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世界観の複数性と世界の一性

前回に引き続き『涼宮ハルヒ』シリーズの話で、ネタバレを含みます)





『ハルヒ』シリーズを見た時、知解可能性の水準においては――つまり、首尾一貫した「世界設定」という点で――世界はどれだけ複数化しているのか、というのが前回残された問いでした。

まず第一作『憂鬱』においては、宇宙人(長門有希)、未来人(朝比奈みくる)、超能力者(古泉一樹)の三者がそれぞれに異なる世界観から、ハルヒの能力についても異なった説明を、キョンに対してします。三者の間には接点という以前に、意見がぶつかり合う場面すらありません。
第二作『溜息』からは、(多くの場合ハルヒの能力による)異変に対応するため、キョンを含めた四人で話し合う場面がしばしば描かれるようになりますが、特に『溜息』においては明確に対立が見られます。
ハルヒが世界の創造主、もしくは神そのものではないとしても神のごとき力をもった存在であり、世界のあり方を書き換えていると主張する古泉に対し、朝比奈さんは異を唱えます。

「涼宮さんに、この『現在』を変える力があるのは間違いないです。でも、それが世界の仕組みを変えるものだとは思いません。この世界は、最初からこうだったの。涼宮さんが作り出したんじゃないんです」
 (谷川流『涼宮ハルヒの溜息』、角川スニーカー文庫、2003、p.246)


さらに長門も、それらの見解について補足説明をした上で、両者が相容れないものであることを強調します。

「古泉一樹と朝比奈みくるが涼宮ハルヒに求める役割は別。彼らは互いに相手の解釈を決して認めることはない。彼らにとって異なる互いの理論は自分たちの存在基盤を揺るがすものにほかならない」
 (……)
 長門を見る。古泉の言うことは嘘ぱちかもしれない。朝比奈さんは自分の意見が嘘だと気付いていないのかもしれない。だが、この冷静な宇宙人だけは嘘を言いそうにない。
「お前はどう思っているんだ。どれが正解だ。前にお前が言ってた、自律進化の可能性ってのは結局何なんだ」
 黒衣の読書好きは底抜けに無感情だった。
「わたしがどんな意見を告げようと、あなたは確証を得ることができない」
「なぜだ」
 しかしその時、俺は滅多に見られないものを見た。長門は、迷うような表情をしたのだ。俺が少々愕然としていると、
「わたしの意見が真実であるという保証も、どこにもないから」
 最後に長門はこう告げて本を置き、部室から立ち去った。
「あなたにとっては」
 (『涼宮ハルヒの溜息』、pp250-251)


ただ、キョンが誰に信憑性を感じているかという点で、彼らのオーソリティは等価ではない、ということにも留意しておく必要はあるでしょう。
しかも長門は、「(自分も含めた)彼らの世界観は互いに相容れず、どれが正しいかも分からない」というメタ視点に近い見解をも口にします。

さて、その後も常に対立的であるとは限りません。
朝比奈さんは過去に影響を与えないよう、重要なことの多くは「禁則事項です」として語ることができず、長門は何でも知っているけれど極端に無口で自分から語ることはほとんどなく、言語での表現自体に困難を感じているようです。そのため、一番饒舌な古泉が解説役になる、というパターンが定着します。
古泉は宇宙人や時間のあり方についても積極的に「推論」を展開します。もちろん、それは読者と同レベルの知見からの暫定的な解釈に過ぎないでしょう。古泉自身の世界観がそれらと相容れないことがあるというだけでなく、そもそも宇宙人の思考や未来人の時間理論について古泉が知らないからです。

しかし、それは読者視点に近いからこそ、事実に整合していて他に異論もない限りにおいて、読者にも受け入れられるだけのオーソリティを持ち得ます
巻が進むと、異なる世界観の対立よりもこうした「暫定的なオーソリティを持つ設定解説」が目立つようになります。

結論の半分を言ってしまえば、結局、宇宙人はどのような存在なのか、未来人はどのような時間理論に基づいてタイムスリップしているのかetc.といった点について、明晰に説明された“世界設定”が築かれることは、今にいたるまでないままです。ましてそれらが整合するのか、ハルヒの能力は何なのかという点については、ほとんど進展はありません。
その意味で、「主要登場人物がその一部でしかないような、一つの首尾一貫した世界設定」がないのは事実であり、世界は断片化しているのも確かです。

 ―――

残り半分というのは「ハルヒ=世界の中心」という「世界の結節点」です。
この点は『驚愕』のラストで、ある意味では強化されることになりました

『驚愕』のオチから言ってしまうと、「α」と「β」への世界の分裂そのものが、敵の陰謀に対抗するためにハルヒが無意識にとった措置でした。ハルヒは意識的には自分の能力を知りませんが、無意識の方が今までのように暴走するのではなく、計画的に動くようになっているのです。
古泉の曰く、

「僕は涼宮さんが徐々に力を縮小させていると考えていましたが、まるで見当違いだったかも知れません。彼女は進化している。感情的な能力の発露を制御し、意識的に操れるようになっている可能性が出てきました。理知的な《神人》の行動がそれを物語っています。(……)もう神を超えていますよ」
 (谷川流『涼宮ハルヒの驚愕(後)』、角川スニーカー文庫、2011、pp.240-241』)


ただ、これはまだ知解可能性の水準の話ではりません。
そこでポイントになってくると思われるのが、『分裂』で登場した重要キャラ「佐々木」です。
キョンの中学時代の親友で、キョンに対して「僕」という一人称でボーイッシュな喋りをする少女。そして彼女は、「ハルヒに代わる神」として「敵」たちに祭り上げられることになります。

ちょっと設定を説明しましょう。
ハルヒは精神的ストレスによって「閉鎖空間」という異空間を生み出し、そこでは「神人」と呼ばれる青い巨人が暴れ回ります。それを放置しておけば閉鎖空間が拡大し、やがてこの世界に取って代わって、世界そのものがすっかり更新されてしまう(と、古泉たち「超能力者」は直観しています)。
古泉たち超能力者だけがこの「閉鎖空間」に入ることができ、この空間でのみ戦闘能力を発揮して、「神人」を倒すことができます。「神人」を倒せば閉鎖空間は消滅します。

これに対して、佐々木は同様の異空間を常時発生させています。その空間には「神人」はおらず、拡大したり縮小したり、世界に危機をもたらしたりすることもありません。
古泉とは別の超能力者である橘京子たちは、この佐々木の空間に入る「超能力」を持っています。

それゆえ、ハルヒの世界改変能力は本来、佐々木に与えられるはずのものだった――橘京子たちはそう考えています。
未来人・藤原と、長門とは別種族の宇宙人・周防九曜(すおう・くよう)も――思惑はバラバラで、結束もあまりないのですが――佐々木を「ハルヒに代わる神」とするところまでは、目標が一致しているようです。
どうするのかと言えば、かつて長門が『消失』でハルヒの力を奪ったように、九曜がハルヒの力を長門に移し替える、という計画なのですね。藤原の目的はあくまでそうすることで世界改変能力をコントロール可能にして、自分の時間を守ることであって、「誰が神か」には興味がないようですし、九曜の考えはさっぱり分かりませんが。

しかし、この計画は(当然と言うか)阻止されます。
そもそも佐々木自身、「神」にされることなど望んでいませんでしたし、おまけに彼女は一貫してキョンの味方です。

では一体、佐々木に関する設定は何だったのでしょうか
藤原にとって問題なのは世界を改変する「力」であって、「器」は誰でもいい、つまり佐々木である必要もないのです(これは本人も明言しています)。
もちろん一つには、佐々木の発生させる空間はハルヒの閉鎖空間のように不安定ではなく「安定している」ことから、確実に「能力をコントロール可能な『器』」だと思われる、というのが重要で、白羽の矢を立てる理由としては十分でしょう。
しかし、佐々木が閉鎖空間同様の空間を常時発生させている、という設定そのものは何なのでしょうか。ハルヒには(知解可能な設定はないながらに)「世界の中心」という意義がありますが、それもないというのは何やら宙ぶらりんな印象はあります。
ハルヒが「偽神」で佐々木こそ「真神」と見なしていた橘京子は単に「間違った信仰を持っていた」ということなのでしょうか――ハルヒが「神のごとき存在」たることがますます強化され、橘京子は自分の立場を見失ったような感じで去ることになっただけに、その感は強いですね。

この点に関して、以下に述べるのが十分に納得の行く回答とは、私も必ずしも思いませんが、仮説を述べてみたいと思います。
ポイントは佐々木の言動にあるのではないか、ということです。
たとえば、宇宙人の九曜が時計について語る場面を見てみましょう。

「――時間は一定方向への不可逆的事象ではない。この惑星表面において生体活動をするためには疑似客観上の時間流を固定化する必要があった」
 それが時計かよ。こんなのただのゼンマイ細工みたいなもんだろ。時間を決めるのは時計じゃない。人間の連綿たる営みにおける便宜的数値にすぎん。
「――時間は常にランダムに発生している。連続していない」
 俺は目頭を押さえた。何を言い出してくれるんだ、この宇宙人は。
 佐々木は持ち前の好奇心を刺激されたようで、
「過去や未来は? 九曜さん、キミはどういった解釈の仕方をしているのかな。ひょっとしてアカシックレコードが存在するとでもいうのかい?」
「――時間は有限」
「それはどういう意味でだろう。無限降下法的に。たとえば一秒と二秒のあいだには、どれだけの時間があるんだ?」
「ない。ただし、あると思う行為に危険性はない」
 (……)
「そうか」
 納得顔で顎の下に指を当てる佐々木に、さすがにツッコまざるを得なかった。
「何がそうかだよ。おまえが解ったことが俺にも解るように噛み砕いて教えてくれ。どんなバカにでも飲み込めるように細かくしてな」
「ああ。うん、キョン。それは無理だ。なぜなら僕が理解できたのは、九曜さんないし九曜さんの創造主は我々人類とは根本的に違う、異質な考え方の持ち主であるということだけだ。つまりどうやっても理解できないらしいと理解できた」
 (『涼宮ハルヒの驚愕(前)』、pp.182-183)


時間が非連続的であるとか、客観時間が人為的なものであるというのは、SF的にも形而上学的にも色々と考える予知のあるネタで、先例も少なからずあります。理解できる形で論ずることも、不可能ではないかも知れません。
しかし、ここではそういう議論が求められていない――つまり、佐々木が「どうやっても理解できないらしい」と言っているのは、ほぼ「公式見解」と見なして良さそうだ、というのもお分かりかと思います

さて、宇宙人が我々とは異なる思考形態を持っており、我々とは違ったふうに世界を捉えていること、そのこと自体には特に問題はありません。
すなわち、佐々木の台詞は“世界観の差異”を括弧入れして、「異なる見方をする者達を含む一つの世界観」へと繰り込みます

かくして、佐々木の役割が「断片化する世界設定を安定させること」にあるのだと考えると、これがそのまま彼女の空間が安定していることに対応しているのではないか、という可能性が導かれます。
サイコロの6面の内、一度に見えるのは3面だけで、一つのサイコロに対しても方向によって違う面が見えるように、同じものに対して複数の視点が成立することは、何ら矛盾ではありません。むしろ、視点の複数性こそが「一つの世界」を保証するということも、あるのではないでしょうか(その意味で、「世界観」とはまさしく「観」点であって、世界そのものとイコールではありません)。
確かに、「あちらから見ればああ見え、こちらからはこう見える世界が、結局どのようなものか」という「最終回答」、つまり「世界の外から世界全体を見渡す観点」は存在しないという意味で、「統一された世界設定」はありません。しかし「一つの世界設定」は暗示的に示されているのではないか、ということをもって、仮の結論としたいと思います。
                           (芸術学4年T.Y.)

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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