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足を引っ張り合っている場合ではない

(ある1コマ)
留学生の母語について、さすがにそれはちょっと調べたことはあるけどできないな~等と言いつつ、ひとまずその言語で挨拶のみ言ってみたところ…(調べたことがあるというのは本当で、入門書だけは買ってあったので、直前に調べてきたんですけどね)
ウケました
別にヘタだからではない……はずです。合ってるとは言われましたし。
つまり、それだけそんな言語を学んでる奴はレアだったということです。
多分、日本人が欧米に行って日本語で話しかけられるのよりもずっとレアでしょうから。
いや、挨拶だけで限界ではしょうがないんですが。

 ~~~

時々、戦隊ヒーローが5人がかりで1人の怪人をやっつけることを差して「いじめだ」と揶揄するネタがあります。
これはある意味では「仲間との絆・友情」というテーマを逆から捉える穿った見方ですが、考えようによっては、「ヒーローたるもの、正々堂々と1対1で戦うべき」「正義は勝つ」という固定観念にとらわれている、とも言えます。
5人がかりで戦わなければ勝てないということは、単独では敵の方がずっと強いということです。そもそも、基本的には悪い奴の方が強いのだ、と考えてみたらどうでしょうか。

さらに、数を言うなら、敵の戦闘員は5人よりもっとたくさん出て来ます
「戦闘員はいくらいても弱い」? しかしそれなら、同じ理屈はヒーローには認められないのでしょうか。
「戦闘員はやられ役で、戦力の内に入らない」という物語の“お約束”は受け入れて、「ヒーローは仲間と力を合わせて戦う」という“お約束”にツッコミを入れるのは、なぜでしょうか。

最近は昔に比べると、戦闘員のような端役で登場する人の数もかなり増えています(CGで増幅していると見られることもしばしば)。
『海賊戦隊ゴーカイジャー』を観ていると、大量の戦闘員相手のアクションシーンに結構見所がありますし、巨大艦隊との戦いもあります。しかし、それで「不利な条件を戦っているから、ゴーカイジャーは立派だ」と思うかと言うと…むしろ敵の方が弱い、という印象になりがちなわけです。

引き続き『電撃戦隊チェンジマン』のDVDを観ています(6月30日の記事参照)。
この作品を観ていると、敵である大星団ゴズマの幹部達は、割と仲間意識が篤いのです。
たとえば、第17話から女王アハメスという新幹部が登場しますが、彼女はかつて、現在ゴズマの遠征軍司令官であるギルークと組んで星王バズーの命を狙った人物です(その存在は、実は第6話ですでに語られていましたが)。
本編に登場した時も、最初はゴズマもその動向を把握していない謎の敵として登場し、調査にやって来たギルークの副官ブーバとシーマもアハメスに捕まってしまいます。
が、アハメスが星王バズーに許しを請い、ゴズマの傘下に入ることで故郷アマゾ星の再興を図るつもりだと知ると、ブーバとシーマはすぐに跪きます。また、結局チェンジマン抹殺を果たせなかったためにアハメスが罰を受ける時には、ギルーク司令官も「私とアハメスが組めば、必ずやチェンジマンを抹殺し、地球を征服してご覧に入れます」と許しを請うのです。
これはもちろん、彼らにとってゴズマ及び地球制服という計画が大切だからではなく、まずは敵対する理由がないからであり、またかつての仲間(二人の副官にとっては、上司のかつての仲間)ということで、信頼に足りると思うだけの理由があるからです。
もっと言えば、アハメスの背負っている「母星の再興」というものの重みが、他の幹部達にも分かるからです。

自分の出世や成功、はたまた楽しみのために戦っている悪役達の中には、しばしばそのために競争相手の足を引っ張る奴が出てきます。
しかしゴズマの幹部達は、それどころではありません。何しろ、自分の命と故郷の命運が懸かっているのですから。そして仲間も同じものを背負っているのが分かっている――その意味で、彼らの仲間意識はヒーローのものと同じと言えます。チェンジマンもゴズマに破れれば、ゴズマのために戦う宇宙獣士にされてしまうということも、序盤に明言されていたことですし。
まあ終盤になると、改心してゴズマを離れる奴らも出て来ますが、これは星王バズーという支配者の絶対権力が打ち破られつつあるからに他なりません。
そういう時、たとえ袂を分かっても、仲間に対する感情は、つまるところ変わりません。

そこで再び『ゴーカイジャー』を観ると、ザンギャックの艦隊はとにかく大規模で、かつてのスーパー戦隊全てがその力を尽くしてやっと撃退できたくらい、全体としては強い。
しかし、その大集団に庇護されている分、個人が「その身を懸けてベストを尽くす」ということを知らない。司令官のワルズ・ギルが皇帝の息子という立場にあぐらをかき、参謀長のダマラスは内心彼を軽蔑している辺りが、その辺をよく表しています。
よく見れば簡単に破れる「張り子の虎」と化しているのも、そのせいでしょう。

集団全体としてはそれなりの力があるからこそ、各自はその中での地位を維持することに心血を注ぎ、あちこちが穴だらけになっていく……今の(現実の)この国を見ていても、よく分かりますね。
これはおそらく、社会の変革時には英雄が必要になるという話とも結び付いてくるでしょう。なぜなら、既存の集団やシステムが危機の時、頼むべきは個人の力しかないからです。
そのためには、個人が力を尽くし、他の個人を認めることが大前提です。足を引っ張り合っていては、お話になりません
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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