさやかを自らの手で仕留めなければならなかった上、自分もいずれ魔女になる運命だという状況だったことを忘れてはなりません)。
けれども、さやかがそこで自らの消滅を選ぶような奴だったからこそ、杏子としては心惹かれたのです。

そういう意味で、友達というのは「いつまでも側にいるとは限らない」だけではありません。友達は、場合によっては、ほとんど必然的にいなくなるものです。そこで袂を分かつような相手だからこそ友情を感じたのであり、友情に相応しくあるためには袂を分かたねばならない――そういうこともあるのです。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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