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偶像破壊の歴史

「日本美術史特講」レポート課題(試験代わり)
「古代~中世の日本の仏師および仏像制作に関わった僧の中から1名を選び、その事績について論じなさい」

……つい勢い余って、仏像制作に関する仕事のあまり多くない人を選んでしまいまして。
どれだけ書くことがあることやら。
これ以上資料を集めている時間も、そうそうありませんしね。
「論じる」というか、基本的なことをまとめて終わりそうです。いや、レポートのレベルなら、それで通らないことはないと思いますけれど。

 ~~~

なぜかあまりニュースになっていませんが、アメリカ国債の上限引き上げを巡ってオバマ大統領と共和党が決裂したまま、現在協議中とのこと。
8月2日までに国債の上限を引き上げることができなければ、アメリカはデフォルト、つまり借金を支払えないのを宣言することになります。
国家というのは借金を踏み倒しても罪に問われたり、それでなくなったりすることはありませんが、通貨であるドルの信用が、というかアメリカ経済そのものの信用が失われるのは間違いないでしょう。
ドルの暴落もこれに関連していたようですね。
再び経済危機が訪れるのでしょうか。

(他方で、これは政治的ゲームで引っ張っているだけで、真の危機は存在しないとの意見もあるようですが…)

ちなみに、現在のアメリカの債務は14兆3000億ドル
……日本円に換算して1000兆円以上。日本のGDPが大体500兆円ですから……なぜこうなった
以前から財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」と教科書にも書かれるくらい、有名ではあったんですよね。
しかもアメリカの軍事費は、世界中の他の国の軍事費を全て合わせたものに匹敵するとか。
そこまでして軍隊を持っても、果たしていいことがあったのか、どうか。

 ~~~

中国の新幹線の事故で、被害のかなりの部分を“無かったことにする”気満々で事故現場を埋めている映像が流れたりしましたが、やはり旧共産圏の国はこうして“国民に無用の混乱を起こさぬよう”事態を処理することには長けているようです(今や情報を隠し通すのは難しい時代になってしまいましたが)。
1950年代には、ルーマニアはブカレストの公共広場にあったスターリン像も、一夜にして姿を消したとのことです。
美術史家ストイキツァは子供の時にそれを目にしたが、大学生になって教授達の口からようやく事情を知ることができた、と述懐します。

(……)公共公園の入口に巨大なスターリン像が立っていることは、第二十回ソヴィエト連邦共産党大会〔スターリンの死後三年を経た一九五六年二月、ソ連共産党第一書記フルシチョフが、スターリンによる個人崇拝の拡大と独裁政治、粛正の事実を公表し批判した大会〕以降、通行の邪魔になるとみなされるようになったが、この問題をどのようにして厄介払いすべきかについては、誰にも良い考えがなかった。そこで提起された第一の案は、像の設置位置を変えることなしに、スターリンの頭部をレーニンのそれにすげ替える、というものだった。(……)実際にレーニンの頭部が至急であつらえられ、すでに代替の準備も整えられていたらしく、それは「民衆に擾乱を来たすこと」のないよう、「至上の要請事項」として夜間に実施されなければならなかったようだ(すでにおわかりだろうが、引用句の表現はどれも、あの時代のお決まりの言葉遣いである)。だが最終段階になって、誰かがある重大な不都合に気づいた。スターリンは将軍のような制服姿で表されるのが常だったのである。その頭部を外してレーニンの頭部にすげ替えると(周知のとおり、レーニンが軍人であったことはいちどもない)、住民に「擾乱を来たす」ことはないとしても、著しい「混乱を招く」ことは確かであった。
 そこでもうひとつ別の解決策が見いだされたのであり、幼かったころのわたしの予想が、部分的にとはいえ的中することとなった。すなわち、この彫像はわたしの想像どおりに地獄に落ちたのではないにしても、「シンチラ・コンビナート」の高炉へと運ばれて、何段階もの高温によって溶解されたのである。そして、そのブロンズ材を再利用して、今度は軍服姿なしに、レーニン像が作られたのだった。
 (ヴィクトル・I・ストイキツァ『絵画をいかに味わうか』岡田温司監訳、平凡社、2010、pp.56-57)


ストイキツァはこれを、聖書に描かれるバアル神殿の祭壇の破壊以来の「偶像破壊」の系譜に結び付けます。そして……

 一九八○年代に東欧を巻き込んだ変化にともなう偶像の倒壊も、こうした規則の例外にあたるものではなかった。もろもろの出来事があまりに急激で、ときに大変な苦痛に満ちたものでもあったために、誰も、彫像の運命をおもんぱかる余裕などなかったのである。もちろん、それらのために特別な博物館をつくろうと思わせるほどに、彫像の芸術的な質が際立ったものではなかったことも確かである(たとえそうであったとしても、像の巨大さゆえに博物館設置が困難であったことは言うまでもない)。だが、それらの彫像を保存して倉庫の中――それもよいではないか――か、「歴史のアトラクション」とでも銘うった公園に設置しておくことは、容認されうるだろうし、現代において、完全撤去よりはふさわしい解決策であったことだろう。いつの日か、残存する欠片を集成する機会とそれに必要な手段が見つかれば、その種の「好機の博物館(ムゼオ・ディ・クリオジタ)」が出来上がる。この「博物館」では方針として、偶像についての、または偶像に付随する力そのものについての考察と、そうした力を無効にする実践方法についての考察が進められるにちがいない。
 (同書、pp.64-65)


興味のある人がどれくらいいるかはともかく、間違いなくまだまだ開拓の進んでいない分野でしょう、これは。
……話があちこちに行って、何の話だったか分からなくなってきていますが。

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                           (芸術学4年T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

コメント

公共の空間を占拠する造形の撤去は政治的イデオロギーとかかわりなく深刻な問題だと思います。現代の都市の風景では、陳腐化したモニュメント、日本人一般、およびその都市の市民一般の美意識レベルよりも低い造形作品があちこちに配置されています。これの撤去は厄介です。文化庁あたりが「迷惑モニュメント博物館」でもつくって引き取ってくれたら有り難いんですが…。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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