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ふたたび

教育実習の後日譚のようなものが今日のことでして、再び母校に行ってきました。
と言っても(幸いなことに)不祥事の謝罪に行ったのではなく、実習でご指導いただいた先生が行う授業の手伝いに呼ばれていたのです。
手伝いに呼ばれるくらいなら、少なくともその先生に嫌われてはいないんじゃないか…と思いますよね。人に話してもだいたいそう言われます。

そこで考えてみるわけです。
そもそもちょっと特別な準備が必要な授業でして、本来なら教育実習期間中にその授業をやる予定で、材料も用意されていました。諸事情で先送りになってしまいましたが。
つまり、実習生(=私)がこうも困った奴だと知る前から予定は決まっていたのであって、そして誰でもいいから手伝いは必要だったのではないか、と(実際、先生が授業をされている裏で材料の準備をしたりしました)。

とは言え、先生が私に同情的だったのも事実だろう、と思います(あんまりなので厳しく指導する気力もなくなった、とも言えますが)。それでかえって私も緩んでしまったところがあったかも知れませんね。いやもちろん責任転嫁はしませんけれど。

私が先生の立場でも、そうしたかも知れません。
本人には同情的に接しもするし、すぐには出来ないのも分かるけれど、評価はと言えば厳密に付けざるを得ない――と。
ちょっと話も伺いました。実習では他の先生の授業に参加させていただいたことも結構あるのですが、それらの先生に話を聞いてもやはり……という事情もあったとのことです。先生としても私のことに責任を取らねばならず、大変な立場でいらしたようで。

評価が下がるのは必ずしも相手に嫌われたからではなく(そういうこともあるでしょうが)、結果が至らぬからです。

ただ、終わってないんですよね。
実習の事後指導というのもあるわけですが、さて実習から何を学んだのか、と言うと…
たとえば生徒のコミュニケーションを取るべく話しかける――ことまでは当然であって、話をするためにどんな努力をしたか、と問われると……。「話しかけるのを試みるだけで精一杯でした」というのは無論、弁明にはならず、結果から言えば「努力していない」と言わざるを得ないわけです。
「もっと努力できた」可能性を否定できるとも思いませんし。
じゃあ、今から反省してどうすべきだったか、となると、私は今でも答えを持ち合わせていません。
                           (芸術学4年T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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