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「セカイ系」としての『涼宮ハルヒ』シリーズ

批評の熱い場はどこ?の続きですが、最新作『驚愕』までを含めた『涼宮ハルヒ』シリーズの内容に関するネタバレを含みます)


しばしば『涼宮ハルヒ』シリーズは「セカイ系」コンテンツの一つに数えられます。
個人的には「セカイ系」のイメージは少々違ったのですが、それは単に明確な定義のない言葉に対する印象論なので、こだわるのはやめましょう。

まず、以前に紹介した前島賢氏の著作から。

 筆者は、『エヴァ』のもたらしたパラダイム・シフトとして、ふたつの実存的な作品受容態度、つまり「萌え」と「セカイ系」があると述べた。そして『ハルヒ』は、まさにその両者を総合した作品であり、今から振り返れば、同作がポスト・エヴァの時代における最大のヒット作となったのも決して偶然ではないように思えてくる。
 どういうことか。まず『ハルヒ』はきわめてセカイ系的な作品である。同作品は、主人公キョンの過剰なまでに饒舌な一人称で語られ、また「ここではないどこかへ行きたい」というごく一般的な思春期の悩みを主題とした物語である。
 しかし一方で本書は、ハルヒ自身が作中で「萌えよ、萌え!」と自己言及的に語るように、ポスト・エヴァのもうひとつの(そして主要な)パラダイムである、萌えのフォーマットに忠実な作品である。(……)
 そして、同作では、実は宇宙人である彼女〔長門有希〕を筆頭に、未来人の美少女、超能力者の少年など、それこそそれぞれ異なる作品からひっぱり出されてきたような、まったく別の設定、背景、世界観を背負ったキャラクターたちがひとつの部室で共存している。
 このような雑多な光景は、美少女ゲーム的な想像力の影響を感じさせる。(……)
 そしてまた『最終兵器彼女』などのポスト・エヴァ作品群に顕著な「物語消費の排除」は、『ハルヒ』においても指摘できる。本作に登場する宇宙人、未来人、超能力者は、それぞれまったく別の体系からハルヒの持つ能力を説明し、その整合性はほとんどない。しかも、それら個々の説明でさえ、ハルヒという少女の一存であっさりと改変されてしまうことが匂わされている。そのため『ハルヒ』には確定した世界観、世界設定というものが、ほとんど存在しないのだ。
 (前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』、ソフトバンク新書、2010、pp.131-133)


なお、ここで「物語消費」という時の「物語」とは「世界設定」のことです。

次にこれまた何度か触れてきた斉藤環氏の近著から。論点はほとんど同じで、多少付け加わるような感じですね。

 ハルヒの存在も、「情報の奔流」を起こし、「時間震動」の源であり、世界の存在を夢見る「神」のごとき存在と、その正体は彼らの世界観ごとにまったく異なる。一致しているのは、ハルヒの機嫌を損ねたら世界が危ないという認識のみだ。複数の正解が語られることで、ハルヒの真相は「藪の中」のごとく曖昧化したのだろうか? そうではない。解の分散する多重化は、まさにそのゆえにこそ、唯一の一致点である「ハルヒ=世界の中心」を補強するだろう。もはや信ずるに足りない「世界」を「リアリティ」に係留する唯一の拠点。
 (斉藤環『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』、筑摩書房、2011、pp.224-225)


こうした点から「世界設定については気にしても、答えはない」と感じられることが、前回述べた「引っかかりのなさ」の一因かも知れません。もちろん、多くの謎について議論が盛り上がったこともあったわけで、気にしようと思えばできるのでしょう。
「細かい設定にこだわらなければ、分からない」という話はより読者を限定します。「気にしても、しなくとも良い」という幅の広さは、おそらく重要なポイントだったと思われます。

ただし、「セカイ系」ゆえの弱点もあります。

 そもそも話を矮小化するようだが、セカイ系は、商売に向かない。
 現在のマンガやライトノベルにあっては10巻、20巻も続くような作品が珍しくないが、たとえば『ほしのこえ』はわずか25分の短編、『最終兵器彼女』も全7巻、『イリヤ』は全4巻、『All YOU NEED IS KILL』は全1巻、『殺×愛』でも全8巻、みな比較的短い作品である。難病ものや遠距離恋愛など、明確な構造によって支えられた作品が多く「強い敵が倒されたらまた強い敵を」といったような引き延ばし、シリーズの長期化には限度がある。『涼宮ハルヒ』シリーズの刊行が第9巻を最後に長期中断しているのもその証左と言えるかもしれない。
 (前島賢、前掲書、p.217)


この指摘が正しいとすれば、『驚愕』の刊行は、「『ハルヒ』はどこまでセカイ系であり続けるのか」という問いに一つの答え、あるいは少なくとも重要な答えのカギを提供するのでは、と思われました。

実のところ、上で指摘されている「セカイ系」としての『ハルヒ』の特徴は概ね正しいながら、作品の構造が少なからず変遷を遂げていたように思われます。

シリーズの基本設定はだいぶ前にも紹介した通り。シリーズ第一作『憂鬱』のラストでは、セカイを根本から作り替えようとするハルヒを、宇宙人・未来人・超能力者の三人から援助(アドバイス)を受けたキョン(語り手・一般人)が何とか止めることになります。
第二作『溜息』、第三作『退屈』でも、ハルヒの気まぐれ、あるいは機嫌を損ねることによる世界の危機を免れるべく奔走するキョン達SOS団の面々――というのが基本構造です。ただし、ハルヒ自身が「世界にはこんなSF・ファンタジーのようなことがある」という真相を知ってしまえば、世界は一気に異変に見舞われるだろう、ということで、ハルヒだけはそうした事態を知りません。
第四作『消失』は以前に語りましたが、大きな転機となります。ハルヒの世界改変能力が奪われて利用され、宇宙人・未来人・超能力者がいないのはもちろん、ハルヒも特殊な能力を持たないように世界が改変されます。
つまり、「ハルヒ=世界の中心」も絶対のものではなく、動かされうるものになったのです。もっとも、キョンはハルヒを中心とした世界に戻ることを望み、かくして元通りになるのですが。

この後、第五作『暴走』、第六作『動揺』はいずれも短編集で、これまでと動揺の話もありますが、ハルヒのせいで異変が起こるわけではない話が目立つようになります。
この辺りまでは内容が時系列順になっていないというスタイルのため、一概には言ない面もありますが、ハルヒの精神も落ち着いて、簡単には世界を揺るがしたりしないようになり、何よりキョンもそれを自然と信じるようになります。
その代わり、別の「敵」によって異変が起こる、という事態が生じます。
第七作『陰謀』は時間移動ものの長編ですが、やはりハルヒの能力はこれと言ったことをしません。ただこの巻では、朝比奈みくるとは別の勢力に属する未来人、古泉一樹の「機関」とは別の勢力の超能力者、長門有希とは別の種族の宇宙人、といった連中が「敵」であることが明示され、宇宙人以外は顔見せもします。
第八作『憤慨』は中編2本からなりますが、ここでも世界の危機はありません。

こうして見ると、「ハルヒを唯一の結節点とする、多重化した不安定な世界」から「ハルヒを絶対の中心としない、一つの安定した世界」へと少しずつ移行が起こっていたように思われます。実際作中でも、ハルヒ(と、長門)は力を弱まらせ、普通の人間に近付いているようだ、という古泉の台詞もありました。
そして問題の第九作『分裂』です。この巻は300ページ弱の内100ページまでが「プロローグ」で、その最後はこうなっていました。

 (……)俺は思う。
 SOS団に正規の団員はこれ以上増えないだろう、と。
 (……)
 結果として、その俺の予感は文字通りに半分当たりで、半分は外れることになる。しかし、この時の俺には知るよしもなかった、と常套句を言っておく。
 まさか、あんなにややこしいことが発生するとは誰にも予想外だったろう。古泉にも、たぶん長門にも、ひょっとしたら朝比奈さん(大)にまでも。
 下手人の名は明らかだ。他の誰でもない。
 涼宮ハルヒが、それをしたんだ――。
 (谷川流『涼宮ハルヒの分裂』、角川スニーカー文庫、2007、pp.99-100)


そして続く「第一章」からは、文字のレイアウトで区別された「α」パートと「β」パートが交互に展開されます。同じ日付で、同じ人物達によって、全く別の物語が同時展開されるのです。
「α」ではSOS団に入団希望の新入生がやってくるのに対し、「β」では入団希望者はなく、「敵」達が揃って顔見せし、長門が熱で倒れて、対決の雰囲気が濃厚――というところで「『涼宮ハルヒの驚愕』につづく」です。
世界の統一に向かっているかと思われたところで、非常に明白な形で新たな「分裂」が仕掛けられました
そして今回は、ハルヒの能力が大きな異変を起こしたこともすでに確定です。

これに対する理論的立場は、『魔法少女まどか☆マギカ』に関する考察をお読みの方にはもう分かっているかも知れません。
「両方の世界を生きた、一人のキョン」がいない限り、「誰にも予想外」の「あんなにややこしいことが発生」したと語る自体が不可能になります。「生きられた世界」が一つであることは、必ず保証されなければなりません。

『驚愕』のオチを言ってしまえば、二つの世界が合流して、登場人物達は同じ一週間に関する二つの記憶を合わせ持つことになります(これはどんな気分がするのか、なかなか興味深いですね)。それでいて、ハルヒも含めたほとんど全ての人達は、世界が分裂していたことは知らないままです。

 分裂していた世界の記憶は、各人とも矛盾が発生しないように融合されていた。どちらも存在していたのだが、それが二重記憶になっているということは、無意識のうちに整理され、どちらか思い出した時は、もう片方は浮かばないシステムになっているようだった。
 (谷川流『涼宮ハルヒの驚愕(後)』、角川スニーカー文庫、2011、pp.227-228)


 (しかしこの場合逆に、誰もが記憶に関しては同じ条件ならば、キョン達のみ「世界が分裂していた」と認識できるのはなぜか、という疑問が生じますが、「もう一人の自分と会った体験」があるのが大きいのかも知れません)

もっとも(これだけ長々と書いておいて何ですが)、ここまでは特に問題ないのかも知れません。
「知解可能性」に訴える「世界設定」の統一性を排除して(つまり、「知解可能世界」はバラバラになっても構わないということです)、「親しさ」に訴える世界――すなわち“生きられた世界”の統一のみを掲げるのが「セカイ系」の特徴、とも言えるからです(通常「リアリティ」と呼ばれるものの二つの意味、「知解可能性」と「親しさ」の区別については、「リアリティとインティマシー」および「インティマシーとインテリジビリティ」を参照)。
(「セカイ系」と言う時の「セカイ」≒「生きられた世界」、ということになります)

とすると、問題点は、知解可能性の水準においては、世界はどれだけ複数化しているのか、という点です。
長くなってしまったので続きます。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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