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文学とエンターテインメント

――「アート」と「エンターエインメント」の違いは何だと思うか

という問題は(確か我々が受けた時より前に)本学の入試にも出たことがあります。
もちろん自分の考えを述べることが求められているのであって、これが正解だ、というものがあるわけではありません。
と言うか、今の私でもこれだ、と言うことは難しいですね。
ただ言えるのは、両者が排除し合うとは限らない、ということですね。エンターテインメントはアートではないのか、それともエンターテインメントであってかつアートであるものもあるのか――ここですでに議論になり得ます。

さて、少し場を変えて「文学」と「エンターテインメント」の関係を考えても、似たようなことが言えそうです。
イメージとして、「アート」や「文学」は高尚さのようなものを含意するのに対し、「エンターテインメント」は面白ければいい、というのはあるでしょう。
これは必ずしも皮相な観点ではなく、では「高尚」とはどういうことか、と考えれば十分論述するに足りることですが、壁にぶち当たる可能性も高いでしょう。と言うのは、高尚さというのは明晰な観念ではないからです。
(もっと広い意味で、高尚でないものも含めて「アート」なり「文学」なりである、という主張は当然あり得ますし、正当でもあります。これはある程度、「アート」や「文学」という言葉の用法の問題です)

分野を小説に絞って、高尚さ云々から離れると、一つ思い付く説があります。

・人物造形や心理描写、人間ドラマ、文章表現の技巧etc.に力を入れるのが「文学」で、「文学」にすればそれだけで一冊書けるようなネタを惜しげもなくぽんぽんとつぎ込んで展開させるのが「エンターテインメント」である。

もちろんこれが何か決定的なものだとは言いませんし、これとは異なる用法でこれらの言葉が使われている例も多々あるという意味で「異論」もいくらでも考えられます。

それはさておき、ただ面白くて多くの人に受けても、後世に残るかような名作になるかはまた別である、というのは、確かに事実です。「高尚さ」というのもそういう、後世に残るような価値を差しているのかも知れません。
しかし、「文学なんかを目指して面白さを犠牲にするから、今読んでももらえないし、まして後世に残りもしないのだ」というのも、往々にして事実です。

ここらで一つ、SF作家・山本弘氏の著作から。

 (……)SF小説は小説である以前にSFなのである。小説としての完成度はいくら高くても、SFとして面白くなければ、それはダメなSFなのだ。小説としてダメであっても、SFとして面白ければ、それは優れたSFなのだ。
 六〇年代後半、欧米のSF界で「ニュー・ウェーブ運動」というものが盛り上がった。乱暴に要約すれば、SFを文学に近づけようというムーブメントだ。いつまでも宇宙人がどうのタイムマシンがどうのなんて、くっだらない小説なんか書いてるんじゃない。宇宙よりも重要なのは人間の内面(内宇宙)だ……というような主張で、J・G・バラード、キース・ロバーツ、マイケル・ムアコックらが書いたシュールな作品が、よくSF雑誌に載ったものだ。
 しかし結局、ニュー・ウェーブはポシャった。SFの主流になりえなかった。なぜなら、それらは結局のところ、ありきたりの「前衛小説」であって、ちっともSFじゃなかったからだ。文学や前衛小説としては評価されるかもしれないが、SFとしてつまらないのだ。
 (山本弘『トンデモ本? 違う、SFだ!』、洋泉社、2004、p.4)


この後、漫画『濃爆おたく先生』を引用して「文学」を目指すことは「動機不純」と言われます。

あるいはやはりSF作家・鈴木光司氏による山田風太郎『風来忍法帖』(講談社ノベルス版)の解説でも。

 (……)ぼくは、フィクションにおいてこのシミュレーションを扱った作品を知らない。もちろん、山田風太郎氏の『魔界転生』を読むまではだ。氏こそ、世界初の魔界アルティメットを実現させた作家である。
 歴代の剣豪もし闘わば……、この設定を実現させるため、氏は、剣豪たちを同じ時代に生き返らせるという、実に安易ともとれる手法を取った。『リング』『らせん』の作者〔=鈴木氏自身のこと〕であったなら、刀の刃から検出された血液からDNAを抽出して再生させるまでの描写を、論理的に、くどくどちまちま繰り広げたあげく、再生を果たしたところで「おしまい」にしてしまったにちがいない。しかし、なんとこの作者は、「エロイム・エッサイム」などというわけのわからない呪文ひとつで、宮本武蔵や荒木又右衛門らを生き返らせ、柳生十兵衛との格闘シーンをふんだんに盛り込んだのだ。なあんだ、こんなやりかたもあったのか、分子生物学など勉強して損した、と目から鱗の落ちる思い。しかし、論理的な説明が一切ないぶん、これが理屈抜きでおもしろく、最後まで一気に楽しめる。『魔界転生』は、格闘家が抱く疑問にも応え得る、まさに画期的な作品であった。
 (山田風太郎『風来忍法帖』、講談社ノベルス、1996、pp.480-481)


損したとかいう自虐は話半分としても、「歴代の剣豪を同時代に蘇らせ、闘わせる」というアイディアをストレートに惜しまず書く「エンターテインメント」の強みをよく表しているでしょう。

ただし、上記の「定義」に従うと、たとえばライトノベルが必ずしもエンターテインメントとは限らないことになりますが…。「ライトノベルの純文学」――これは存外、普通に成立していることなのかも知れません(そう言えば、「純文学」と「大衆文学」という伝統的区分もありました。これが上記の「文学」と「エンターテインメント」の区分とどこまで一致するか、文学論争に疎い私には今ひとつ定かでありませんが)。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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