オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
人格のファンタジー 『みーまー』と『ネウロ』
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昨日が日常に関する話で、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』で締めくくったので、その続きとしましょう。
『みーまー』(略称)は、「超常現象は起こらないけれど非日常」という状況を実に見事に描いた作品でした。
もちろん、誘拐や殺人事件が起きるというのは十分に「非日常」な事件なわけで、そういう意味では超常現象の起こらないミステリやサスペンス等は皆そうです。
ただ、『みーまー』の真の非日常性は、そういう事件そのものと言うよりも、「登場人物が皆まもともでない」ことにあったように思われます。
主人公とヒロインからしてまともじゃありませんし、事件に関わる一群の人達が揃っておかしく、犯行動機を話されても普通には理解しがたい、ということもしばしばでした(特に、4~5巻の大江家や7巻の四人組辺り)。
直接の影響関係があるとは思いませんが、同タイプの内容をいっそうカリカチュアライズされた形で描いていた作品として思い出すのが『週刊少年ジャンプ』に連載されていた漫画『魔人探偵脳噛ネウロ』でした。
この漫画は「推理モノの皮を被った単純娯楽漫画」という触れ込みで、実際ほとんどミステリとしては成立していませんでした(この辺もある種『みーまー』に通じるところ)。
そんな本作の一つの特徴となったのは、犯行を言い当てられた犯人が「豹変」することでした。
ドーピングコンソメスープで強化変身して「さあ諸君、俺が逃げるのを止められるかな…」と言い出したり、鳥人間のように変身したり(理屈はありません)……
比較的大人しい方で、かつ分かりやすい例を一つ(ついでに、彼が犯人だとネタバレされてもほとんど問題ありませんし)。



(松井優征『魔人探偵脳噛ネウロ』7巻、集英社、2006、pp.53-54)
「遺産目当て」というのはミステリによくある動機ですが、家族を殺せば遺産が得られる状況にあったとしても、ほとんどの人は実際に犯行には及びません。
そこで「犯行に至った、その犯人固有の事情は何か」が問題になるのでして、これは本来「どうやってアリバイ工作をしたか」というのと同じくらい重要なことです。その意味でミステリとは(基本的には)「犯人を描く」ものです。
この点を間違って、とりあえずトリックだけをしつらえ、「怨恨」「遺産狙い」「痴情のもつれ」等の(それだけでは実は説明にならない)動機をあてがう、というのが出来の悪いミステリにありがちなことです。
これに対し、この『ネウロ』の例のような極端な犯人造形は、かえって「こんな犯人はありえない」ことを逆方向から浮き彫りにします。
その上で、いわば「人物造形がファンタジーだから」ということを「その犯人固有の事情」の説明の代わりにし、「現実的な説明はしません」と暗に宣言してしまう、これは画期的でした。
そう、こんな人格の犯人は超能力者や宇宙人と同じくらい、ファンタジックな非日常の存在なのです。
ちなみにこの犯人に対するネウロの決め台詞は――「ではあなたという枝も剪定(まび)いてしまいましょう。いくら残った枝が大きくても…それが腐っていてはしょうがない」
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