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タイムパラドックスについて

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商品リンクの情報量を考えてもその方がいいですし…
で、その結果。
紹介した覚えのない商品の紹介料が入っていました
システム上、こういうこともあるんでしょうか。
まあいずれにせよ、極めて微々たる金額ですが。

 ~~~

昨日の続きですが、今回はまず、タイムトラベル物の話をしてみたいと思います。

――タイムマシンで自分が生まれる前の過去に戻って、自分の父親を殺害したらどうなるのか? (直接「昔の自分を殺す」のでもいいのですが)

タイムトラベル物にはつきものの問いですね。
父親を殺せば、自分は生まれないことになり、すると自分が過去に戻って父親を殺すこともなくなる、するとやはり父親は殺されず自分は生まれ……いわゆるタイムパラドックスです。
以下、途中までは以前にも書いたことがある内容(図も使い回し)ですが、これに対する解答として、大まかに分けて三つの代表的なパターンがあると言えます。

1. タイムトラベラーの行為は“織り込み済み”で、過去を変えることはできない。

上の父殺しの例で言うと、父親を殺すことは決して成功しません。
それどころか、過去にタイムトラベルした自分のしたことのお陰で、今の父があり、自分があるのだったりします。

2. 過去は改変され、世界の様子は変わる。

ただこの場合、上記のパラドックス(改変の結果タイムトラベラーが生まれなければ、やはり過去は改変されない…というループ)を避けるため、タイムトラベラー自身は改変の影響を受けない(上の例で言うと、父親が殺されてもタイムトラベラーは存在し続ける)というパターンが多いですね。とは言え、常にそうとは限りません。

3. タイムトラベラーの干渉を受けた別の並行世界(パラレルワールド)が生まれる。

上の例では、「後にタイムトラベラーの父となる男がタイムトラベラーによって殺された世界」と「殺されていない世界」が分岐することになります。

なお、このいずれにも属さない「その他」という例もあります。

人は定型化するのが好きなので、少しタイムトラベル物に慣れてくると「この作品はどのパターンに当てはまるのか」と考えるようになります。それももちろん良いのですが、そもそもこのように考えることになる前提は何か、と問うてみるのも、たまには良いでしょう。

 ―――

これらの内で、1は論理的には特に問題ないものとして、今回は扱いません。
まあこれをストーリーにする場合、ご都合主義になりやすいという難点もありますし、何より過去に戻っても歴史に“織り込み済み”の行動しかできないのなら、人間に自由意志はないのか、という問題が生じますが(これに対し、そもそもタイムトラベルという想定自体が自由意志に反してはいないかとか、色々議論はできますが、それはまたの機会――あれば――に)。

では次に2について。
このケースは「改変型」とでも言えます。
しかしよく考えてみましょう。「改変」ということ自体が、時間的な操作です
図にしてみましょう。

過去改変

上の点線が「改変前」の世界(父殺しの例では、父親が生きていてタイムトラベラーが生まれる世界)、下の実線が「改変後」の世界(父親が殺され、タイムトラベラー自身が生まれない世界)ですね。
「改変前」とか「改変後」というのは、実際この分野でしばしば使われる言い回しですが、これはまさしく、時間的な前後をイメージした言い方です。
つまり、図中では矢印で描かれている時間軸は左から右に流れているのですが、さらに時間軸を収める平面上で、上から下に時間が流れていることになります。
なんと、時間の外にまた時間があることになります。

では最後に3の並行世界分岐パターンを見てみましょう。
しかしそもそも、タイムトラベラーが過去に戻るたびに新しい世界にしか行けないのなら、「タイムトラベラーの干渉を受けなかった世界は消えた(=改変された)のか、それとも干渉を受けた世界と“同時に”存在している(=パラレルワールドである)のか」と問うこと自体が意味をなしません。いずれにせよ「干渉を受けていない世界」に戻ることはできず、確かめることもできないからです。
並行世界が存在することを確かめられるのは、タイムマシンに並行世界を移動する機能があるか、あるいは別の手段で並行世界となんらかの接触が可能な場合です。つまり、並行世界はあらかじめ想定されているのです。

並行世界というものを想定できるのは、仮想的に「世界の外」に身を置いて、複数の世界を並置して見る場合だけです。
図にするとこのようになります。線で表されている「世界(時間軸)」を並置する「世界の外の場」がこの平面です。

平行世界分岐

結局、2と3のいずれも、世界の外に“メタ審級”を想定することによってのみ可能になるのです。
違いは、このメタ審級において、(図では上から下に)時間が流れているかのように考えるか、複数の世界が同時に共存していると考えるか、です。

なぜこうなってしまうかと言えば、そもそもの話がタイムパラドックスである――つまり矛盾を含んでいたからです。その矛盾を解消する(先送りにする?)ために導入されたのが“メタ審級”だということです
                           (芸術学4年T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

コメント

No title

よく洞察されていますね。メタ時間について更に考えてみると、SFとかで、時刻tにいたある存在がタイムマシンに乗ってtより過去の時刻sに行くという話をする場合、この存在がsからtに行ったではなく、あくまでもtからsに行ったのだと主張することの背景には、暗黙のうちにtからsに向かって流れるメタ時間が想定されているのではないかという気がします。運動を素朴に観察する限りは、sからtへの移動とtからsへの移動は区別できませんから。

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続・タイムパラドックスについて

昨日取り上げた『たったひとつの、ねがい。』の内容に関しての続き……ではありませんが、あとがきにもちょっとした面白い話がありましたので。  それと全然関係ない話なのだが
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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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