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非社会的な「成熟」

100人がしゃべり倒す! 「魔法少女まどか☆マギカ」100人がしゃべり倒す! 「魔法少女まどか☆マギカ」
(2011/10/14)
アニメ・ワンダーランド

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リアルで聞いて知ったものですが、こんなものも出ていたのですね。
一人1~2ページで、業界関係者から普段アニメに縁のない人まで様々。内容も当然色々で、軽く読んだり、ちょっとした情報を得る分にはまずまず面白いものです。
さて、本書の各章の間には2ページずつ、『成熟という檻 「魔法少女まどか☆マギカ」論』の山川賢一氏が――『成熟という檻』の補足のような形で――論を書いています。その中で、タイトルになりながら今ひとつ詰められてなかった感もある「成熟」の問題も触れられていました。
――というわけで、前回記事の「成長」問題とも関連してきますが…

 『魔法少女まどか☆マギカ』の第6話で、まどかの母親・鹿目詢子は、まどかに「大人になったら下手が打てなくなるから、子供のうちに失敗しておけ」とアドバイスする。しかし、まどかがそれにしたがってさやかのソウルジェムを投げ捨てると、状況はかえって悪化してしまう。これは、魔法少女たちが「下手」を打ってもやり直しのきく子供の世界にはいないことを表す。
 また第11話でも、契約を決意したまどかに対する詢子のセリフに「下手を打つ」という表現が出てくる。興味深いことに、ここでの彼女は、第6話とは逆に「絶対に下手打ったりしないな?」と念を押す。詢子はまどかの宿命を知らないものの、彼女がもはや子供ではいられなくなることは察しているのだ。このように『まどか☆マギカ』では、契約による魔法少女へと変身は、ある種の成熟の象徴として描かれている。
 (『100人がしゃべり倒す! 「魔法少女まどか☆マギカ」』、宝島社、2011、p.49)


魔法少女になることが「成熟」と考えられる理由は分かりました。
ただまあ、すると詢子の生き方は「かなり肯定的・理想的に描かれているのに対して、まどかたちの引き受ける『成熟』は、少なくとも素朴には肯定されていない」(同上)のはなぜか、という問題が出てきます。これに対して山川氏は、『オトナアニメNo.20』における虚淵玄氏のインタビューを引いて、「あとで振り返って、自分が何をかなえたのか、考え」る生き方と、「どこか目標を目指して、そこに向かって進んでいく」生き方の違いに求めています。これには特に異論もありませんし、それ以上言いたいこともありません。

さて、問題の第6話における詢子の台詞が出てきた文脈を振り返ってみましょう。
まず、「さやかは“魔女を倒して人々を救う”という正しい目的を目指しているはずなのに、杏子と魔法少女同士で戦うという“おかし”な事態になってしまう」という状況について、まどかが(具体的な事情は伏せながらも)相談していたのでした。それを受けて詢子は「世の中、正しいことだけじゃ上手く行かない」のを認めて、「まどかがその友達〔=さやか〕の分まで間違ってあげればいい」と言ったのでした(しかし、それは失敗が許される「子供」にのみ通用するアドバイスでした)。

ということは、詢子の言に従うならば、「正しいことだけじゃ上手行かない」にもかかわらず、大人は「下手を打ち」「間違う」(=正しくないことをする)こともなかなかできない、ということになります。
じゃあ大人はどうすべきなのか、という決疑論の答えを、『まどか☆マギカ』の作中に探すのは困難でしょう。
そこから論を敷衍して言うなら、そのような答えのない状況で、それでも動かねばならないのが大人であり、そういう「大人」の置かれた状況に相応しく、答えのない状況で適切に動くことができるようになるのが「成熟する」ことだ、と言えるでしょう。
(より厳密に区別するなら、前半は「大人の置かれる状況」であり、後半――その状況に相応しくなること――は「人格的に“大人になる”こと」となるでしょう)

このような意味ではまぎれもなく魔法少女は大人であり、また大人でなければなりません。

ただし、魔法少女を「大人」と認め得るのはここまでです。
(もっとも、『まどか☆マギカ』の作中に、他の「大人」の規定がはっきりと見出せるわけではありませんが)

たとえば、大人というのは社会的な存在でもあります。
幼児は親に無条件で認められる(少なくとも、そうであるべき)のですが、大人は社会的な枠組みに収まることを求められます。前回引用したひこ・田中氏の表現を借りれば、「自我を仕草や表情や言葉などの社会的に共有される記号に還元して世界と接触」するようになることが求められます。
しかし、魔法少女たちは社会的な紐帯から疎外されており、常に孤独です。
社会的な意味においては、魔法少女は大人になることを禁じられているのです。

それは――私が以前分析したところによれば――魔法少女は「奇跡」という返礼不可能なものを与える存在であるがゆえに、「贈与―返礼」で成り立つ社会的紐帯には入れないからです。さらに言うなら、魔法少女は既製の社会の枠に入るのではなく、いわばその外から、新しい社会を生み出すことを可能にする「恩恵」をもたらす存在であると言えるでしょう(まどか☆マギカ――正義の地平からも参照)。

さて、前回、力を付けることと人格的に成熟することは別と言いましたが、理想的な成長ではそれらが合わせて生じるのにも訳があります。特定の力を付けるつもりで修行を始めても、その過程で人格的にも成熟するよう求められる(しばしばその結果、「力があればいいわけではない」と気付いたりもする)ものだからです(「成長もの」を見れば、そういう筋立てはたくさん見付かります)。
一般的には、人は社会に放り込まれることで、その社会に合わせて大人になります。
つまり、魔法少女は既製の社会に取り込まれるのとはまったく別の形で、別の世界に合わせて「成熟する」ことを余儀なくされる、ということです。

普通、子供は(反面教師という意味も含めて)周りの大人を手本として大人になるものですが、このようなわけで、大人は魔法少女の範にはなり得ません。
範となり得るのは同じ境遇を知るものだけ――と考えると、作中で杏子を除く他の魔法少女たちの「師」に当たる存在だったマミの存在の重要性が改めて見えてくるでしょうが、これはまた別の機会(あれば)に。

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(2011/10/20)
不明

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こちらは本日発売。まだ読んでいる途中なので、触れたくなるような論があるかどうかは分かりません。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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